間話 玉盈と襦裙
ぱちぱちと玉盈は瞬きを繰り返した。人払いを済ませた空間で璙雲と向かいあい、最近の日課である花蓉のことを話していた時である。珍しく宦官を連れ込んだと思いきや、大きな桐箱を運び込んできた。
何事かと目を丸くする玉盈を前に、璙雲はおもむろに口を開く。まさかの提案に、玉盈は自分の耳を疑った。
「……あの、もう一度よろしいですか?」
自分の耳が悪くなったのではないか。そう疑いたくなるほどだった。それでも、聞き間違いかもしれないという希望に賭け、玉盈は問い返した。
そんな彼女を前に、璙雲はにやりと笑うと、持ち込んだ桐箱の一つを開け、その中身を見せながらこう言った。
「これで襦裙を仕立てたい」
桐箱の中に収められたていたのは真っ赤な絹布だ。皺ひとつない表面は艶やかな光沢を放っている。高価な代物だというのは素人目でも分かった。
次に開けられた桐箱の中は淡紅藤色の絹布が、三つ目には薄桜色の絹布がそれぞれ丁寧に畳まれて収められていた。どれも品の良い色味で、美しく輝く光沢が目を引く。
さらに一回り小さな桐箱の中身も披露された。そこには紅玉石の果実をついばむ小鳥の金簪や桜がほころぶ金簪、青い雫が連なる歩揺、瑪瑙の腕輪と首飾りといった装飾品が収められている。それらの華やかさと豪華さに圧倒されつつも、璙雲が次の桐箱を開ける前に玉盈は制止の声をかけた。
「襦裙ですか。いったいなぜ?」
問わなくても分かっている。
だが、どうしてもその答えを彼自身の口から聞かずにはいられなかった。
「花蓉に似合うと思って買ってきた」
案の定、予測通りの答えだった。
「……これを全て?」
「似合いそうだな、と思ったもの全て購入した。衣裳ももう少し買おうとしたんだが、皓月……連れが買いすぎだ。三つぐらいにしろと言ったのでこの三色にしてみたんだ。あっ、これは全て俺が行軍総管の時に稼いだ金で買ったから国庫から出していないぞ」
「誰のお金かはどうでも良いのですけれど、誰が仕立てるのですか?」
その問いに対する璙雲の返答は、予想外と言っても過言ではないものだった。
「俺と君が、だ」
「失礼ですが、縫い物の経験はございますか? 反物から仕上げるとなると断裁やら縫製やら、細かい作業が山のようにあります。それに、完成までだいぶお時間がかかるのですが……」
「破けたものを縫ったりはできるが衣裳を作ったことはないな」
「なら、正しくは私一人で、ですね」
悩ましくため息を吐くと玉盈は絹布に触れた。指先には見た目の燃えるような色合いとは裏腹に、冷たい感触が伝わってきた。
「尚功に頼めばどうでしょうか?」
尚功は六局のひとつで、妃嬪の衣裳を制作、管理する部署である。精緻で美しい衣裳を手掛ける腕利きの職人たちが揃っているため、依頼すれば間違いなく高品質な仕上がりが期待できる。
しかし、璙雲はその提案に首を横に振った。
「俺たちで作ったほうが花蓉も喜ぶと思うんだが……」
「花蓉公主様が?」
玉盈は璙雲の表情を伺った。
「……一応、裁縫はできますが私の腕は素人に毛が生えた程度でございます。尚功に頼んだほうがはるかによい品ができると思いますよ。それでも、私達が作った方がいいと眞王様はお考えですか?」
「身も知らない誰かが作ったものより、気心知れる者が作ったほうが嬉しいはずだ。——と思っているので今度から手土産の菓子も手作りにしようと思っている」
その発言に、玉盈の眉がぴくりと動いた。
「それは誰が作るのでしょうか?」
「俺だが?」
一瞬の沈黙の後、玉盈はそっと息を吐いた。そして、できるだけ慎重に言葉を選びながら口を開く。
「恐れながら申し上げます。眞王様はお菓子を作ったことはございますか? というより、料理というものをしたことはあるのでしょうか」
「簡単なものなら作ったことがある」
即位する前は戦地を駆け回り、時折の休息の際は狩りを嗜んでいた。その際に自分の腹を満たすために料理をしたことがある。獲った獲物を捌き、軽い味付けをした後に焼いたものや食べれる野草を潰して塩と混ぜた羹といった貴族や王族からしたら豚の餌のようなものだが、それでも料理には違いない。
菓子は作ったことはないが、料理ができるのだからできるはず、と胸を張る璙雲を、玉盈は冷めた目で見る。詳細を語らずとも璙雲の腕を信用していないことは明らかだ。
「お菓子を作る際はぜひとも私も同席させてください」
「一人で大丈夫だ」
「花蓉公主様にはおいしいものを食して欲しいのです。お腹を壊すなど、絶対に避けなければ」
「君もだいぶ言うようになったな」
失礼な物言いに璙雲は唇の端を引き攣らせる。皓月といい、花蓉といい、なぜこうも自分の周りには我が強い人間が集まるのだろうか。
(まあ、怖がられて満足に会話できない方が嫌だからいいのだが。けれど、もう少し俺を敬ってほしい)
威厳とは程遠い人間であることなど、自分がよく理解している。花蓉はともかく、皓月や玉盈は立場をわきまえ、二人きりでない時はきちんと恭しく接してくれるのでまあいいか、と思った。
「自分で言うのもあれだが、俺は手先が器用でな」
「確かにご自分で言うことではありませんね」
返ってきた玉盈の辛辣な一言に、璙雲は少し眉をひそめたが、負けじと続けた。
「頑張れば襦裙ぐらい作れるはずさ」
「そんな簡単に作れるものではないですけど」
玉盈はきっぱりと反論した。彼女の冷静な指摘に、璙雲は思わず押し黙る。なぜだろうか。玉盈と会話しているとこの場にいない皓月の姿が重なってしまう。容姿も性格も全く異なる二人だというのに、不思議と共通点を感じてしまう。方や飄々とした女好き、方や真面目で冷静な性格。それでも、どちらとも気軽に話せるのは不思議だなぁ、と遠い目をしていると玉盈が絹布を見つめているのに気付いた。
「一つお伺いいたしますが。この三つで襦裙を仕立て上げるとおっしゃっていましたね。どの色をどこにするのかお決まりですか?」
璙雲は桐箱から絹布を取り出した。まずは淡紅藤色を下にして、その上に艶紅色を置く。その周りに薄桜色を弧を描くように置いた。
「こんな感じで考えている」
「なるほど。上衣は淡い色で、裙は一番目立つ赤色に。この周りに置いてあるのは肩巾でしょうか?」
「この色ははじめて花蓉と出会った時に彼女が着ていたものと酷似していたから好きと思って選んだ」
玉盈は驚いたように目を丸くしながら、さらに問いかけた。
「なぜ、裙はこれほどまで派手なのでしょうか。お話を伺っている限りでは花蓉公主様はそんな派手好きなお方には思えませんわ」
「これは彼女の瞳と同じ色だったからな」
まあ、と玉盈は目を丸くさせる。
「花蓉公主様の瞳はこのような彩色なのですね。想像していたものより、とても赤々としていて驚きました」
「正確に言うと、同じなのは色だけだ。実際には赤い宝石のように輝いている」
その一言に、玉盈は思わず頬に手を添えて、ため息をついた。
「なるほど……宝石のようなお方なのですね」
「そう言っても過言ではないな」
そう頷く璙雲に対し、玉盈は冷静さを取り戻し、表情を引き締めた。
「ですが、眞王様」
「なんだ?」
「襦裙の制作には、どうしてもお時間がかかります。しかも御手製となれば、完成はさらに遠のくかもしれません。その間に、せめて一着だけでも尚功に頼んでお仕立ていただいてはいかがでしょう? そうすれば、花蓉公主様をお待たせせずに済みますし」
その提案に、璙雲は腕を組み、少し考えるように目を細めた。
「なるほどな。だが、尚功に頼むとつまらん」
「つまらん、ですか?」
「俺の手が関わらないものは、なんというか……いや、驚かしたくてだな。俺たちが作ったと言ったら、きっと喜ぶだろう」
その言葉に玉盈は思わず眉をひそめた。理屈としては理解できるが、璙雲の気まぐれな性格を考えると、本気なのか疑わしい部分もある。それでも、この王の提案に付き合うしかないのだろう。
「分かりました。それでは、この三色を用いて進めるということでよろしいのですね?」
「その通りだ」
「ではまず、絹布の寸法を測り、型紙を用意するところから始めます。それが終わりましたら、眞王様にできる範囲の作業をご指示いたします」
「ああ、それで良い」
こうして、玉盈は璙雲の無茶な提案に巻き込まれる形で襦裙作りを始めることになった。どれほどの時間と労力がかかるのかは予想もつかない。ただ一つ言えるのは、これは簡単な作業ではないということ。
それでも、心の片隅では少し楽しみでもあった。
(花蓉公主様は、喜んでくださるかしら)
可哀想な彼女の心を癒すことができるのなら、玉盈は喜んで寝る間も惜しんで最高の襦裙を仕立て上げるつもりだ。
***
その夜、自室に戻った玉盈は絹布を広げながら、先程の璙雲とのやりとりを思い出していた。花蓉の喜ぶ顔が見たいと喋る璙雲の表情と声音はまるで愛おしい者を語るかのように甘い。最初は歳の離れた妹か、幼子のような扱いだったのに、だ。
この一国の王は花蓉に対してどのような感情を抱いているのか正直、それは玉盈には測りきれなかった。ただ、一つ確かなことは、花蓉という存在が璙雲にとって特別な意味を持ちつつあるということ。
(私も花蓉公主様のためにお力になりたい)
指先でそっと淡紅藤色の絹布を撫でながら、自分が作り上げた襦裙を着て笑う花蓉の姿を思い描いた。




