第十四話 『山小屋の夜』
灰が敷き詰められた真四角の炉、スイガいわく囲炉裏というらしい、その前で、ヒルディアは姿勢を崩してぐったりしている。
先ほどまで、素振りを終えた高揚に包まれていたが、ランナーズハイのような状態が収まると、途端に疲労困憊であることを自覚し、まともに座っているのも難しくなった。
だらしない格好で半ば横たわるように座っていると、こんな行儀の悪い姿勢を誰かに晒したことなどないと気付く。
貴族の子女が人目もはばからずに姿勢を崩したりすれば、軽蔑の眼差しを向けられ、状況次第ではそれが噂となって広まり、名誉を損ねることさえあっただろう。
しかし、向かって右側に座り囲炉裏の上に吊るした鍋の中を窺っているスイガは、ヒルディアの姿を気にした様子もない。
それどころか、楽にするよう彼女に伝えたのは、他ならぬスイガだった。
ひどく疲れたが、その疲労が心地よくもあるとヒルディアは感じている。
囲炉裏の中で燃える炭の発する熱はあたたかく、板の間の床はひんやりとして気持ちが良い。
スイガに言われて靴を脱いでいるのも、開放感があって新鮮だった。
この小屋に到着した当初は、こんな廃屋で暮らすのかと愕然としたが、既にそれも悪くなさそうだと感じ始めていた。
「……そろそろか」
そうつぶやいてスイガは鍋の中身を椀に掬うとヒルディアに差し出した。
「できたぞ。晩飯だ」
ヒルディアは身を起こすも、差し出された椀を見つめるばかりで受け取らない。
「どうした?」
「あの、師匠……私あまり食べたくないのですけれど」
反吐を吐くほどの運動は、かえってヒルディアの食欲を失わせた。
「無理にでも食え。運動の後の食事は体作りに不可欠だ」
「でも、また吐いてしまうかもしれませんわ」
「その時はその時。それに、あまり腹の負担にならぬよう考えて作っている」
そこまで言われては従わないわけにはいかない。
ヒルディアは椀を受け取り中を覗き込むと、微かに顔をしかめた。
どろどろに煮込まれた雑穀の中に肉や野菜が混ざっており、先ほど己が地面にぶちまけたものを思い出す。
それでも、スイガが己のためを思って作ってくれた以上、突き返すわけにはいかない。
木製の匙ですくっておそるおそる口へ運ぶ。
口に含んだ瞬間、彼女は大きく目を見開いた。
「……お、おいしい、ですわ」
「鳥のガラを煮込み、香草で臭みをとった汁で雑穀を炊いてみた。うまく味がまとまったな」
適度な塩気に食欲を刺激する香り、そして肉のうまみが口内に広がり、匙が止まらなくなる。
味ばかりではない。
柔らかく煮込まれているためいくらでも喉に流し込める。
あっという間に平らげると、すかさずスイガが尋ねる。
「おかわりは?」
「いります!」
ふたたびスイガが椀によそうと、ヒルディアは今度ははしたないほどの勢いで掻き込む。
「慌てて食べると口の中を火傷するぞ」
「はふ、はふ、らいじょ――あふっ!」
囲炉裏の前に置かれた、水の注がれているカップを慌てて口へ運ぶヒルディアを見て、スイガは微苦笑した。
食事を終えたヒルディアは、腹をさすりながらつぶやく。
「師匠がこんなに料理上手だとは思いませんでしたわ」
「旅の間、人里の外では自炊が基本だからな。それに、長く放浪してきていろいろな土地の食べ物を口にしてきた。自然と調理の知識と技術も身についたのだ」
「そうなんですのね。あの、師匠にばかり料理をお任せするわけにはまいりませんので、私にも教えてくださいな」
「いや、其処許は己が強くなることだけに集中するんだ。少なくとも当面は、修行でへとへとの状態で炊事などできまい。しばらくの間は、家事全般すべて己に任せて良い」
それでいいのだろうかとヒルディアは疑問に思う。
普通、弟子の方が師に尽くすものではないのか。
「それに、栄養管理も師である己の役目だ。其処許の貧弱な体を一刻も早く仕上げるため、肉体作りに適した食事を用意する」
そう言って、スイガは一瞬考え込む。
「……先ほどの雑炊、卵があればなおよかった。近いうちに近隣の村で鶏を分けてもらうか。そうすると鶏舎も建てなければな」
「村? 近くに村があるんですの?」
「ああ。といっても、最寄りの村でも山をいくつか超えた先だが」
己の問いに対するスイガの答えを聞いて、ヒルディアは初めて疑問を持つ。
「あの……先生、ここは何処なんですの?」
「ん? 何処、とは?」
「えっと、デールラント領内ですの?」
「いや、違うはずだ」
「では、私たちは東へ向かっていたはずですから、キヴリス、もしくはカラバーニュの領内に入ったのでしょうか」
「どちらでもない。この山岳地帯は何処の国も領有していないはずだ」
デールラントの東の果てからさらに南東へと走るその山脈は、険しい地形ゆえに人が生活するには不向きだ。
しかも、土地には岩が多く開墾が困難であり、仮に切り拓いて耕したところで作物は育ち難い。
これといった鉱山資源にも恵まれていないため、領地としての魅力がなく、周囲の国からは見放された土地だった。
「ただ、そんな場所にも村を築き細々と暮らす人たちはいる。それと、無政府地帯ゆえ、盗賊の住処にもなっている」
「と、盗賊?」
不穏な単語に、ヒルディアの表情が曇る。
「安心しろ。少なくともこの近辺の賊は己が一掃した。もっとも、ああいった手合いは地虫の如くいくらでも湧いて出るゆえ安心はできんがな。当面はひとりで遠出などせぬことだ」
「一掃って……やっぱりここは師匠と所縁のある土地なんですわね?」
小屋に着いた時、半年ほど滞在していたと聞き、スイガにとって馴染みのある場所なのだということは察していた。
「ああ。西に向かって旅している途中、この近辺の山を越える際に、たまたま盗賊に襲われている村人を助けてな」
村に招かれたスイガは、盗賊の討伐を請われて引き受けた。
そういった仕事には慣れていたため、ねぐらを見つけ出して夜襲をかけ一網打尽にするのは難しくなかった。
ただその際に軽傷を負い、もとより放浪に疲れていたこともあって、盗賊退治の報酬として村人の使う猟師小屋を譲り受け、ゆっくりと養生したのだ。
「それがこのボロ小屋ですの? 盗賊退治の見返りとしては、いくらなんでもワリに合わないのではありませんこと?」
「貧しい村だからな。無茶な要求はできんさ。それに、ここに滞在中はなにかと食料や物資を届けてもらった」
「村には、住まわせて、くれなかったんですの?」
「いやむしろ滞在するよう懇願された。用心棒代わりにな。しかし、ひとつ所に長く居れば、しがらみが生じて離れ難くなる。ゆえに遠慮した。実際、ここを発つ際、挨拶に出向いたところ、惜しまれ引き留められた」
スイガが旅する目的は、己の剣と戦の知識を活かして多くの人を助けつつ、荒事を生業とすることでさらに腕を磨くためだ。
請われるまま村に滞在などすれば、村の娘でもあてがわれて、なし崩し的に留まるよう仕向けられたかもしれない。
それを無理に拒んでモメるのも面倒だ。
そういうことがあるので、スイガは旅を続ける中、仕事で必要な場合を除いて積極的に人とかかわろうとはしてこなかった。
「あれからまだ数か月だ。戻ったと知らせればおそらく歓迎されるだろう。しばらくここに滞在する以上、適度に距離をとりながらうまく付き合っていきたい。近いうちにふたりで挨拶に――ん?」
スイガはヒルダが舟を漕いでいるのに気付いて話を中断する。
「……そうだな。今日はもう休もう」
そうつぶやいて腰を上げた。




