02 秘書省
朝議が終わると璙雲は皓月を伴って、官衙が立ち並ぶ外廷へと向かった。眞王が私的な生活を営む内廷と異なり、三省六部をはじめとする数多の中央行政機構が立ち並ぶ外廷はいつ来ても人で溢れており、賑やかだ。
璙雲の姿を見るたびにすれ違う官吏が足を止めて頭を下げようとするので、片手で制して仕事に戻るように促した。
それを見た皓月が、肩をすくめて小さく笑った。
「いちいちまどろっこしいなぁ。こんなことなら輿でくればよかったのに」
眞王が移動の際に乗る輿を玉輦と呼ぶ。車体は威圧感を与える黒漆塗りで、側面には、吉祥文様である牡丹や菊が精緻に彫られている。瑞獣である鳳凰が留まる屋根は緩やかな曲線を描き、中を覗けば、紅絹の椅子が顔を覗かせ、足元は緋毛氈が広がっている。
眞王という地位がいかに絶対的なものであるかを周囲に示すためのものだが、璙雲にとってはどうでもいい。
「自分の足があるのに輿を使う意味が分からん」
璙雲は、皓月の提案を一蹴した。多くの宦官に支えられ、椅子に座り、目的地に向かうのはどうにも性に合わない。こうして自分の足で歩き、目で見て耳で聞きながら周囲を観察して進む方がいい。この方が直接、部下と深く関われる。
「怠けてばかりだと肥えるぞ」
「書類仕事ばかりの君と違って、私は武官だよ? きちんと鍛錬しているに決まっているじゃないか」
皓月が肩をすくめながら笑い、軽く腕を振って見せた。その動作はどこか子供が振るう太刀筋にも見えるが、めくれた袖から覗く腕の筋肉には確かな張りがあり、鍛錬を怠っていないことを物語っている。
だが、それを認めたくない璙雲は白んだ目で皓月を見た。
「俺が見ている限り昼寝しているか女と遊んでいるかしか見ていないが」
「鍛錬しつつ身体を休ませ、また鍛錬しつつ心を休ませているんだよ。どちらも程よく鍛え休ませなければいけないからね」
「……まあいい。風紀は必要以上に乱すなよ。さすがにかばいきれない。俺に親友を殺させないでくれ」
真顔で放たれた言葉に、皓月は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにいつものようにからからと笑い飛ばした。
「あはは、了解。肝に銘じておくよ」
その笑い声を背に、璙雲はふと歩を止め、前方を見据えた。
「ついたぞ」
二人の門兵が守る朱塗りの門が、目の前に立ちはだかるように構えている。門には〝秘書省〟と書かれた扁額が堂々と掲げられており、威厳ある佇まいだ。門の奥に見える横長の官衙もまた、門に負けず鮮やかな朱塗りをしていた。黄色に染まる屋根瓦が陽光を反射させて、輝きを放っている。
「ほう、ここかい?」
「ああ。秘書省には眞国の歴史書が保管してあるはすだ」
まず、正史と呼ばれる国が認めた歴史書を作り上げるには〝史館〟と呼ばれる部署が各部署や地方から送られてくる報告書や記録、眞国で起こった出来事を整理して編纂する。
そして、〝秘書省〟は史館が制作した正史及び編纂のため集められた文献を保管する部署だ。
璙雲の記憶が正しければ前王朝時代の文献も多々残っているため、そのため建物は他の官衙よりも格段に広く、堅牢な構造になっている。
「幽寂宮は千年前の建物だ。冷宮として使用された過去があり、取り壊そうとした者が次々と死んでいったという話が事実なら、必ずここに何かしらの記録が残っているはず」
幽寂宮での不可解な出来事をどうしても解明したいと璙雲が一歩を踏み出した時、官衙から一人の男が慌ただしく駆け寄ってきた。
「お前は……」
見覚えのある顔だが誰だったのか名前までは思い出せない。璙雲は眉をひそめて揖礼を捧げる男を観察した。歳の頃は四十を少し超えたほど。少したるんだ皮膚は薄く、その下を流れる青々とした血管の色がよく見える。目元ににじむ隈といい不健康そうな印象を与える男だ。
その身に纏っているのは、地位ある者にしか許されない紫袍だった。正一品から正三品に相当する高位官吏の証であり、白髪交じりの髪をまとめる幞頭も衣裳と同じく紫で統一されている。
「彼、秘書監だよ。確か名は武宗賢」
皓月がぼそりと耳打ちする。その声を聞き、璙雲はようやく名前を思い出した。朝議で何度も顔を見ているが、置物かと思うほどなにも発しない。動いたと思えば他者の意見に頷くのみで、自己主張が乏しい男である。
「ほら、顔をあげる許可をださなきゃ。眞王が許さないと彼は顔をあげれないんだから」
不自由だな、と思いながらも璙雲は許可をだす。
宗賢は洗練された動作で面をあげた。その目は焦燥と緊張で揺れていた。
「眞王様におかれましては」
「堅苦しい挨拶はしなくていい。単刀直入に言う。幽寂宮について記載されている文献を読みたい」
璙雲は宗賢の顔をじっと見ながら続ける。
「あの建物にまつわる噂、関わった人物。あれが建ってから今に至るまで、全て用意しろ」
「……承知いたしました。それでは客庁にてお待ちください。幽寂宮についての文献は、全てまとめて保管してありますゆえ、すぐお持ちいたします」
しばしの思考の末、宗賢は頷いた。目元に浮かぶ動揺の色を押し隠すように、深く頭を下げた。




