間話 色鮮やかな反物
積み重ねられた反物を前に璙雲は悩んでいた。棚に並ぶ反物は燃える夕焼け色、清廉な水色、一点の曇りもない墨色——。似たような色と思いきや、目を凝らすとどれも微妙に違っていて、それがさらに璙雲を悩ませた。
(赤色にもこんな種類があるのか)
花蓉の瞳のごとく、色鮮やかな赤色を探し求めて、お忍びで訪れたはいいがあまりの数の多さに璙雲は圧巻された。
そして、そのどれもが花蓉に似合うと思ってしまった。ほころびはじめた桃の花びらのような桃色と暖かな珊瑚色で襦裙を仕立てても似合うだろう。また、瞳の色とは正反対の青色の襦裙や萌ゆる青葉色の襦裙も似合うはず。この際、この店に並ぶ品々全てを買い取ってしまおうか? とふざけたことを画策していると不満げな声が背中に投げられた。
「ちょっと、璙雲。君ねぇ、私は今日非番だったんだよ。わかる? ひ、ば、ん! 鍛錬もしなくていい最高の日を、朝から晩まで寝て過ごすという至福の時間を、君に叩き起こされた挙げ句、理由も教えてもらえないまま、引きづられてきた私を可哀想とは思わないのかい?」
「思わん」
冷たく一蹴すると璙雲は珊瑚色の反物を手に取った。柔らかな色だ。花蓉の瞳の色と比べるといささか強烈さが足りないと判断して、棚に戻した。
「もう、ちょっとは私の話に耳を傾けるぐらいしてくれないか? だいいち、なんで布から選ぶ必要があるのさ。城には大量の布があるだろう。それを指定して、お抱えの職人に言えば、服なんてすぐさま準備してくれるのに」
「ああ。色は俺自ら選びたくてな。持ってきてもらおうと考えたが数に限りがあるだろう。だからこうして見にきた」
「私を連れてきた理由は? 仕事から解放され、とてもよい夢を見ていた私を叩き起こした理由は?」
「……それは」
璙雲は言葉を濁す。素直に言えば、きっと皓月は笑う。自分を指差して、月神の美貌を愉悦に染めて高笑いするだろう。往来に面した店なのでうずくまることはないと思うが、それでも他者の目を引くような行動をしでかすに違いない。
「当ててあげようか?」
皓月はにやりと口角を持ち上げる。視線は反物——先ほど、璙雲が悩んでいた色へ固定された。
「女性への贈り物かな」
「な、んで」
「だって、桃色だの水色だの淡い色を重点的に見ていたじゃないか。それか真っ赤な派手派手しい色。君が着用するなら黒や茶色といった落ち着いた色を選ぶのに、それは見もしないなんて、女性への贈り物と考えるのが妥当だよ」
璙雲が答えに詰まっていると、皓月はさらに楽しげに笑った。
「私を連れてきたのは見立てを手伝ってもらいたいから、違うかい?」
「……俺は時々お前が恐ろしく感じる」
皓月は飄々としているがその実、聡明な男だ。豪商の三男坊として人の心の機微や目利きを叩き込まれて育ったこともあり、こうして相手が隠したがっている心の奥底まで見透かしたような発言をする。
「君は分かりやすいからねぇ。それで、武昭儀様ってそんなに魅力的な花なのかい?」
は? と出そうになった言葉を急いで飲み込んだ。
「だって、夜になると彼女の元に通い詰めているじゃないか。君がやっと《《お気に入り》》を作ったと噂で聞いたよ」
「通い詰めて……」
璙雲は渋面を作った。皓月の言うことに心当たりはある。花蓉のことを相談するため、ほぼ毎夜、夜伽と称して武玉盈を呼び寄せていたのは自分だ。
けれど、そこで皓月が考えるような行為はしていない。そんな空気にもならないし、今後もなることもないと断言できる。だって、自分も彼女も目的は同じなのだから。
「まあ、話は合うな」
「戦馬鹿な君と話が合う女性は貴重だよ。大切にするべきだ。絶対に手放してはいけない。友として忠告しておこう」
「……馬鹿にしていないか?」
「普通の女性は火薬の種類も鎧や武器の細部なんか興味ないものなんだよ。どうせ、二人きりになったら馬鹿の一つ覚えのように話しているんだろう? ああ、鍛錬のことも話していそうだね。こういう鍛え方をすると腕の筋肉が! ここを鍛えると背中が! って見せびらかしていそう」
「お前の中の俺とはどういう人間なんだ」
「戦馬鹿。単細胞。怖がり」
「やっぱり馬鹿にしているよな」
「馬鹿にしていないとは言っていないよね」
「……そういう話はしていない。普通に武昭儀と話すことなんて世間話の範疇をでない」
「それは興味あるなぁ。君の言う世間話が。どんなことを話すんだい? やれ、どこどこの草原は遠乗りに向いているんだ。やれ、馬はどこそこを撫でられるのが好きなんだ。他に考えられるのは……」
うーん、と悩ましげに首を捻る悪友の姿に璙雲はうんざりする。こんなことになるのだったら寝かせたまま放置すべきだった。
「おいおい、そんな顔をしないでくれよ。かけがえのない、大切な友のために私も一肌脱ごうじゃないか。ほら、そうと決まったら彼女はどんな人なんだい? 噂通りの人物かい?」
「噂?」
「聞くところによると地味……えっと、慎ましいお方のようだね」
「おい、失礼だぞ」
「いやいや、私は内面のことを言ったんだよ。なにを勘違いしているんだか」
皓月は肩を持ち上げた。
「まあまあの位を授けられているのに寵愛を欲さず、贅沢もしない。化粧も必要最低限、もちろん衣裳や装飾品に至るまで、名門の出自とは思えないほど質素。宮女や宦官の失敗もすぐさま許してしまうから彼女付きは《《当たり》》だと言われているってね」
許しているというより興味がないが正解だろう、と璙雲は思う。出会ってまだ短い期間だが、玉盈は家の名誉のために後宮入りしたのではなく、幽寂宮を監視するために派遣されたのだと璙雲は考えていた。
だから、寵愛争いに自分から首を突っ込むこともないし、宮女たちの失敗もどうでもいい。彼女の心は自分の先祖が重ねた罪と、その犠牲者である花蓉の存在に埋め尽くされている。
「後宮に咲く花々は一輪残らず美しいが、どうしても棘や毒があるからね。それに対して武昭儀様は例えるなら野に咲く可憐な花! 心優しく慎ましい主人が眞王の寵姫になるだなんて部下はさぞかしうれしいだろうね。もしこれで皇子を産めば立場は盤石の元になるのだから」
「慎ましいかどうかは知らないが、あまり派手なものややかましいものは好まないな」
好むどころか嫌っている節がある。
「あと、好きなことの話になると饒舌になるな」
例えば花蓉の好物について。彼女は甘いものを特に好んでいるようで、そっけない態度をとっても口にいれると途端に雰囲気が和らぐ。と伝えると玉盈はどこからか取り出した用紙に筆を走らせた。本人曰く「いずれお会いした際に失礼がないように」らしい。
また、花蓉が千年の間にどのような変化があったのか聞いてはこないがこちらから伝えるときらきらと瞳を輝かせる。興味ありそうだと伝えると三日後には生家から取り寄せたという異国の壺や絵が飾ってあった。花蓉に渡すものかと問いかけると「反射的に取り寄せてしまったが、もっといいものがあるから」と断られた。
他にも色々。花蓉が絡むと箍が外れたような玉盈の言動に(饒舌というより、行動的だな)と他人事のように思った。
「へえ、明るい方なんだ」
「明るい? うーん、まあ、そうだな」
「なるほどなるほど。では、この色はどうかな? 翡翠色に柳色を合わせて明るいが落ち着いた印象とか」
「緑はあまり」
「ご本人が好きではない感じかい?」
「まあ、そうだな」
「はっきりいいなよ。なよなよと君らしくない。なら、武昭儀様のお好きな色は? よく着ている衣裳の色はどんなだい?」
璙雲はしかめっ面をする。武昭儀が好む色など知るわけがない。いつも着用している衣裳すらよく覚えていないのに。
「知らん。覚えていない」
「君ねぇ、愛おしいと思う女なら細部までよく観察しておくのが常識だよ。今日はどんな色を組み合わせているか、指輪や耳飾りに至るまで、全て観察して、その女が好きそうなものを贈る。これ、恋愛の鉄則。その頭に叩き込んでおきなね」
そう言われて璙雲は首を傾げて記憶を掘り起こす。花蓉と初めて会った時、彼女は淡桃色の曲裾深衣を身に纏っていた。鬼面とは正反対の少女らしく可愛らしい刺繍が刺されていた。次は青色だ。凪いだ水面を連想させる清楚で奥ゆかしい色だった。燃える瞳とは正反対の色なのに、なぜかよく似合っていたのは覚えている。
「……桃色と青色」
無意識にこぼした言葉を耳聡く聞いていた皓月は棚へと手を伸ばす。まずは、と前置きすると花びらのように瑞々しい桃色の反物を何点か集めて、璙雲の前に並べた。
「その色を覚えていたってことは、印象深かったのだろうね。桃色だと女性が気に入りそうな色ならこの当たりかな。この中で似た色はあるかい?」
反物を見下ろした璙雲は首を左右にふる。花蓉が着用していたのは千年前の衣裳だ。今とは異なる染料で染められて、布も麻で織られたものだ。発色と手触りがまったく違う。
次に皓月が青色を集めようとするのを璙雲は止めた。技術は進化している。ここでどれだけ似た色を集めても彼女が着用する衣裳とまったく同じ物は作れないだろう。
「どれも違う。彼女が着ていたのはこんな色ではない」
「いや、全く同じ色を探し求めるなんて不可能だよ」
呆れたように皓月は肩を落とす。
「君って贈り物するのに向いていないね」
「自分でもそう思うからお前を連れてきたんだろう」
「はいはい、そうだね。うーん、でもどうしようか。好きな色は覚えていないし、着ていた色を思い出してもらっても色が違うと言い出すし。衣裳を仕立てるのではなく、簪とか贈ったらどうだい?」
「簪も後で見に行くぞ」
えっ、と皓月は目を丸くさせる。
「……ここだけじゃないのかい?」
「簪に耳飾りに帯飾り、とりあえず一式はそろえたい」
「なるほど。ちなみ、それも私も同席して?」
「当たり前だろう。俺はそういったものに詳しくないからな」
「……分かったよ。いいよ、ここまで来たんだもの。最後まで付き合うから今度、奢ってくれよ?」
「ああ、約束しよう」
皓月は軽くため息をつきながら、再び反物の並ぶ棚に目を向けた。珍しい女絡みの頼みである。この際だから璙雲の満足いくまで付き合おうと決意した。




