第十話 『狩りと野宿』
ふたりが住んでいるという小屋へ帰るには、山をふたつほど超える必要があり、村を発った時、既に日が傾きかけていたこともあって、野宿する必要があった。
山の中の獣道を歩いていると、スイガがおもむろに足を止める。
「……このあたりにするか」
そう言って荷物を地面に下ろす。
ヒルディアが視線を巡らすと、開けた地形で周囲を見渡しやすく、獣が襲ってきても対応しやすそうだと気付く。
「薪を集めるぞ」
「は、はい師匠」
落ちている枯れ枝を拾っていると、近くの木の上から鳥の鳴き声が聞こえてくる。
「こんな鳥の鳴き声、王都では聞いたことがありませんでしたわ」
「夕鳴き鳥だな。山鳥ゆえ都会ではまず耳にすまい」
ヒルディアは目を閉じ耳を澄ませる。
「……なんだか可愛らしい鳴き声ですわね」
記憶喪失に熊の解体と、不穏な状況が続いていただけに、ヒルディアはのどかな鳥の声に慰められた気がして、口元に微笑を浮かべる。
「そうか。それはそうと、ちょうど良いからその鳥は晩飯にしよう」
ぎょっとしてスイガを窺う。
「食べますの!?」
「うむ。日暮れ直前で獲物を見つけられたのは運が良い」
「ほ、他に食べるものはございませんの!?」
「憶えていないのだろうが、修行の一環で野営の際にはその場で食料を調達するよう決めているのだ」
「うぅ、なんですの修行って……」
渋面を作りつつ、ヒルディアが鳴き声のする樹の上に視線を向けると、鳩ほどの大きさの鳥が枝に留まっているのが見えた。
「あ、あんな高さでは、剣は届きませんわ。弓矢でもあればどうにかなるのかもしれませんけど、私も師匠も持っていませんし」
「問題ない。これを使え」
そう言ってスイガが鞄から取り出したものを受け取り、ヒルディアは両手で持って見つめる。
「これは――」
「うむ、思い出したか」
「ヒモパン!」
「違う。スリングだ」
ヒルディアは一部分だけが広くなっている革紐をしげしげと観察する。
「てっきりスケベなデザインの下着かと」
「なんでだ。山の中で脈絡なくそんなものを手渡したらヤバいやつだろ」
「えっ、それはその……やっぱりそういう用途で――」
スイガの向ける凍えるような視線に気付き、ヒルディアは口を噤む。
「スリングとは、投石器だ。おまえは記憶を失くしていても熊を解体できたな。であればこいつの使い方も体が憶えているはず。これでしとめてみよ」
そう言ってスイガは身を屈め、足元の石を拾ってヒルディアに手渡す。
しかし彼女には、革紐を使ってどう石を投げるのか、まるで見当がつかない。
「そんなことを言われましても……」
困惑しながらも、紐の先に輪があるのに気付いて、ヒルディアは右手の指を通す。
「こんなただの革紐で――」
もう一方の先端も右手で持ち、紐の中央の広がった部分に石を乗せる。
「いったいどうやったら狩りなんて――」
右腕を振りかぶって回すと、石の重さに引っ張られ、革紐は音を立てて回転する。
「できるんです、の!」
握った革紐の一方を放すと、遠心力を得た石が鳥に向かって投擲される。
「ピチチ、ピチチチチピギィエ!」
弾けるような音とともに鳴き声が途切れ、樹上の夕鳴き鳥は羽を散らして落下した。
「……えぇ」
ヒルディアは宙に舞い散る鳥の羽毛と右手にぶら下がる革紐を交互に見る。
「やはり、使い方は体が憶えていたな」
「石、ものすごい勢いで飛びましたけれど」
「武器なのだから当たり前だろう」
何故己が武器の扱い方や獣の捌き方など教えられたのか、ヒルディアには見当もつかない。
スイガは、もの問いたげなヒルディアに背を向けて数歩歩くと、草むら落ちた夕鳴き鳥を拾い上げる。
首をつかまれた鳥はぐったりとして動かない。
「頭に当てて即死させている。さすがだな」
戻ってきたスイガが差し出した鳥は、頭が砕けて飛び出した眼球が神経でぶら下がっていた。
「グッロい、ですわ」
顔を顰めるも、言うほど嫌悪を感じていないとヒルディアは気付く。
王都にいたころの己であれば腰を抜かしてもおかしくなかったはずだが、むしろ心は獲物を仕留めたことで浮かれてさえいる。
熊の解体といい、いったい自分はどうしてしまったのか。
「さて、己も自分の食べる分を獲らねばな」
再び己から遠ざかりながらスイガがそうつぶやき、ヒルディアは我に返る。
「あ、ではこれを――」
「いや、必要ない」
スリングを渡すためヒルディアが駆け寄ろうとするのを、スイガは手で制する。
彼女が止まると、かざした手を下に向け、傍らに聳える木の根元に差し入れる。
身を屈めると、どうやら穴が開いていたようで、腕が深く沈んでいく。
獣の小さな鳴き声がヒルディアの耳に届き、スイガが立ち上がりながら腕を引くと、耳をつかまれたウサギが姿をあらわした。
「鳥を拾った時に偶然巣穴を見つけてな」
そう言ってスイガはヒルディアの方へウサギを突き出す。
「鳥よりも食いでがありそうだ。ヒルダ、今日はお前が働いた日だ。あれだけ動けば腹も減っているだろう。こちらの方がよければ交換するが、どうする?」
ウサギは手足をばたつかせるが、スイガの手から逃れることはできない。
そのつぶらの瞳を向けられ、ヒルディアはおもわず目を逸らす。
「い、いえ、けっこうですわ」
「そうか。ではこれは己がいただこう」
そう言ってスイガは、ウサギの首をひねり一瞬で〆た。
食事を終えたヒルディアは、目の前の焚火を見つめながらため息を吐いた。
その全身には、鳥の羽毛が付着している。
焼く前に毟ったためだ。
空気が乾燥しているためか、払っても払っても羽毛は静電気で体にまとわりついた。
鳥臭い、とヒルディアは思う。
せっかく、長く川に浸かったことで血生臭さが薄れたというのに台無しだ。
こんなことならば、ウサギと交換してもらえばよかった。
「……やはり不安か」
「あ、え?」
焚火の向こうのスイガが己に気遣わしげな視線を向けているのに、ヒルディアは気付く。
「無理もない。記憶を失っているのではな」
「あー……はい、不安で仕方ありませんわ!」
「そうか。いや、なんか一瞬で元気になっていないか?」
「いいえそんなことありませんわ!」
ヒルディアは顔を覆って身をくねらせる。
「もうずっと心細くって……ですから、傍に行ってもよろしいですわよね!」
腰を上げ焚火の半反対側へ移動しようとするヒルディアを、スイガは嗜める。
「何言ってる、ダメだ。野宿で焚火をする際は、必ずこうして向き合うと教えただろう。いや、それも忘れているのか」
「な、なんでですの!?」
「灯りに気付いた獣や野盗が奇襲を仕掛けて来ることを想定し、互いの背後を見張れるようにするためだ。わかったらそのままそこに座っていろ」
「うぅ、はいぃ」
ヒルディアは上げかけた腰を下ろし、渋面を作る。
村長の助言に従い距離を縮めようと試みたのだが、取り付く島もない。
「そう落ち込むな。熊の捌き方に続いてスリングの使い方も憶えていたのだ。遠からず記憶も取り戻すはずだ」
「そうでしょうか」
「ああ。ただ、少しでも早く思い出したいだろう? そこでだ、おまえが記憶を失った期間の出来事を話してやろう。うまくすれば、それが呼び水となって記憶が蘇るかもしれぬし、そううまくいかなかったとしても、自分の置かれた状況を理解できるだろう」
思いがけぬ提案に、ヒルディアは息を呑む。
ここまで熊やら鳥やらでそれどころではなかったが、なぜ結婚を申し込まれたはずが師弟になっているのか、ずっと知りたかったのだ。
直接問うのが怖くてここまで訊けないでいたが、スイガの方から話してくれるのなら願ったりだ。
「ええ……是非、お聞かせくださいまし」
「記憶があるのは、五年前のあの森で助けた直後までだったな。ではその後から話そう」
そう言うとスイガは、ヒルディアとの今に至るまでの過去を語り始めた。




