第二十七話 『出立の準備』
男たちの村へ向け出発する前に、ヒルディアとスイガにはやっておかねばならないことがあった。
小屋では複数の家畜を飼育しているのだが、連れて行けるのは二頭の狼と馬だけだ。
山羊や鶏など、他の家畜は残していかねばならない。
そこで、スイガは日の出とともに、小屋の裏にある家畜の飼育場所へと足を運んだ。
金網で仕切られた小屋に入ると、設置された木製の棚に、無数の鳥が身を寄せ合っている。
飼われているのは鳩だが、食用ではない。
近辺の村や遠方の知人と連絡を取るための、伝書鳩だ。
スイガは昨晩のうちに用意しておいた、葦の茎を利用してこさえた筒を、鳩の脚にくくり付ける。
中には、パピルス紙が収められており、家畜の世話を頼むとの要件が記されている。
届け先は近くの村で、宛名は村長になっている。
村の識字率は非常に低いが、村長はこの地方で使われる文字を会得しており、流れ者のスイガよりも余程文を書きなれている。
スイガは村長の出自を知らないが、あんな山奥の村でずっと生きてきたのであれば、文字を学ぶ機会はないと察せられた。
もしかしたらあの老人も、ヒルディアのようにどこかの国の貴族で、遠い昔に国を追われてここまで流れ着いたのかもしれないと想像できたが、わざわざ追及したことはなかった。
「……これでよし」
準備を終えると、鳩舎から出て二羽の鳩を空ヘ放つ。
人では歩いて数日の距離も、鳩なら半日足らずで到着できる。
過去にも鳩で連絡をとったことは幾度もあったが、このあたりに鳩の天敵となる鳥は棲息していないこともあり、たどり着かなかったことは一度もなかった。
それでも、念には念を入れ、二羽を飛ばしたのだ。
そして、あの村長には多くの貸しがある。
すぐにでも、熊狩りの時と同じように、住み込みで家畜の世話をする者を派遣してくれるはずだ。
自分たちの不在期間が長くなるようなら、家畜を村に連れ帰るなりしてくれてもかまわないとも書いておいた。
これで残された家畜たちは、少なくとも飢えて死ぬようなことにはならないはずだ。
「それと、もう一か所だな」
スイガは続けてもう二羽、鳩を飛ばす。
こちらの届け先は遠方なので届かない可能性もあるが、無事に到着すればあの男たちに助力していくうえで大きな助けになるはずだとスイガは期待する。
「さて、あとは荷造りか」
久々の遠出だ。
ひとり旅には慣れたものだが、今回は道連れも多い。
しっかりと準備をしていかねばなるまい。
必要なものを頭の中でリストアップしながら、スイガは小屋へ戻った。
一方、ヒルディアは、家畜の世話を引き継ぐ村人がやって来るまでの間、山羊や鶏が飢えないよう、多めの餌を用意していた。
木の実や種子を粉砕し、青菜の汁などを加えて作った、鶏用の飼料を餌箱に入れる間、ヒルディアは昨夜のスイガとのやりとりを思い出す。
「二十点だ」
「へ?」
男たちへの助力を承諾した後、唐突に師からかけられた言葉に、ヒルディアは首を傾げた。
「えっと、なにがですの?」
「あの農民らが支援を得るためにおまえの考えた方法……それが二十点だ」
方法とは、 ガストーラ辺境伯を後ろ盾にするという手段のことだ。
我ながら名案だと思っていただけに、ヒルディアは疑いなく訊き返す。
「それは、二十点満点で?」
「いや、百点満点で」
「そ、え!? そんなに、低いんですの!?」
意外な評価に、ヒルディアの顔が引き攣る。
そんな弟子に、スイガは諭すように語って聞かせる。
「ヒルダ、おまえは貴族だった頃の知識を活かして考えたのだろうが、侯爵の娘では知らぬことも少なからずあったようだな」
「ど、どういう、ことですの?」
「ガストーラ伯、ゴルド・ヴォン・ヴィッツォールはその資産の多くを失っている。農民の反乱の支援など、してやる経済的余裕はあるまい」
「そんなはずはありませんわ! デールラント東部で最も広い領土を持つ最有力の貴族ですのよ!? それがどうして資産を失ったというのです!」
「伯のもとに第一王子がいるとは、おまえが自分で言ったことだな」
「そ、それがどうしましたの?」
「その身柄の引き渡しにあたって、己の資産の大半を王に差し出したのだ」
「そ……そんな話は」
初耳だった。
「ガストーラ伯にとって、第一王子クラセル・ヴォン・ヴィッツォールはたったひとりの孫だそうだな。ひとり娘のセレスは、王に嫁ぐもクラセルが幼い頃に病死している。しかし実は、夫である国王による毒殺という噂があるらしい」
それはヒルディアも知っていた。
「その後、クラセルは大きな怪我を負ったことで王の資質無しと判断され、廃嫡された。そんな孫を引き取りたいと望んだ伯に、王は法外な見返り、というか身代金を吹っ掛けた」
たしかに、あのしたたかな王ならやりそうだとヒルディアは思う。
そして王党派の筆頭たるメイベル候の娘である己が、そんな王の裏の取引を知らなかったのも当然なのだと納得する。
「前の妃であるセレスを王が殺したのかどうかなど己の知るところではない。しかし、火のないところに煙は立たん。少なくとも、そんな噂が流れるような関係ではあったのではないか。であれば、そんな妃の血を引く廃嫡した子に、王が情をかける保証などあるはずもない。だから伯はどうしても孫を保護したかったのだろう。孫可愛さ、唯一直系の血族、そういった考えもあったはずだ。王はそこにつけ込んだわけだな。伯の気持ちもわからんではないが、領邦の主としては失格だな」
「し、師匠は、どうしてそんなことを知っているんですの?」
「己は、新たな国へやって来た際には、まずその国の権力者の情報を収集するようにしている。特に、武将については念入りにな。剣をたつきにしている以上、そうやって情報を集めた相手が雇用主になるかもしれんし、逆に面倒ごとを避けることにもつながる」
「でも、王と諸侯の事情と裏の取引の話なんて、簡単に調べられるものですの?」
「実際に候は城を明け渡し、わずかに残った所領の別邸で、孫と数名の使用人とともに身を潜めるように暮らしている。公的にはその理由を明かしていなかったようだが、なにかあったと勘ぐる輩がいたのは当然だ。であれば、腕のいい情報屋ならどんな手を使っても調べ上げるのは必然。相応の資金を投じた己の耳に入ったのも不自然ではあるまい」
「そういう、ものですの?」
元貴族というアドバンテージを活かし、師でも思いつけなかった策を提案できたと思っていたヒルディアは、それがまったくの的外れな考えであったと悟って赤面する。
さらに、ではこれからあの農民たちとともに戦っていくうえで、いずれは資金難に陥ると気付き、今度は青褪める。
そんな弟子の動揺を見抜き、スイガは和らげた声音で続ける。
「案ずるな。軍資金のことなら己に考えがある」
「そ、そうなんですの?」
「ああ。金などあるところにはあるものだ」
安堵すると同時に、結局師に頼ることになりそうで、ヒルディアは情けない気持ちになる。
「……あの、師匠」
「どうした」
「では二十点とは、なんに対する評価ですの? 正直、零点でも仕方ないと思うのですけれど」
「たとえ資金があっても農民だけでは、結局反乱は鎮圧される」
「え? それでは――」
「だから、いずれは共和派の貴族を巻き込む必要があるのだ。そのうえで、諸侯からの信望厚いガストーラ伯と、反乱の名分ともなり得る第一王子を味方に引き入れることは必須となる。つまり、おまえの案は要点こそズレていたが、いずれ実行しなければならん。図らずもそれを言い当てたことへの評価だ」
回想を終えたヒルディアは、飼料を入れていた麻袋をバサバサと振りながら溜息をつく。
結局、世間知らずな己では、知恵で師の役には立てそうもない。
なればこれから先は、五年をかけて磨いた武の力を尽くそう。
そう決意を新たにしたヒルディアは、コケコケと鳴きながら餌箱に集まる鶏を避けつつ鶏舎を後にした。




