第3話 - 吸血鬼はやっぱり性格が悪い
「お母さんが、ひっく……すごく病気で、ひっく……長老様は……」
この子の話をよく聞いていれば、だいたい何を言いたいのかは分かってきた。母親がひどい病気なのに、長老とやらは「それも自然の摂理だ」とか何とか言って、そのまま死なせようとしている――まあ、そんな話らしい。
普段の俺なら、その長老だか何だかの言う通り、死ぬのも自然の摂理なんだと子供を宥めるところだが……。
「そうかぁ。それは困ったなぁ……」
どうやら、俺の中の俗物はそう思わないらしい。
「それで、そのエルフ族の宝物ってやつ、ちょっと見せてもらえないか?」
「ダメ! お兄ちゃんもお姉ちゃんも強いけど、まだ信用できない! 信用できない人には見せられない!」
抜け目ないガキだな。
もちろん、こんな鼻垂れの子供から宝物を持ち逃げする気なんてなかったが、教育だけはしっかり受けてやがる。
もう一度言っておく。
本当に持ち逃げする気はなかった。
「何をそんなにモタモタしてるの。あれが子供に見える?」
俺が子供相手に手こずっていると、ルヘルはじれったそうな顔をして俺を後ろへ押しやり、その子の正面に腰を下ろした。
「おい。あんた、もういい歳なのは分かってるから、くだらない芝居はやめて真面目に話せ。見てて気持ち悪い」
「子供相手に何言ってんだよ……。さすがにひどくないか……?」
「ガキもクソもないでしょ。こいつ、エルフよ。エルフの平均的な成長速度から考えたら、あんたより軽く四十歳は年上のはずだけど」
一瞬、沈黙が流れた。
俺より四十歳も年上?
向かいに座り、大きな瞳をきらきらさせている子供が、縋るような目で俺を見つめている。
いや、そんなわけがない。
こんなに可愛いのに? どう見たって、せいぜい十代前半くらいだろ。そんな子が俺より四十歳も年上だなんて。
俺は今年二十三だから、そこに四十を足すと……。
あまりの衝撃に眩暈がして、首の後ろが強張った。その瞬間、激しく泳ぐ俺の目と、エルフの子供の金色の瞳がぶつかった。
すると子供――いや、『それ』は、深々とため息をついた。
「はぁ……バレちまったか。ったく、ちょっとくらい騙されてくれたっていいだろ? ほんと、クソ真面目なのがあの蚊どもの特徴なんだよな」
その衝撃に耐えきれず、俺はしばらくテーブルに寄りかかったまま項垂れた。二人はそんな俺など眼中にないように、互いに殺気のこもった視線をぶつけ合いながら話を続ける。
「今、何て言った? 蚊ども?」
「あら、ごめんなさい、お姉さん。蚊じゃなくてヒルだったかしら?」
「そう。森の中で草でも食ってる蛮族に何を期待しても仕方ないわね。私が大目に見てあげるしかないか」
「……喧嘩売ってんの?」
「先に売ってきたのはそっちだけど、あいにく売られた喧嘩を買わずにいられる性格じゃないの」
荒れに荒れる言い争いを聞いていた俺は、ついにテーブルをバンと叩き、向かいに座るエルフを見た。
「頭がくらくらする……。まあ、それは置いといて。あんたもいい歳なんだろ。もう腹割って話そうぜ。どこまでが本当なんだ?」
「お兄ちゃん……それ、どういう意味……? どこまでが本当って……」
「クソ、お前、見た目と中身のギャップでマジで吐きそうなんだよ。ふざけてんじゃねえ、ちゃんと答えろ。お前の本当の素性も何もかも、全部だ」
俺がぞっとして身をぶるりと震わせると、エルフは一度舌打ちしてから口を開いた。
「私はトゥレインの森から来たシーケ。まあ、病人がいるのは本当だよ。でも母親と長老の話は嘘。病人は私の年下のきょうだいだから。そいつのためにサラマンダーの心臓が必要なのも本当。これでいい?」
「そうだな。それと、一番大事な話が残ってるだろ?」
「ああ、分かったよ。報酬のことでしょ。これ」
シーケは上着のボタンを一つ外すと、その内側から紐に通された青い石を取り出し、テーブルの上へ置いた。
「これは?」
「うちに代々伝わってるアーティファクト。身につけた者の回復力をもっと高めてくれる。まあ、例えばある程度血を流しても、アーティファクトが発動すれば失った分がすぐ補われて、死ぬところまではいかない……みたいな」
シーケの話を黙って聞いていたルヘルが、突然立ち上がった。
「やる。サラマンダーだっけ? それ、倒す。だからそれ寄越して」
「イカれてんのか!? 何で勝手に決めるんだよ! そんな必要もない物のために死地へ突っ込むバカがどこに――」
「いや、私は必要。何が何でも欲しい」
流れる涎を拭いながら、舌なめずりするルヘル。
あのクソ女、どうにかして俺の血をもっと搾り取るために、あのアーティファクトを手に入れるつもりだ。もう『血の飲み放題』の可能性に完全に目がくらんでいて、止めようにも止まりそうにない。
ルヘルの態度が完全に固まったのを見て、シーケは困惑したように頷いた。
「え、ええ……。そ、そう……まあ、サラマンダーさえ倒してくれるなら……」
そもそもサラマンダーを倒すのは俺じゃないんだから、もう俺に拒否権はなかった。よりにもよって血に飢えた女にあんなアーティファクトを見せたんだから、目の色が変わらない方がおかしい。
手に入っても絶対に売り飛ばす。
あれはこの世に存在しちゃいけない物だ。
そう固く決意した俺は、デザートワームの討伐報酬を手に席を立った。これから相手にするのは、よりにもよってAランク魔獣だ。この装備のまま挑むなんて、さすがに無理がある。
「金も入ったし、装備を見に行きましょう」
* * *
むせ返るような鉄の匂いが立ちこめる空間。
鍛冶師は真っ赤に熱された鉄塊を何度も槌で叩き、その強度を高めている。その打撃音が鼓膜を埋め尽くす鍛冶場へ入った俺たちは、辺りの様子を窺った。
「何だ? 客か?」
目につけていたゴーグルを外し、汗を拭いながら、ずんぐりとした背丈のドワーフが一人こちらへ歩いてきた。
「こんにちは。ちょっと武器を見せてもらいたくて……」
「ワシはここの親方、パーネルじゃ。ざっと見たところ、兄ちゃんは大剣でよさそうじゃな。そっちの姉ちゃんはハルバードか?」
「あ、はい。その通りです。どうして分かったんですか?」
「何十年もこの仕事をしとれば、それくらい分かる。ついてきな」
パーネルについて歩いていくと、鍛冶場で作られた完成品を並べた売り場があった。
さすがドワーフ製の武器。
どれもこれも、値段がえげつない。
「あの……もう少し安いやつってありません?」
「何に使うのか、聞いてもいいかの?」
適当に高位の魔物を狩る予定だと誤魔化そうとした、その時。
ルヘルが横から会話に割り込んできた。
「サラマンダー。見たことはないけど、硬いっていうから、いいやつ出して」
「ちょっと! ルヘル! そんな失礼な言い方しちゃダメでしょう! こっちはクソ貧乏で、値切らなきゃならないくらいなのに……!」
デザートワームを山ほど狩ったとはいえ、最低限の生活費を残せば、実際に武器へ回せる金なんて大した額じゃない。
なるべく機嫌を取りながら、少しずつ値切るつもりだったのに、この空気の読めないバカ女のせいで全部台無しになりそうだ。
「ふむ、サラマンダーか……。お前さんたち、本当にサラマンダーを狩りに行くつもりなのか?」
「そう。だから黙っていい武器を――ぐっ!」
「はは、そうなんです。Aランク魔獣のサラマンダー。ご存じでしたか。さすが、こんな立派な鍛冶屋の親方だけあってお詳しいですね」
慌ててルヘルの後頭部へ拳骨を落とした。
まるで初めて殴られたかのように目にうっすら涙を浮かべ、鼻息を荒くしているルヘルを思いきり睨みつける。すると彼女はびくりと身をすくめ、俯いたまま隅の方へ歩いていった。
このクソ女、マジで俺の人間関係ぶっ壊す気かよ。
イカれた連中や、人を引き裂いて殺す魔獣がそこら中にうようよしているこの世界では、装備を作る鍛冶師は高い待遇を受けている。特に俺みたいな冒険者にとって、その存在は大きい。
金も実績もない冒険者がいい装備を手に入れようと思えば、多少みっともなくても、こうやってお世辞の一つや二つ並べるしかない。『百匹のワーウルフより十人のドワーフ』なんて言葉がこの世界にあるのも頷ける。
「口の利き方が妙だと思ったが……お前さん、もしかして吸血鬼か?」
「そうだけど?」
「どうりで礼儀がなっとらんと思ったわ。ならワシも大目に見よう。吸血鬼じゃ仕方ないからの」
「それ、どういう意味? ちょっとムカつくんだけど」
また喧嘩を始めそうなルヘルを見て、俺はもう一度拳を持ち上げ、怒った顔を向けた。
ルヘルは何も気づいていないふりをして、興味もなさそうな武器を眺め始める。
こうして見ていると、吸血鬼って種族そのものについて流れている噂は、案外本当なんじゃないかという気がしてくる。
掘れば掘るほどろくでもない話ばかり出てくる、吸血鬼という種族。
「吸血鬼だから悪く言うんじゃない。悪く言った相手が吸血鬼だっただけだ」
なんて言葉まであるくらいだ。
たった数日ルヘルと暮らしただけで、少しずつ実感し始めているあたり、やっぱり集合知ってのは間違ってないらしい。
「まあ、それは置いといて。お前さん、サラマンダーを狩ると言ったが、本当に成功できるのか?」
「ええ、まあ……」
ちらりとルヘルを見る。
ぼんやり周囲を見回しているだけなのに、そこはかとなく漂う傲慢さ。性格だけ見れば頼りにくいことこの上ないが、実力だけは本物だ。
否定しようがないほど、最強種の片鱗を見せつけている。
「まあ、ああ見えて吸血鬼なんで、実力だけはとんでもないですよ」
そう。
それだけは変わらない。
だからこそ、ルヘルと行動を共にするメリットが生まれる。何もかも帳消しにできるほどの武力さえあれば、それでいい。
「なら、武器を二つタダで貸してやろう。壊れても構わんから、好きなのを選べ」
「えっ。いいんですか? こんな高そうな物を……」
「男に生まれたからには、一度口にしたことは曲げん。その代わり、サラマンダーの鱗を何枚か持ってきてくれ。それを代金代わりにしよう。持ってこられなければ、きっちり弁償してもらうからな。必ず持ってこい!」
なんとも心温まる展開だった。
俺とパーネルが揃って鼻をこすりながら、ロマンに浸っていた、その時。
空気をぶち壊すようにルヘルが口を開いた。
「じゃあ、私はこれ。どれもこれも貧相なのばっかりだけど、これはまだマシそうね」
ルヘルが手に取ったのは、見るからに超高級品だと分かるハルバードだった。
そもそも鉄製にすら見えない。深い光沢を帯びた暗い色合いからして、どう考えても並の武器じゃなさそうだ。
こんな高そうな物まで持っていっていいのか?
パーネルの顔色を窺った瞬間、その答えはすぐに分かった。
「そ、それは……。いや、貸してやってもいいんじゃが……本当に人生で一度きりだと思える、そんな瞬間に生まれた傑作でな……。他の物なら全部構わんのじゃが、その子だけはちょっと……。いや、別に言ったことを撤回するつもりではなくてな、その子は丁寧に……」
真っ青になった顔を伝う冷や汗。
からからに乾いた唇。
動揺しているのか、話まで完全に支離滅裂になっている。
他はともかく、あのハルバードだけはどう見ても持っていっちゃいけないやつだった。
だが、ルヘルはにやりと笑った。
「持っていっていいってことでしょ? ね? まさか『男に生まれたからには、一度口にしたことは曲げない』なんて言っておいて、今さら女々しく撤回したりしないわよね?」
ドワーフは生まれつき、筋金入りの男気を重んじる種族だ。
酒と槌仕事、荒々しい髭や体毛にまみれた『漢』を自称する連中である。そんな連中に向かって「女々しい」と煽るルヘルの一言は、ほとんどチートコードみたいなものだった。
『吸血鬼、マジでクソ怖ぇ……』
やっぱり吸血鬼って、性悪さの次元が何か違う。
間違いない。




