第二十話 『訪問者たち』
その日、日課である午前の鍛錬を終えた後、小屋の隣の畑の手入れをしていたヒルディアは、近くで戯れていた キニスとニクスが吠えはじめたため顔を上げた。
「どうしましたの?」
近寄って頭を撫でながら宥めるも、二頭は小屋へと続く一本道を睨み、唸り声をあげる。
道の向こうへと目を凝らしたヒルディアは、狼たちが吠え始めた理由を理解する。
「誰か来ますわね」
男が三人、明らかにヒルディアたちの住む小屋を目指して歩いてきている。
何者だろうか、とヒルディアは思考する。
最も可能性が高いのは近隣の村落の住民だ。
人食い熊の被害に遭っていた村が、討伐の謝礼になにか感謝の品でも持ってきたのかもしれない。
あるいは野盗の類かとも考えるが、おそらく違うと判断する。
襲撃目的であれば、この昼間に正面から姿をさらして歩いてくるとは思えない。
ただし、油断はできない。
たとえば旅人だったとしても、善人とは限らない。
若い女がひとりでいると気付き、不埒な真似を働こうとするかもしれない。
「……キニス、ニクス、隠れていなさいな」
そう命じられ、二頭は小屋の陰に駆け込み、男たちから姿を隠す。
男たちがさらに近付くと、ヒルディアはさほど警戒する必要のない相手と判断する。
歩き方から、戦いの心得のない者たちであるのが見て取れたからだ。
小屋の中の師を呼ぶまでもないだろう。
それでも、まんがいち己が害されるようなことがあれば、狼たちが男らに襲い掛かり、吠え声でスイガも出てくるだろう。
さらに男たちが近付くと、その装いも確認できる。
旅装だ。
三人とも薄汚れた粗布のチュニックの上にところどころ擦り切れたマントを羽織り、雑嚢を肩にかけている。
武器は、少なくとも剣や槍、あるいは弓のような、目立つ得物は帯びていない。
やはり村人だろうか。
遠方の村からここまで来るには数日を要するので、旅装なのはまったく不自然でない。
ただ、師と違いヒルディアは、村人のひとりひとりをよく憶えていないため、顔を見ても判断がつかない。
やがて三人組もヒルディアに気付き、歩調を落としてなにか言葉を交わしたが、すぐに足早に近寄ってきた。
不穏な雰囲気ではない。
特に、横に並んだ男たちの真ん中の若い男は、おそらく警戒させないよう笑みを浮かべている。
その笑顔はぎこちなく、緊張しているのが見て取れた。
「やあ! どうも……こんに、ち……わ」
気さくな調子で話しかけようとした男は、近寄ってヒルディアの顔を視認して声を途切れさせる。
ほかのふたりにしても、口を開いたまま呆けたような顔で立ち止まる。
相手の様子を訝り、ヒルディアは眉根を寄せる。
「……なんですの、あなたたち?」
「へ? あ、いや、これは、失礼しました」
真ん中の男は顔を赤らめ視線を泳がせながら応じた。
こんな世界の果てのような山奥で、生まれてはじめて見るような美貌の女と思いがけず出会い、内心ひどく動揺しているのだ。
「その、突然押しかけてしまい、申し訳ない。ボクたちは決して怪しい者ではありませんので、どうか警戒なさらないでください、といっても無理がありますよね。しかしこの通り武器などもありませんし安心して――」
「おいジェイムズ! なんの言い訳をしてんだ、とっとと本題を言えや! 何日もかけてこんな山ん中まで来たのは女とおしゃべりするためじゃねえだろうが! もういいからおめえは退がってろ!」
そう言って若い男を押し退けるように前へ出たのは、ほかのふたりよりも三、四歳程年嵩な痩せぎすの男だ。
頬がこけ、くまに縁どられた目は充血し、粗暴な言葉遣いもあって危うい印象を受ける。
「え、エヴァンス、まずはボクが話をするって決めてただろ。逸る気持ちは理解するけどキミじゃ彼女を怖がらせてしまうよ」
「うるせえな、初対面からキョドりまくってるテメエこそ怪しすぎんだよ! ったくこれだから童貞は!」
「どっ!! はあっ!!? そっ、そそ、それは関係ないだろ!! なん、な、なんで、ご婦人の前でそんなこと――」
エヴァンスと呼ばれた目つきの悪い男は、真っ赤になって抗議するジェイムズと呼んだ若い男を無視して、ヒルディアとの距離を詰める。
「おいねえちゃん。オレたちは〝山の剣聖〟って奴と会うためにやって来たんだ。居るんなら取り次いでくれねえか」
ヒルディアの中で男たちに対する警戒が跳ね上がる。
〝山の剣聖〟とはスイガの通り名だ。
ここいら一帯に跋扈していた山賊を一掃したことからそう呼ばれるようになったという。
もっとも本人は、面映ゆいのかそう呼ばれることを好まない。
その通称を知っているということは、この男たちは師が剣の達人と承知のうえで会いに来たのだ。
しかも、己が誰だかわかっていないとなると、近隣の村の住民ではなさそうだ。
「いきなり押しかけて来て、なんの挨拶も説明もなく会わせろだなんて、不躾にも程がありますわね」
「あ? なんだと?」
男の頬の肉がぴくぴくと痙攣する。
見た目と言動そのままに、沸点が低いようだ。
「あなたのような得体の知れない輩を師匠に会わせるわけがないでしょう。回れ右してお帰りなさいな」
「このっ……いいから会わせやがれ!」
ヒルディアはつかみかかろうと伸ばしてきた男の手首を、逆につかんで素早く捻り上げる。
「あっ、あぁだぁあぁああぁぁあああ! や、やめっ! やめぇぇえ!」
前傾姿勢で悲鳴をあげる男の腹を、膝で蹴り上げる。
「ごぼへ!」
エヴァンスと呼ばれた男は胃液を吐き散らして激しく咽る。
「エヴァンス!」
仲間に駆け寄ろうとする他のふたりの前に、灰と白の獣が立ちふさがる。
「ひぃ!」
「な、なんで狼が!?」
ふたりは唸り声をあげるキニスとニクスに睨まれ動けなくなる。
すると、小屋の扉が開き、エプロンを着けたスイガが姿を現す。
食事の支度をしていたらしく、手には包丁が握られている。
「……なにやら騒がしいと思えば、これはどういう状況だ?」
「曲者ですわ師匠!」
片手だけで男の手首と肩を極めながら、ヒルディアが答えた。
「曲者?」
スイガは立ったまま弟子に抑え込まれている男と、二頭の狼に威嚇され震えあがっているふたりに視線を巡らせる。
「客人か。要件はなんだ?」
問い掛けられ、ふたりのうち先程ジェイムズと呼ばれた若い男が、震え声で応じる。
「あ、あの、助けて、ほしくて」
「そうか……」
スイガはヒルディアに視線を向け短く指示する。
「放してやれ」
「はい師匠!」
ヒルディアが手首を放すと、前傾姿勢でえずいていた男は、よたよたとたたらを踏んでから倒れた。
「キニス、ニクス、こっちへ来い」
今度は二頭に命じると、狼たちは跳ねるようにふたりの前から離れ、スイガの両脇に腰を下ろした。
スイガはふたたびジェイムズへ視線を送る。
「助けてやったぞ?」
「あ、いえ、そうではなくて……いや、そ、そうではあるのですけど」
動揺の収まらないジェイムズは、顔を引き攣らせながら、要領を得ないことを口にする。
スイガは小さくため息を吐き、包丁で小屋の中を示しつつ言った。
「とりあえず、中へ入るか?」




