第二十八話 『山小屋を発つ』
翌日、言葉通り訪ねてきた三人の男たちは、既に小屋の前で待っていたヒルディアとスイガを発見して目を剥いた。
「スイガ殿、この馬は」
「ああ、うちで飼っているんだ。移動には役立つだろう」
近付いて馬を見上げると、毛並みが良く、体格にも恵まれているのが三人にもわかった。
「こんな立派な馬ははじめて見ました」
「さようか」
まあそうだろうとスイガは思う。
これらは、五年前、ヒルディアを救った際、襲撃者から奪った四頭だ。
国の正規軍の軍馬なのだから、質が良いのは当然だ。
売ろうかとも迷ったが、どうせしばらく山で暮らすのなら金子は必要にはならない。
だから、何かあった時の移動手段として手元に残しておいたのだ。
「そ、それと、その狼も連れて行くんですね」
男たちは、灰と白の毛色の、二頭の狼に視線を向ける。
「当然ですわ。この子たちはずっと私たちと一緒に暮らしてきたんですのよ? 離れるなんて耐えられるわけありませんわ」
「それに、狼は鼻が利き、戦闘能力も高い。なにより己たちに忠実だ。きっと役に立つだろう」
ヒルディアとスイガのふたりにそう言われ、三人は返す言葉もない。
本心では、怖いから置いていってほしいと思っている。
「して、其処許らは乗馬の心得はあるか?」
「いえ、ないです」
「オレらは農民だぜ? 騎士じゃねえんだから馬になんて乗るかよ」
「では今日初めて乗るわけだな」
スイガの言葉に、三人は顔を見合わせる。
「え、ボクたちも乗っていくのですか?」
「徒歩より大幅に時間を短縮できる。其処許らが急ぎでないということなら、物見遊山のつもりでゆっくり歩いて向かってもかまわんが?」
「い、いえ、お言葉に甘えさせていただきます。ただ、馬は四頭で我々は五人です。数が合わないのでは?」
「其処許らのうち体重の軽いふたりは、共に一頭の馬に乗ってもらうほかないな。なに、この馬たちはかなりタフだ。男二人が乗っても、とばしすぎなければ、まあどうにか耐えるだろう」
三人は互いに視線を交わし合う。
「……体重が軽いふたりっつったら」
「ボクと、エヴァンスになるね」
無口なレナードは、ふたりよりも頭ひとつ分は上背があり、肉付きも良い。
「決まったようだな。では手を貸してやるからひとりずつ乗ってみよ。なに、この馬たちは人慣れしている。己とヒルダが先導すれば、其処許らは乗っているだけで進んでくれるはずだ」
スイガが段取りよく三人の騎乗を手伝い、五人は正午を待たずに小屋の前から出立した。
ヒルディアは馬上で振り返りながら、遠ざかる小屋に向かって小さくつぶやいた。
「行ってまいりますわ」
日暮れまで走り続けた一行は、山中にて開けた空間を見つけ、一晩過ごすことにした。
焚火を囲みながら、エヴァンスがぼやく。
「くそ、ヒデエめにあったぜ……揺れて気持ちわりいわ、おめえの吐息が耳をくすぐって気持ちわりいわ、おめえがぴったり密着して気持ちわりいわ、とにかく不快で気持ち悪かったぜ」
「仕方ないだろ! ひとつの鞍にふたりで跨ってたんだから! ボクだってキミと密着していていい気持ちではなかったさ!」
そう反論するも、ジェイムズは気を取り直して続ける。
「でも、あんなに早く移動できるとは思いませんでした。この調子なら、もう何日もかけずに村へ到着しますよ」
「そうか」
ジェイムズの言葉にスイガが短く応じると、その隣に座るヒルディアがおもむろに立ち上がる。
「おや、どうしたのです?」
「いえべつに。ちょっと失礼いたしますわ」
そう言って焚火から離れようとするヒルディアを、ジェイムズは慌てて引き留める。
「ちょ、ちょっと、ご婦人が夜の森でひとりになるなど危険ですよ。よろしければご一緒します」
そう提案したジェイムズに、ヒルディアは射殺すような視線を向ける。
「けっこうですわ」
そう短く言うと、ヒルディアは立ち上がり、森へ向かって足早に歩きだす。
同時に、彼女の傍らに伏せていたニクスも、影のように随う。
その背を見送り、ジェイムズは少しの間呆然としていたが、戸惑った様子で他の男たちを窺う。
「え? なんかすごい睨まれたのですが。ボクなにか無礼なことでも言いましたか?」
「ああ言ったな。おめえはまあ、昔っからそういうとこあんよな」
「そうだな。おいらも今のにはちょっとひいたよ」
「無神経な男だ」
「ボゥフ」
スイガのつぶやきに続き、キニスまで呆れたような鼻息を漏らしたことで、ジェイムズはひどく狼狽える。
「へえ!? な、なにが悪かったっていうんです!? ぼ、ボクはただ、こんな人気もないところで、ご婦人がひとりになるのは危ないと思って、同行してさし上げようとしただけです! それのなにが悪いっていうんですか!」
「用足しに行ったのだとしてもか?」
「え、あ」
「それに、女にゃ他にもいろいろあんだよ。おめえは本当に、女への気遣いとかできねえよな」
「う、うるさいな! そんなのキミには関係ないだろ!」
エヴァンスの指摘に、ジェイムズは顔を赤らめ俯いてしまう。
「……ヒルダは夜の山に慣れている。心配は無用だ」
「へえ、そうかい」
口を噤んでしまったジェイムズのかわりに、エヴァンスが短く応じた。
それから、少しの間沈黙が流れる。
その間、火の粉の爆ぜる音とだけが響いていた。
「……なああんた、ひとつ訊いていいか?」
小屋でのやり取り以来、己にあまり良い感情を抱いていないようだと察していたエヴァンスから話しかけられ、スイガは少し意外に感じながら応じる。
「なんだ?」
「あの小娘はなんだ?」
随分と大雑把な質問だなと想いながら答える。
「己の弟子だが?」
「んなこたああんたらふたりのやりとりを見聞きしてりゃあわかる。オレが訊いてんのは、どうしてあんな山奥で貴族の娘っ子があんたみてえなのと暮らしてんのかってことだ」
「それを其処許に話す義理も必要性もあるまい」
「ちっ、そうかよ。まあいい、なんか訳ありってのはオレにも察しはつく。じゃ質問を変えるが、なんであんなのを弟子にしてんだ?」
「あんなの?」
「本来剣なんて習うわけもねえ若え女をどうして教えてんだと訊いてんだ」
「それも其処許には関係なかろう」
「関係なくてもオレらの今後には影響あんだろ」
なんの話かわからず、スイガは首を傾げる。
「これからオレたちは、国を相手に戦を仕掛けようってんだぜ? あんな小娘がいちゃあ足手まといになんだろうが」
なるほど、とスイガは思う。
彼女のことを知らなければ、そう思うのも無理はないのかもしれない。
「ヒルダに関節を極められひーひー言っていた其処許が、あれを足手まといと侮るか」
「なに!?」
「人を斬ったことはあるか?」
スイガからの問いに意表を突かれ、エヴァンスは一瞬怯んだ様子を見せながらも、虚勢を張るように語気を荒げて応じる。
「ねえよ。何か問題があるか」
「ヒルダは既に人を殺めている。それもひとりやふたりではない」
「な、に?」
エヴァンスだけでなく、ジェイムズとレナードも息を呑む。
「まあ、ただ人を殺すだけであれば、短刀でもあれば子どもにもできることだ。ただな、あれは武装集団を相手に斬り合いをしたこともある。少なくとも、足手まといなどにはならんと保証しよう」
むしろ心配なのはこの男たちの方だとスイガは考える。
おそらく意気込みは本物だが、自分が戦で殺し合いをするということを、正しく想定できているとは思えない。
だから今後のことを思えば、そう遠くないうちに実戦を経験させる必要があるだろう。
「だ、だからって――」
反論しようとしたエヴァンスは、背後で、どさり、と何かが地面に落ちたような音を耳にし、身を跳ねさせる。
「な、なんだ!?」
男たちは、弾かれたように音の方へ顔を向け、言葉を失う。
彼らの視線の先には、いつの間にか戻っていたヒルディアが佇んでいた。
その足元には、三日月のように反った巨大な牙を生やした猪が、額から血を流して転がっている。
「それは?」
特に驚いた様子もなくスイガが問うと、ヒルディアもこともなげに答える。
「藪の中から現れ突進してきたので反射的に仕留めてしまいましたの。放置するのも惜しいので、食料にどうかと思いお持ちいたしました」
「すべて持っては行けんだろう。夜が明けたら持てるだけの肉をとるので、血抜きだけしておけ」
「わかりましたわ」
ヒルディアは、唖然とする三人にはかまわず、馬に積んだ荷物から縄をとると、猪を担ぎ上げ近くの木へ向かう。
「……あのでかい野獣を、ひとりで仕留めたのか」
「しかも、あれを軽々持ち上げた。大人の男でも、運ぶのには数人がかりじゃないか?」
「か、狩りができて力が強えからって、戦働きができるとは限んねえだろ」
惧れと感心の混じったような顔で猪を樹に吊るすヒルディアを見つめるジェイムズとレナードに対し、先刻まで侮ったような態度をとっていたエヴァンスはバツが悪そうにぼやいたが、その表情は引き攣っていた。
そしてそれ以降、ヒルディアを足手まといになるなどとは二度と口にしなかった。




