第十二話 『修行』
「……この建物は、なんですの?」
ヒルディアは目の前の小屋を見上げながらつぶやいた。
「我らの住処だ。当面はここで寝起きする」
「住、処?」
馬から荷を下ろしながらスイガが答えると、ヒルディアは唖然としつつ疑問を口にする。
「……こんなところに、人が住めるんですの?」
大きさだけとっても、己の実家の犬小屋にさえまったく及ばない。
人ふたりが同居するには、あまりに手狭ではないか。
しかも、建材はところどころ朽ちて剥がれ、今にも倒壊しそうだ。
「問題ない。屋根と壁さえあれば、雨風は凌げる。人が暮らすには十分だ」
「いえ、これでは雨漏りや隙間風が入り込むのでは?」
表情を引き攣らせるヒルディアに、スイガはため息交じりに告げる。
「修練に入る前から泣き言か? よもや、指導の条件を忘れたわけではあるまいな」
そう指摘され、ヒルディアは慌てて否定する。
「も、もちろん、忘れてなんていませんわ! 今のは泣き言ではなく、ただの疑問ですわよ!」
「ならいい。まずは荷解きだ。其処許も手伝え」
「わかりましたわ」
ヒルディアはなおも小屋を横目で見つつ、馬に括りつけた荷物に手をかける。
ヒルディアから懇願され弟子入りの申し出を受け入れたスイガだったが、彼女を指導するにあたって二つの条件を設けた。
まず、一度でも弱音を吐いたら、そこで師弟関係は解消する。
あるいは、スイガがヒルディアに対し、成長の余地を見いだせなくなっても、その時点で指導は止める。
ヒルディアはその条件を受け入れた。
翌日、予定通り市で物資の補給を済ませると、ふたりは町を出て東へ向かった。
「私たちはこれから何処へ向かいますの?」
馬を走らせながら、ヒルディアはスイガにそう問うた。
「修行に相応しい場所だ。幸い、心当たりがある」
「相応しい場所?」
「古今東西、武の道を志す者が修練する場所といえば、山と決まっている」
その言葉通り、ふたりはデールラントの南東に聳える山脈地帯へと向かった。
そうして山をいくつも超えた先にたどり着いたのが、件のあばら家だった。
小屋の近くの木に馬を繋ぐと、ヒルディアはスイガに続いて屋内へと足を踏み入れる。
「あ、あら?」
意外にも、中は外観に比べて小ぎれいだった。
扉から入った土間の先は板の間となっており、床には薄っすら埃が積もっているものの、それでも板材は光を反射するほど磨き抜かれている。
「外に比べると、最近改装されて、人が住んでいたようにも見えますわね」
「それはそうだ。半年足らずだが、己が滞在していたからな」
「そうなんですの?」
「ああ。内装も暇だったので己で整えた」
「ご、ご自分で?」
掘っ立て小屋とはいえ、自分で家をリフォームするというのがヒルディアには想像もできない。
屋内を見回していると、スイガが板の間に荷物を置きつつヒルディアに向き直る。
「よし。では早速修練を始める。荷物を置き外套を脱いだら外へ出よ」
「え?」
朝から、というかここ何日も山道を歩き通しでくたくたのヒルディアは、スイガの言葉に困惑する。
「あの、今着いたばかりなのですけれど」
「そうだな」
「今日ぐらいは休みませんの?」
「ヒルダ」
名を呼ばれ、ヒルディアは背筋を伸ばす。
「なんでしょう」
「強くなりたいというが、実際どの程度の武力を身に着けたいと考えている?」
その問いに、一瞬考え込む。
強くなりたいというのはスイガと一緒にいるための方便なのだから、〝どの程度〟強くなりたいかなどと想定すらしていない。
ただ、上限を決めてしまえば、そこに到達した時点で修行は終わってしまうと考えられた。
であれば、問いに対する答えはおのずと導き出される。
「限界などなく、誰よりも、どこまでも、強くなりたいと考えております」
「そうか。つまり、最強を目指すということか」
「え? え、ええ」
スイガは深く息を吐きながら、ゆっくりと二度頷いた。
「其処許の本気は、弟子入りを懇願された時から感じていた」
「そ、そうですの?」
「だが、武の道は長く険しい。それでいて其処許は十代も半ばにして剣を持ったこともないという。率直に言って入門が遅すぎる。ゆえに、己は今から其処許を鍛えるための時を、一瞬たりとも無駄にするつもりはない。修練の間はもちろん、飯を食い床で寝ている時間さえこれからは修行と心得よ」
「は、はい!」
「だから旅で疲れているからといって休ませるつもりもない。諒解したなら早く外へ出よ」
「わかり、ましたわ」
ヒルディアは荷物を置いて上着を板の間へ放ると、足早に小屋の外へ向かう。
スイガもその後に続きながら考える。
今伝えたことに偽りはない。
ただし、修行を急ぐ訳はもうひとつある。
しかも、どちらかといえば、そちらが本命の理由だ。
いくら強くなりたいと意気込んだところで、温室育ちのヒルディアが厳しい修行を耐えられるとは、スイガには思えなかった。
仮に、驚異的な精神力を発揮して心が折れなくとも、体が修行についてこられないだろう。
であれば、早々に諦めさせるか、己が見切りをつけてやることが、彼女のためになるはずだ。
ヒルディアはまだ若く、美貌に恵まれている。
叶わぬ望みは早々に断ち切り、素質を活かして未来を切り拓いていくよう導くことが彼女のためだろうとスイガは考えている。
「……とはいえ、望みを無下に否定すれば後悔が残るだろうからな」
だから、彼女が納得するまでは、己も本気で指導しようとスイガは決めている。
外に出ると、ヒルディアは肌寒さのため身を縮ませ、両腕を擦りながら待っていた。
「あ、師匠!」
そう呼ばれ、スイガは首を傾げる。
「師匠?」
「ええ、今から弟子なのですから、そう呼んだ方が良いでしょう?」
「ん、まあそうか」
「それより師匠、たいへんなことに気付きましたわ!」
「どうした」
「私、剣を持っていませんわ! これでは剣の修行なんてできないのではなくって!?」
こんなことなら、自分を襲ったあの従騎士たちの武器を拾っておくべきだったとヒルディアは思う。
「それなら問題ない。己の予備が荷物の中にあるので、それを使うといい」
「まあ! 先生の武器をお貸しいただけるんですの!? ありがとうございます!」
「ただ、其処許が刀を握るのは、先の話だ」
「へ? なんでですの?」
「まずは体を鍛えねば話にならん。その細腕ではまともに剣など振れんし、体力もまるで足りていない」
ここまでともに旅をしてきて、ヒルディアはそこらの村娘にさえ体力で劣るとスイガは気付いていた。
「というわけで、まずは走り込みだ。とりあえず、小屋の周りを三十周してみろ」
「この小さな小屋の周りを、ですの?」
「さよう」
ヒルディアは余裕の笑みを浮かべ、ムフーっと鼻息を吐く。
「さすがに私を侮りすぎですわ。温室育ちといっても、舞踏会で踊るための練習は欠かしませんでしたし、意外に体力はあるんですわよ?」
「いいから早く行け」
「はいはい、修行って意外と楽そうですわね。それとも師匠が私に甘いのかしら」
そう言って走り始めたヒルディアだったが、十周したところで小屋の前で膝をつく。
「ぜっ! ぜっ! ……お、おか……おかじい、ですわ! い、息が、続か、な……!!」
土気色の顔色で胸を押さえながら喘ぐヒルディアに、スイガが歩み寄る。
「ここまで馬頼みで登ってきたから気付かなかったようだが、山の上では少しの運動で息が切れる」
「そっ、ゆぅこと……先に言って、くださいまし……!」
ヒルディアは歯を食いしばりながら立ち上がると、ふらつきながらもふたたび走りだす。
「……まあ、さすがにこの程度では心折れんか」
ほどなく三十周走り終えたヒルディアは、小屋の前に倒れて大の字になる。
「や、ゲホッ……やり、遂げ……ましたわ」
「準備運動をな」
歩み寄って顔を覗き込んだスイガの言葉に、ヒルディアの顔が引き攣る。
「……じゅんび、うんどう?」
「心配するな。今日は初日ゆえ、あとひとつ課題をこなしたら終わりで良い」
スイガはヒルディアが走っている間に、落ちていた木の枝から削りだした木刀を差し出す。
「素振りだ」
「素振り?」
そういえば、とヒルディアは思い出す。
実家の騎士も訓練のためよく剣を振っていた。
「やり方はこう、木刀を振るのに合わせて体を前後に動かす。腕と足の動きを連動させるのだ」
そう言って手本を見せると、スイガは木刀を差し出す。
「さあ、立て」
ヒルディアは体を裏返しゆっくりと立ち上がる。
「わ、かり、ましたわ」
「よし。今日は千回でいい」
「せん、かい?」
聞き間違いかと思い、問い返す。
「え、素振りの回数、ですわよね? 何回と、おっしゃいまして?」
「千回」




