04 蒸し饅頭
「本当に声が聞こえたんだ!」
いつでも来ていいとは言ったものの、まさか翌日の、それもこんな早朝に押しかけてくるとは思わなかった。花蓉は手渡された蒸籠から立ちのぼる湯気をぼんやりと眺めながら、呆れた口調で「そう」とだけ返した。
軽く流した相槌にも関わらず、璙雲は動揺する様子を隠そうともせず、大げさな手振りで昨日、幽寂宮からの帰路で聞いたという謎の男の声についてまくし立ててくる。
「やはり、ここは危険ではないか? 新しい宮を用意するから、今すぐ移ろう」
「危なくないし、ここがいいから大丈夫」
「でも、一人で寂しくないか? それに、ここは俺の住む場所から遠いから来るのが大変だ。近くならもっと頻繁に会えるのに」
「別に私は平気。あなたが来るのが大変なら、来なければいいだけのこと」
「それは嫌だ。……ここは陰気だから運勢も悪くなるぞ」
「幽鬼が来るから仕方のないこと」
どれだけばっさり切り伏せてもめげずに話しかけてくる璙雲に(見た目に似合わず臆病だな)と花蓉は内心で溜息をついた。そんなに怖いなら、幽寂宮に来なければいいのに。よほど暇なのか、それとも友達がいないのか。いくら眞王と名乗っても、どうにも胡散臭い。
「それに、そもそも私は外に出られないから」
そう言い放つと、璙雲はぽかんと口を開けた。その間抜けな顔を横目で見やりながら、花蓉はさらに続ける。
「幽寂宮は死者に形を与える場所。私が千年もの間生き続けられているのは、ここにいるから。それだけのこと。もしここから出たら、肉体はすぐに朽ち果てるでしょうね」
「……でも、触れるぞ?」
蒸籠を持つ花蓉の手に、璙雲は恐る恐る自らの手を重ねた。触れることができる——生きている者の体温だと理解した途端、あからさまに安堵に表情を緩めた。
「こうやって喋ることだってできる」
「だから言ったでしょう。形を与えられているだけだって」
花蓉は鬼面の奥で柳眉をひそめた。
「あなた、本当に人間が千年も生きられると思ってるの?」
自分でも気づかぬうちに、声には棘が混じっていた。千年前、生き延びるために花蓉がどれほどの犠牲を払ってきたか——血を分け合った家族を殺し、助けを求める声を振り払い、その血肉を貪った。そんな行いを経て今に至る自分が、人間としての寿命を全うできるはずがない。
思い出したくもない光景が、頭をよぎる。己以外の吐息一つない、血に塗れた殿舎の様子が――。
ふと、視界が明るくなった。見上げると、璙雲が真剣な表情を浮かべて立っていた。彼の手には、いつも花蓉が身に着けている鬼面が握られている。
「また勝手に——んぐっ!」
怒ろうとした途端、璙雲が何かを彼女の口に押し込んだ。舌先に触れるほんのり温かい感触に戸惑いつつ、花蓉は恐る恐る咀嚼する。もちもちとした食感と共に、柔らかな甘味が口内に広がった。
(……甘い)
ちらりと手元に目をやると、いつの間にか蒸籠の蓋が開けられていた。そこに入っていたらしい真っ白な雪玉のようなものが、璙雲の手に握られている。
「美味いだろ?」
「……まあまあね」
「そうか。口に合わなかったか。なら、もういらないな」
そう言って璙雲はその雪玉を背中に隠した。
あっ! と声を漏らした花蓉を見て、彼は意地悪くにやりと笑みを浮かべる。
「美味しくなかったんだろう?」
「嫌味な人!」
「そういう君はなかなか捻くれているな」
「捻くれてなんていない! 美味しかった! これでいいでしょ!」
半ば投げやりに答えながら、花蓉は雪玉に手を伸ばした。璙雲は喉をくつくつと鳴らしながら、その雪玉を彼女の手にそっと乗せる。
「これは蒸し饅頭って言って、南瓜餡を練り込んだものだ。君が甘いもの好きそうだから作らせてみた」
「南瓜? ……また知らない食べ物ね」
「他にもまだまだあるぞ。林檎に蜜柑、落花生。食べ物以外だと宝石や黄金を使った簪とか、色んなものがある」
璙雲は両手を大きく広げた。
「一緒に見に行こう!」
璙雲の言葉に花蓉は一瞬目を伏せた。
まるで、それが当たり前のことのように言う彼が、少しだけ眩しく見える。だが、同時に思う――そんな未来なんて、もう自分にはないのだと。
「……だから、私はここから出られないと言ったでしょう?」
花蓉はそっけなく返し、視線を落とした。まだ温かさが残る蒸し饅頭をひとくちかじりながら、心を落ち着けるよう努める。
「君は自分が死んでいるように言うが食べ物を美味しいと感じて、細工を見て美しいと感じる。それは生きていることではないのか?」
「そんなこと考えるだけ無駄よ。私はここで罪を償わなければいけない」
花蓉の静かな声に、璙雲はぴたりと言葉を止めた。長いまつ毛の向こうに隠れる紅玉がゆらゆらと揺れているのが見えて、璙雲は困ったように頭を掻いた。
「君は本当に頑固だな……」
「頑固でいいのよ」
花蓉は短くそう言い切ると、静かに立ち上がった。鬼面を璙雲から取り返し、顔につける。冷たい面の感触が、逆に自分の気持ちを落ち着けてくれる。




