第十六話 『過酷な日々を超えて』
素振りの一件から、弟子の強さに対する想いが己の想像をはるかに超えるという、大きな思い違いをしたスイガは、ヒルディアに対し本気の指導を行うようになった。
武術はもちろん、運動の経験さえろくにないことから、最初は体作りから始めたが、走り込みに各種筋トレ、木刀の素振りに打ち込みを、連日肉体の限界ぎりぎりまで繰り返させた。
苛烈を極めた運動に、ヒルディアは一日に幾度も嘔吐し、時には昏倒しては、スイガに冷水を浴びせられ意識を取り戻した。
体力が上がるほどに課題も増えるので一向に楽にはならず、全身は常にガタガタで、体への負担のあまり尿に血が混じるようなことさえ幾度もあった。
それでも、ヒルディアは最初の条件を守り、どんな無茶な指導にも一切弱音を吐かなかった。
おかげで、一年も経った頃には、別人のように体が仕上がった。
当初、家の周りを数周しただけでバテていたのが、一日のうちに山を数周するようになった。
しかも、ただ走るばかりでなく、崖をよじ登り、谷を跳び越え、険しい岩場を踏破した。
おかげで足腰の強さはスイガにも引けをとらなくなった。
膂力も大きく向上した。
樹を相手に木刀で打ち込むという日々の課題は、十分に力が付いたところで、鉄製の巨大な素振り刀による岩への打ち込みに変わった。
掌にできた豆は幾度もつぶれたし、打ち込みの途中で肩が外れるようなことさえあったが、やがて大岩を叩き割るほどの力を身に着けた。
また、スイガは剣以外にも、己の知るあらゆる戦い方をヒルディアに授けようと考えた。
その中には、当然、体術も含まれる。
だから、藁をまいた樹を相手に、突きや蹴りの打ち込みも課せられた。
最初は樹に拳を打ち付けるだけで悶絶していたヒルディアだったが、やがて一度の打撃で巨木を揺らし葉を散らすまでになった。
ある程度肉体改造が進んだところで、スイガは技術を教え始めた。
武器は刀を中心に、槍等の長物、短刀、棍や杖、弓、鏢(手裏剣)、投石、暗器まで、あらゆる得物を扱えるよう仕込んだ。
徒手の格闘においても、打撃、投げ、関節技と、さまざまな武技を教えた。
さらに、馬術と騎馬戦、あるいは水練、野戦に罠を用いたゲリラ戦、雨天や夜間の戦闘と、状況に応じた戦闘技術も洩れなく指導し、ついでにサバイバル術も身に着けさせた。
ひと通りの技術を修めたところで、対人の稽古で実戦感を磨いていった。
当然、相手はスイガが務めた。
戦士としての年季が違うスイガ相手に、しばらくの間ヒルディアはまったく歯が立たなかった。
そのうえ彼は、木刀での立ち合いでは痣になるほど強くヒルディアを打ち据え、格闘術の組み手でも普通に殴って蹴って投げ飛ばした。
関節技の効果を身をもって学ばせるため、故意に肩を外したことさえあった。
そんな苛烈な稽古を連日続けていると、師を相手にしても、少しずつだがまともに立ち会えるようになっていった。
ほとんど捨て身のような攻撃ではあったが、はじめてヒルディアの木刀が自分に届いたところで、スイガは彼女に実戦も経験させることを決めた。
ふたりが小屋に住むようになってから交流をはじめた周辺の村からの依頼で、スイガは時折村人の手に負えない害獣の駆除や、ふたたび近辺の山に姿を見せるようになった野盗の討伐を引き受けていた。
それに、ヒルディアも同行させたのだ。
スイガという達人と日夜稽古に明け暮れてきたヒルディアにとって、盗賊など最初から敵にもならなかった。
それでも、集団を相手にどう戦うか、彼女は実戦を通して学んでいった。
一方、オオカミをはじめとした害獣退治には、慣れるまで苦戦を強いられた。
獣の動きは対人戦を想定した訓練しか積んでこなかったヒルディアには読み辛く、運動性能も人を超えている。
そんな相手に群れで連携して襲い掛かられ、危うく喉笛に牙を突き立てられかけたこともあった。
そういった経験を積み重ねたことで、ヒルディアは未知の敵と戦っても柔軟に対応できる思考と判断力を身に着けた。
修行を始めて五年が経つ頃には、盗賊も獣もまったく脅威ではなくなっていた。
そんな時、近くの村から人食い熊の退治依頼を受けた。
熊は警戒心が強く臆病なので、子連れなどで気が立っているような場合でなければ、進んで人間を襲うことは珍しい。
しかし、その熊は人を食って味を覚えたらしく、直接村を襲撃して複数の死傷者を出し、狩りの心得のある男たちが討伐に出向くも返り討ちにされたという。
これまででもっとも危険な獣、との判断をスイガに聞かされたヒルディアは、己ひとりで狩りたいと申し出たのだった。
人食い熊との戦いの後、小屋へ戻る途中に野宿したふたりは、日の出とともに山道を歩きはじめた。
先行するヒルディアに、スイガが声をかける。
「ヒルダ」
足を止め、ヒルディアが振り向く。
「なんでしょう、師匠」
「疲れはとれたか?」
「はい! ぐっすり寝たおかげで、体力全快ですわ! 師匠が見張りを申し出てくださったおかげですわね。ありがとうございます」
「ん、ならよかった」
昨夜は、ふたりの出会いから今に至るまでを夜更けまで語って聴かせたため、実際にはさほど長い時間は眠れていないはずだ。
だから体調を確認したのだが、朝日に照らされた顔色は血色が良く、どうやら強がりを言っているわけではなさそうだ。
続いて、スイガは肝心なことを訊ねる。
「……それで、記憶の方はどうだ?」
問われたヒルディアは、穏やかな笑みを浮かべる。
「はい、おかげさまでたくさんの記憶が戻りましたわ。まだ混乱していたり、おぼろげにしか思い出せないこともありますけれど、こうして歩いている間にも、断片的な過去がつながり続けています」
「そうか……」
昨晩、彼女は話を聴いている間にも、次々と記憶を取り戻した。
スイガが話していると、内容に合わせて表情が変化し、時には声をあげて反応した。
すべてを語り終える頃には、熊退治直後からの不安げな表情が消え、代わりに、どこか恍惚とした顔で彼女はスイガを見つめていた。
スイガは念のため、朝までの歩哨を引き受け、ヒルディアに眠るよう命じた。
安心した様子で眠りについた彼女は、日の出とともに起床すると手早く身支度を済ませ、出立するとスイガよりも先を進んだ。
何も聞かずとも小屋への道のりを正しく進んでいることから、彼女が急速に記憶を取り戻しつつあるというのは本当なのだろう。
喜ぶべきことではあるが、スイガの中では、本当にこれで良かったのだろうかという、迷いもあった。
彼女が失った記憶のほとんどは、己との師弟関係が成立して以降のものだ。
ということは、記憶を取り戻さなければ、彼女の強さへの執着も消えたままだったかもしれない。
そして強くなることを放棄すれば、ヒルディアは人並みの幸せを求められるようになったのではないか。
思えば、この五年程の修行の日々は、彼女には地獄のようなものだったはずだとスイガは考える。
それほどまでに、スイガは一切の容赦なく鍛えたのだ。
あんな日々の記憶を、一度は失ったというのに、ふたたび思い出させるなど、あまりに酷な仕打ちだったのではないか。
だがそれでも、己は自らの意志と行動で、彼女に記憶を取り戻させた。
何故かと自問すれば、自分の予想をはるかに超えて育まれた彼女の強さが失われるのが看過できなかったからだ。
要するに、己のエゴだ。
弟子の幸せよりも、自身の望みを優先したことを、スイガは後ろめたく思う。
そのうえで、ヒルディアが記憶を取り戻したのであれば、せめて今後も強さを探求する彼女を全力で支えようと思うのだった。




