第二十九話 『星明りの夜に』
皆が寝静まった後、スイガは近くの樹に寄り掛かるようにして歩哨に立っていた。
人里から離れた山中とはいえ、先程まで火を焚いていた以上、その灯りに気付いた賊に襲われるかもしれない。
それ以上に、ヒルディアが仕留め、吊るしてある猪の血の匂いに引き寄せられた獣と遭遇する可能性が高い。
幸い、夜空は晴れ渡っており、周囲は月と星に照らされている。
夜目の利く己なら、刀を振るうのに支障はないとスイガは考える。
旅の連れを窺えば、男たちは消した焚火の傍で三人並んで横になっている。
そこから離れた場所には、二頭の狼と身を寄せ合うようにしてヒルディアが眠っている。
弟子の寝顔を見つめ、スイガはエヴァンスとの会話を思い出す。
そういえば、ヒルディアがはじめて人を斬ったのも、こんな星明かりが降り注ぐ夜だった。
ふたりの住む山岳地帯には、以前、山賊や犯罪者が跋扈していた。
そいつらを牛耳る盗賊団を壊滅させたことで、一帯は随分と平和になり、スイガは周辺の村々から感謝され、敬意を込めて〝山の剣聖〟などと呼ばれるようになった。
しかし、無政府地帯である以上、国を追われた罪人や行き場をなくした傭兵崩れなどのならず者はいくらでも流れて来る。
スイガとヒルディアにしたところで、騎士を斬って逃げてきた以上、そういった輩と大差はない。
違いと言えば、地域住民と共生できているという点に尽きる。
そして賊が地元の村民に害を為す以上、スイガはふたたび賊の討伐を請け負うようになった。
そんな仕事にヒルディアの同行を許したのは、彼女が修行を始めて三年近くが経った頃だった。
といっても、当初の依頼は、賊の討伐が目的ではなかった。
内容は、攫われた子どもを取り戻してほしいというものだった。
子どもたちが森の中で遊んでいたところ、声を聞きつけたのか、いかにもならず者といった風体の男たちが現れたのだという。
男たちはひとりの子どもを捕らえると、その首に短剣を突きつけて脅し、他のふたりの子どもを従わせて攫った。
唯一、身を隠していて難を逃れた子どもが村へ報せたことで犯行が発覚し、男たちが武装していたとの情報から、村人たちはスイガを頼って来たのだ。
子どもが連れ去られてから雨は降っておらず、賊の痕跡は消えずに残っていた。
さらに幸いなことに、相手は馬ではなく徒歩で移動していた。
子ども連れであれば移動速度も遅いはずで、追いつくのは難しくないとスイガは考えた。
それまで、ヒルディアにねだられても、スイガは仕事への同行を許さなかった。
生半可な実力で連れて行けば足手まといになり、最悪命を落とす可能性もあるからだ。
だが今回、賊の数は少なく、駆除が目的でもないので、危険は少ないと推測できた
それに、当時ヒルディアの武力は既に、並の騎士などでは到底及ばぬ程に仕上がっていた。
だから、経験を積ませるのには良い機会だと判断したのだった。
身軽に動くため村人たちは残し、現場を後にしたふたりは、賊よりずっと山慣れしていたこともあって、距離をみるみる詰めていった。
追跡開始から二日後の昼過ぎ、山中で見つけた焚火の跡に触れ、ヒルディアはつぶやいた。
「……まだ少し温かいですわ」
「ああ、どうやら食事のために火を熾したらしい」
そう言ってスイガは、捨てられていた魚の頭を拾ってみせた。
表面に焦げ目がついていることから、近くの沢で獲った後、火を通して食べたのだと察せられた。
「こんな痕跡を残すなんて、間の抜けた賊ですわね」
「村人に自分たちの追跡が可能だとは思ってもいないのだろう」
事実、村人だけであれば、焚火の痕跡ならともかく、足跡を辿るのは難しかったはずだ。
「この調子なら夜には追いつけそうですわね。子どもたちが無事なら良いのですけれど」
「それはおそらく問題ない。売るために攫ったのだろうからな。傷がつけば値が下がる以上、少なくとも暴力は振るわれていない可能性が高い」
「でもきっと怖がっていますわ。急ぎましょう、師匠」
「ああ……そうだな」
落ち葉に覆われた坂道をずんずんと進んでいくヒルディアの横顔を窺い、スイガは戸惑う。
彼女が口元に薄い笑みを浮かべているからだ。
出発してからずっと、彼女は楽しげだった。
はじめて実戦に臨む者というのは、得てして緊張のため表情を強張らせるものだ。
それなのに、不安や恐怖を感じるどころか、楽しんでいるというのか。
余程好戦的なのか、それとも実戦経験を積めるのが嬉しいのか。
やはりこの娘には、己の理解の及ばぬところがある。
そんな師の評価など思いもよらず、ヒルディアはただ浮かれていた。
ふたりで遠出するのは久しぶりだ。
しかも、村人から依頼された仕事にはじめて同行を許されたということは、つまり、これまでの頑張りを認められたのだ。
攫われたという子どもたちには申し訳ないが、つい表情が緩んでしまう。
互いにまったく異なる感情を抱えたままふたりは山を進み、やがて日が落ちた。
それでも、月の光を頼りに進み続けると、やがて視界の先に、星とは明らかに異なる、熱を孕んだ緋色の灯りを認めた。
「師匠」
「ああ。どうやら追いついたな」
ふたりは身を屈めながら灯りに近付くと、近くの繁みの影に身を潜め、様子を窺った。
男たちは焚火を囲みながら食事をしているようだ。
攫われた三人の子どもは、ふたりの男の間に並んで座っている。
「……やっかいだな」
賊と子どもたちの位置的に、攻め難いとスイガは判断する。
子どもらを挟むようにして腰を下ろしているのは、逃走防止のためなのだろうが、自分たちが出て行けば、即座に人質にされかねない。
子どもの救出が最優先である以上、そんなリスクは避けたい。
ここは皆が眠るのを待つのが無難か。
スイガがそう算段をつけている間、ヒルディアは子どもたちの様子に注目していた。
三人とも結膜が充血し、目の下に涙の後がついている。
ただ、その顔からは表情が失われ、放心状態のように見える。
ここまで余程の恐怖に耐えてきたのだろう。
さらによく見れば、三人のうち唯一の男児は、左の頬が腫れている。
抵抗して、打擲されのだろう。
そこまで察したところで、ヒルディアは屈んだ姿勢を起こしていた。
「ヒルダ? どうした」
訝りながら己を見上げる師に、ヒルディアは低めた声で応じる。
「私ひとりであれば、奴らの油断を誘えますわ」
「なんだと?」
ヒルディアは腰から刀を外し、音をたてぬよう地面に置くと、シャツの襟に手をかけ、思い切り引きちぎった。
ボタンが弾け飛び、はだけた胸元が広く露出する。
「なっ!?」
弟子の意図を図りかねて動揺するスイガに、ヒルディアは視線を向ける。
「行ってまいりますわ」
「いや、待――」
制止を最後まで聞かず、ヒルディアは音を立てずにその場から駆け去る。
数拍の間を置き、闇の奥から女の悲鳴が響いた。
「くっ! そういうことか!」
ヒルディアの意図を察し、スイガも身を低めたまま移動を開始する。
一方、突然の女の悲鳴に、三人組の賊は慌てた様子で立ち上がる。
「お、おい、なんだ今のは!?」
「狼の遠吠え、じゃねえよな」
「女の叫び声に聞こえたが」
「こんな山奥にか? あり得ねえだろ」
動揺しながら声の聞こえた方角に視線を向けていた男たちは、闇の向こうからふらふらと女が現れたために息を呑む。
「た、助けて……助けてくださいまし」
そう言って、その若い娘は自分に近い位置に立つ賊に縋りつく。
「お、おう、どうした嬢ちゃん」
「お、狼に、狼に襲われて、一緒にいた兄が……お、お願い、助けて」
賊の男は震える娘の胸元に視線を落とし生唾を呑む。
「そいつは、災難だったな。でももう大丈夫だぜ? オレたちが守ってやるからよ」
賊の男はそう猫撫で声で伝えると、仲間たちの方へにやけ面を向ける。
子どもたちを挟むように座っていたふたりの男たちも、顔に下卑た笑みを浮かべる。
その様子を抜け目なく窺っていたヒルディアは、縋った男の腰から逆手で剣を引き抜くと、一瞬で間合いを取りつつ首を斬りつけた。




