03 真っ黒な書簡
「これはまたすさまじい量だねぇ」
「予想していたが、まさかここまでとは……」
宗賢が大勢の官吏を引き連れて戻ってきたのは、璙雲達が客庁に通されて二刻(三十分)を過ぎた頃だった。その手には古びた木簡がいくつも積み重なっている。宗賢のすぐ後を追う官吏たちの手にも同様の木簡が山のように積まれているが、四人目からはその姿を変え、紙に綴られた書物へと移り変わっていった。
一璙雲の目の前に次々と運び込まれる史料を見て、皓月が呆れたように肩をすくめた。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
木簡を抱えながらも、宗賢は軽く頭を下げる。額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「こちらが幽寂宮に関する史料でございます」
「なぜ紙に書き起こさない? 木簡のまま保管するなど聞いたこともない」
璙雲は腕を組み、眉をひそめた。眞国の歴史的な文献は通常、紙に書き起こして保存される。木簡のような古式ゆかしい媒体は、貴重で扱いが難しいため、特別な場合を除き、滅多に使われないはずだ。
「幽寂宮に関しては当時の記録のまま保管するという決まりがございます。いかなる理由があろうとも、書き写しも廃棄も許されておりません」
淡々とした口調で宗賢は答えた。
「えらく特別扱いをするのだな」
璙雲は目を細め、宗賢を観察するように見つめた。だが、宗賢はなにも答えない。唇を強く閉ざし、何かを堅く守るような態度を取っている。本来ならば、眞王の言葉に沈黙で応じることは不敬にあたるはずだが、璙雲はこれ以上の追及しなかった。
(この男、臆病ではあるが罰を与えたところで口は割らないだろうな)
子犬にすら負けそうな痩躯のくせに、と璙雲は軽く舌打ちし、手で官吏たちに指示を出す。
「その史料を机案の上に置け」
官吏達は一瞬だけ宗賢の顔色を伺う。宗賢が無言で頷いたのを確認すると、繊細な硝子細工を扱うかのように、丁寧に机案の上に木簡や書物を置き始めた。その一つひとつが傷つかないように慎重に扱う様子から、これらがいかに重要な物であるかが伝わってくる。
最後に宗賢が自ら木簡を持ち、璙雲の前に置いた。
「お前達は下がれ。読み終わったら声をかける」
璙雲の命令に宗賢は首を振った。
「私と秘書少監二名も同席させていただきます。そちらの禁軍所属の方を含む他の者は退席願います」
「なぜ、お前が俺に命じる?」
璙雲の声にわずかに棘が混じる。眞王に対して指示を出すことは、本来あってはならないことだ。だが、宗賢の表情は全く変わらなかった。
「それが規則だからでございます」
「幽寂宮に関してか」
「はい。幽寂宮に関する史料は眞王様しか目を通してはいけない決まりでございます。もちろん、我々も。少し離れた場所にいますゆえ、史料は眞王様だけがご覧くださいませ」
しばしの間、璙雲と宗賢は見つめ合った。
最初に折れたのは璙雲だった。不貞腐れた表情で皓月の方を見やる。
「お前は下がれ。先に戻ってくれてもかまわん」
「承知いたしました」
皓月は肩をすくめると、明らかに嬉しそうな笑みを浮かべた。劣化した史料に触らなくて済むことを喜んでいるのか、軽やかな足取りで客庁を出て行った。官吏達も後に続き、残されたのは璙雲と宗賢、そして秘書少監の若者二名のみ。
「彼らを同席させるのも決まりか? 俺とお前だけでいいだろう」
璙雲は問いかけながら、手前に置かれた木簡に手を伸ばす。その古びた表面は指にざらりとした感触を残し、紐に触れるとぱらぱらと粉が落ちた。指先が黒くなったことに不快そうに眉を顰める。
「はい。その通りでございます」
「お前はこの史料を読んだことは?」
「ありません」
「秘書監であるのにか?」
璙雲は苛立ちを押さえながら文字に目を滑らせる。しかし木簡は黒ずみ、文字はかすれているため、ほとんど読むことはできなかった。それでも辛うじて判読できる部分から、これは幽寂宮が冷宮として使われていた時代を記したものだと分かった。冷宮に幽閉されることとなった妃や宮女が犯した罪に彼女達の弁解の言葉、幽閉中の様子、最期に至るまで事細かく記されている。
「これらの史料は全て別室にて保管してあります。そこには三つの鍵がかかっていて、その鍵は私と彼らが持っています。三人揃わなくては保管室に立ち入ることはできません。眞王様がお越しになられた際のみ、開けることができるのです」
「やけに厳重だな」
「決まりだからでございます」
一巻目を読み終えた璙雲は、次の巻を手に取る。しかし、二巻目も三巻目もほとんど同じ内容だったため、すぐに机案の隅に置いた。
「お前は幽寂宮のことを知っているか」
「……口伝にてでしたら。しかし、私の口から伝えることはできかねます。そちらの書物に全て記されておりますゆえ、ぜひご覧ください」
璙雲の手が次の木簡へと伸びる。千切れそうな紐を丁寧に解き、木簡を広げて、飛び込んできた光景に思わず目を剥いた。
「なんだ、これは……」
短冊に切り揃えられた木の板は、全て黒く塗りつぶされていた。どの角度から見ても文字が読める箇所はない。巻の最初から最後の一枚まで真っ黒だ。墨をこぼした偶然の事故ではなく、明らかに意図的に行われたものであることが伺えた。
「読めん」
「何代か前の眞王様が黒く塗りつぶしたそうです」
宗賢の言葉に璙雲は深く息を吐き出し、黒ずんだ木簡を机案の上に置いた。
「これを読めば幽寂宮のことがわかるのではないのか? 写しはないのか?」
「ええ、こちらに全て記載されております。幽寂宮の成り立ちから今に至るまで、全て……。写しはございません。それが決まりだからです」
「二言目には〝決まり〟というのだな」
「はい。全ては始帝が定めたこと。我らはその言葉通り動いているに過ぎません」
始帝は栄耀栄華を極めた前王朝を滅ぼした張本人だ。元は酒楼の使いっ走りで、官位もなにも持たない貧乏青年。それがなぜ王座を簒奪できたのか詳しい歴史は後世に伝わっていないため、子孫である璙雲も詳しいことはわからない。
「お前が聞いた話を教えろ。と、言ってもまた〝決まり〟とぬかすんだろう」
宗賢は黙って頷く。
璙雲は舌打ちすると視線を手元に落とした。まだ史料は多くある。




