03 隠された素顔
鬼面を外した花蓉がどんな顔だちをしているのか考えなかったわけではない。彼女の生い立ちと置かれた境遇から璙雲は儚く、触れればたちまち溶け去ってしまうような雪の精を思い描いていた。
だから、想像とはかけ離れた容姿をしていたことに璙雲は驚いた。雪肌にすっと通った鼻梁、花びらのように瑞々《みずみず》しい唇。瞳はこの地では珍しい紅玉色で、眦の切れ上がった目尻からは勝気な印象を受ける。
甘美な毒のような、少女らしからぬ色香が漂う美貌を取り巻くのは絹糸のような銀色だ。鬼面を外す際に指先で引っ掛けてしまったらしく、さらりと頬に滑り落ちた一房の髪は、微かな陽光にすら輝きを放っている。
鬼面を外すという璙雲の行動に最初は怒りを顕にしていたが、唇に押し当てた杏飴を口内へ押し込めば、表情はすぐさま和らいだ。
ぱちり、と長いまつ毛が紅玉石を覆い隠す。花蓉が瞬きする度に、銀色が光を弾いた。
「……おいしい」
花蓉は口元に指先を添えた。その頬は赤く色づいていく。
「そ、そうか、ほらもっとあるぞ」
どもりながら璙雲は箱を指差した。
鬼面を首から下げ直した花蓉は細い指先で紫色の粒をつまみ、光にかざすように持ち上げた。
「これってなに?」
「確か葡萄のはず。蜜漬けにするから酸味が強いのを使ったそうだ」
「葡萄って山に生えているやつ? あれ、酸っぱいから嫌い」
しかめっ面を作る花蓉を見て、璙雲は吹き出した。
「これは異国から取り寄せた葡萄と交配させたから酸味も昔と比べたら控えめだぞ」
「でも酸っぱいんでしょ。昔、とと様が持ってきてくれたけど、食べれたものじゃなかった」
「騙されたと思って食べてみろ。もし酸っぱければ、次はもっと甘い菓子を持ってくるから」
「次って、また来るつもり?」
花蓉は葡萄飴を見つめ、意を決すると口に放り込んだ。歯で表面を固める飴を噛み砕くと甘酸っぱい果汁が口内に広がる。杏と比べて酸っぱいが、これはこれでおいしい。花蓉は頬を綻ばせた。
「これって?」
次に真っ赤な粒をつまみ上げる。葡萄の粒より小さな赤い果実は見たことがない。血や臓物を嫌でも連想させるため赤色は嫌いなのだが、これは宝石のようだ。不思議と嫌悪感はわかない。
「それは柘榴だ。異国から取り寄せた果物で、葡萄が気に入ったのならそれもきっと気に入るはず。食べてみたらどうだ?」
「私が幼い時はなかったわ」
「西域の更に向こうの国の果物なんだが二十年ほど前に貿易が始まって、行商人が運んでくれるんだ」
「……外はけっこうな時間が経っているのね」
指先で粒をもて遊びながら、花蓉はつぶやく。
「昔はこんな綺麗な刺繍も、箱もなかったわ。あなたが着ている衣裳も私のとは全く違う」
花蓉は自らの身体に視線を落とした。波紋を描く水縹色の曲裾深衣、袖と同じ紺青色の裳——これは全て父から与えられたものだ。当時の流行を取り入れた、最高級品質の衣裳なのに、璙雲の隣に経つとまるで奴婢のようにみずぼらしく見える。
自分が予想していたよりも外界とは流れる時間が違うのだろう。
「ねえ、私からも質問いい?」
「いいぞ」
「外はどれだけの年月が経ったの?」
五十年か、それとも百年か。もしかしたら二百年は経っているのかもしれない。
花蓉は璙雲の瞳をじっと見据えた。心なしかその表情固く、目は左右に動いている。分かりやすい男だと花蓉は思う。
「百年?」
璙雲は首を振る。
「二百年?」
またもや首を振って否定する。
「なら、何百年が経っているの?」
「……千年だ」
しばらくして、発せられた小さな呟きに花蓉はそっとまつ毛を伏せた。
「……そう」
花蓉は沈黙の中、千年という時間の重さを噛みしめる。すぐ隣から微かに息を飲んだ音が聞こえたが、気づかないふりをして面をあげると笑みを作った。
「おいしかったわ。久しぶりに人と話せたのもうれしかった。でも、今日はもう帰ってくれる?」
何度目か分からない帰省を促す言葉が桜唇から放たれた。その声はどこか寂しげだ。
璙雲は立ち上がりかけて、その場にとどまった。花蓉が浮かべる笑顔や言葉の裏にある微かな戸惑いや孤独を感じ取り、踏み出す一歩が急に重くなる。
「……また来てもいいか?」
意を決して問いかける璙雲の声は真剣だった。花蓉の気持ちを探るように、その紅玉の瞳をじっと見つめる。彼女は一瞬だけ視線を返したが、すぐに目を伏せ、表情を隠すように鬼面を張り付ける。
「どうせ、来ないでって言っても来るんでしょう?」
呆れたように呟いた花蓉だが、どこか諦めたような口調には、かすかな温かみも含まれていた。
「好きになさい。私とあなたの縁は結ばれた。死者しか訪れることができない幽寂宮に来れたのがその証拠だもの。……でも、そんなに長居はしないでよ」
そう言い残すと花蓉は背を向けて歩き出した。瞬く間に花蓉の姿は陽炎のように揺らめき、消え去った。
それと同時に、世界は静かに変化を始めた。
最初はほんの小さな傷だった。壁の中央に生まれた亀裂が枝のように広がり、広がったそばから塗料が剥がれ落ちた。殿舎を支える柱も亀裂が走り、色褪せていく。硝子窓が砕けて、璙雲の足元に散らばった。
つい先ほどまで花蓉と談笑を楽しんだ場所は、みるみるうちに冷たい風の通り道となり、いつもの幽寂宮の姿へ変貌した。
「また明日」
璙雲は誰もいない空間へ向けて呟くと、踵を返した。
その時、
「——……花蓉」
湿った風が、抑揚の乏しい低音を運び、璙雲の真横を通りすぎた。
振り返った璙雲の目には廃れた空間だけが広がっていた。




