EP 8
「竜人、お手を覚える」
朝日が差し込む『ポポロ屋』の店内。
開店前の静かな時間……のはずが、厨房からは朝から不穏な音が響いていた。
「あー、美味しい……♡」
カウンター席では、村長のキャルルが至福の表情で朝食を頬張っていた。
本日のまかないメニューは『ポポロ・モーニングセット』。
厚切りの太陽小麦のトーストに、とろけるバター。半熟の目玉焼き。そして山盛りの千切りニンジンマンドラサラダ(特製マヨ・ハーブドレッシングがけ)だ。
サクッ、シャキシャキ。
小気味よい音を立ててサラダを咀嚼していたキャルルが、ふと箸を止め、厨房の奥にある「赤い巨体」を指差した。
「ねぇリアン君。……どうしちゃったんですか? アレ」
彼女が指差したのは、小花柄のフリフリなエプロン(リアンがネット通販で適当に買ったもの)をパツパツに着込み、背中を丸めてシンクに向かう竜人族、イグニスだった。
「アレとは何だ、アレとは!!」
イグニスが泡だらけの手で振り返り、ギザギザの牙を剥いて抗議する。
「俺様はイグニス・ドラグーン! 由緒正しき竜人族の族長の息子にして、いずれ王になる男だぞ! アレ呼ばわりするなウサギ!」
「ひゃっい! 竜人族の王様!?」
キャルルが兎耳をパタパタさせて驚く。
「すごい! じゃあ、王様候補の偉い人なの!?」
「今はただの皿洗いのバイト(試用期間中)だがな」
リアンが自家製焙煎のコーヒーを淹れながら、冷淡に事実を突きつけた。
「ぐっ……! そ、それを言うなよリアン! 俺様は昨日の特盛カツカレーの代金と、宿代の代わりに手伝ってやってるだけで……!」
イグニスは顔を真っ赤にして反論しようと、手に持っていた皿を強く握りしめた。
パリンッ!
乾いた音が響く。
イグニスのドラゴンの馬鹿力が、繊細な陶器の皿をあっけなく粉砕したのだ。
「あ」
店内が凍りついた。
リアンがゆっくりとコーヒーカップを置く。その背後には、ユラリと真っ黒なオーラ――かつて帝都の裏社会を震え上がらせた『死神』の殺気が立ち昇っている。
「おい、イグニス」
「ひぃッ!?」
「それが今朝で何枚目だ? 次やったら、皿洗いから『番犬(外飼い)』に降格させるからな。飯は鶏ガラの骨だけだぞ」
元・暗殺公爵のドスの効いた声と、命の危機を感じる絶対的なプレッシャーに、身長2メートル越えの竜人が小動物のように震え上がった。
「わ、分かったぜ! もう割らねぇ! 竜の名にかけて慎重に洗う!」
イグニスは慌てて次の皿を手に取った。
だが、焦れば焦るほど、彼の太い指と長い爪は繊細な皿洗いに向いていない。
さらに、極度の緊張で太い尻尾が勝手にパタパタと動いてしまう。
ブンッ。
強靭な尻尾が、洗い終わって積み上げていた皿の山に直撃した。
ガシャン、パリーンッ!!
盛大な破壊音が、ポポロ屋の爽やかな朝をぶち壊した。
「あ……」
「……」
リアンは無言で、腰の『銃口剣』に手をかけた。
イグニスが「あ、俺様死んだわ」という顔で天井を仰ぐ。
「おい、キャルル」
リアンは深いため息をつき、剣から手を離して村長に向き直った。
「コイツを、村の自警団に入れたらどうだ?」
「えっ? 自警団に?」
「ああ。見ての通り、コイツに繊細な作業は無理だ。だが、体力と頑丈さだけは無駄にある。村の用心棒や、力仕事なら使えるはずだ。給料は俺が中抜きして皿代に充てる」
それは、イグニスにとっても渡りに船の提案だった。
皿洗いよりは、体を動かす仕事の方が数百倍マシだ。
「お、おい! 俺様を誰だと思ってる! 高貴な竜人族を、田舎の自警団なんぞに……!」
「う~ん……」
キャルルはトーストをかじりながら、イグニスをじっと観察した。
上から下まで。特に、その丸太のように太い腕と、意外とつぶらな瞳を。
「……お手、出来る?」
「は?」
イグニスが固まる。
「自警団はチームワークが大事なの。私の言うことをちゃんと聞ける子じゃないとダメ。だから……お手」
キャルルは自分の小さな掌を、イグニスの前に差し出した。
「ふ、ふざけるなァァァ!!」
イグニスが激昂し、口の端からチロチロと炎を漏らす。
「俺様は次期竜王だぞ!? ウサギ風情に『お手』だと!? 犬っころじゃあるまいし、そんな屈辱、受けられるか!」
「……そうか。じゃあイグニス、お前は今日から店の前で『番犬』だ。雨の日も風の日も外で寝ろ。飯は骨だ」
リアンが冷酷に告げる。
イグニスの脳裏に、寒空の下、雨に打たれながら骨だけをしゃぶる惨めな自分の姿がよぎった。
竜のプライドか。
それとも、温かい寝床と、リアンの作る至高のメシか。
答えは決まっていた。
「……くっ!」
イグニスは血涙を流しながら、その巨大な赤い手を、キャルルの小さな手に向かって振り下ろした。
ヤケクソの、岩をも砕くドラゴンの力任せの一撃。
バチンッ!!
「お、お手ぐらい……出来るわ!!」
常人なら腕の骨が粉砕されるほどの衝撃。
しかし、月兎族であるキャルルは微動だにしなかった。(足元の床板がメキッと沈んだが、彼女自身は平然としている)。
規格外の身体能力を持つ彼女は、イグニスの巨大な手をガッチリと受け止め、ニッコリと笑った。
「うんうん、肉球はないけどゴツゴツしてて良い手だわ。力強くて頼もしいね」
キャルルは空いた手で、イグニスの頭(角のあたり)を、よしよしと撫でた。
「……可愛げは有るなぁ。素直だし」
彼女は食べ終わった皿を置くと、高らかに宣言した。
「合格! じゃあイグニス君を、ポポロ村自警団の『特別隊員』に入れてあげる!」
「……くそぉぉぉ! 覚えてろよぉぉ! いつか絶対見返してやるからな!」
こうして、ポポロ村に新たな戦力が加わった。
皿洗いよりはマシな職場だが、彼の上司は「最強の月兎」。
イグニスの苦労(と更生)の日々は、まだ始まったばかりである。
「とりあえずイグニス、その花柄のエプロン意外と似合ってるから、自警団の制服代わりに着たままでいいよ」
「脱がせろよ!!」




