EP 6
「夜の帳と、琥珀色の誘惑」
【幕間:ルナミス帝国 帝都の裏路地】
リアン・クラインが帝都から姿を消して数日が経った頃。
帝都の地下深くに広がる裏社会の酒場では、犯罪組織の幹部たちが盛大な祝宴を挙げていた。
「ギャハハハ! 聞いたか!? クライン公爵家の『死神』が失踪したらしいぜ!」
「ああ! これであの理不尽な影の暗殺に怯える日々も終わりだ! さぁ、今夜から帝都のシノギは俺たちのもん――」
ドゴォォォォンッ!!
歓喜の声は、酒場の強固な鉄扉が爆発四散する音で掻き消された。
もうもうと立ち込める粉塵の中から、眩いばかりの『聖なる雷光』を纏った白銀の騎士が姿を現す。
リアンの弟、クラウス・クライン(22歳)である。
「な、なんだ貴様は!? クライン家の次男坊……!?」
「兄上がいねぇ今、お前なんぞに恐れる道理は……ひっ!?」
幹部の一人が言葉を失った。
クラウスの瞳が、一切の慈悲を持たない狂信的な光を宿していたからだ。
「兄上は……俗世のしがらみを捨て、神すらも統べる『真の覇道』へと歩み出された」
クラウスは、バチバチと紫電を放つミスリルソードを構え、うっとりとした表情で天を仰いだ。
「ならば、残された私の使命は一つ。偉大なる兄上がいつ帰還されても良いように、この帝都に蔓延る『ゴミ』を完璧に掃除しておくこと……! ノブリス・オブリージュ(貴族の義務)を果たそう!!」
「ち、違う! あいつはただ家出しただけで――ぎゃああああっ!?」
クラウスの剣が閃き、雷属性の闘気『ライトニング・スプラッシュ』が酒場を容赦なく蹂躙する。
リアンという「必要悪」がいなくなった結果、勘違いを極めた生真面目な弟による、情け容赦ない過激な裏社会大粛清が幕を開けてしまったのだ。
「兄上……! どうか安心して覇道をお進みください! ルナミス帝国の裏社会は、このクラウスが物理で焼き尽くしておきますゆえ!!」
――かくして、帝都の闇はかつてない大パニックと恐怖のどん底に叩き落とされることになった。
◇ ◇ ◇
【ポポロ村 定食屋『ポポロ屋』】
日が沈み、ポポロ村に夜が訪れた。
真新しい強化ガラスの窓から漏れる暖かな光は、薄暗い村の中で異彩を放っている。
「へっくしゅ!」
厨房に立っていた俺は、不意に大きなくしゃみをした。
「どうしたのリアン君? 風邪?」
「いや……誰かが俺の噂でもしてるのかもな。まあいい」
カランコロン。
ドアに取り付けたベル(通販で買ったアンティーク調)が鳴った。
「お、おい……ここ、本当に飯屋か? ガラスが透明すぎて、壁がないみたいだぞ」
「でも、すげぇいい匂いがするぜ……」
恐る恐る入ってきたのは、仕事終わりの三人組だった。
牛耳族の畑仕事帰りのおじさん、人間の行商人、そしてドワーフの鍛冶師だ。
「いらっしゃい。好きな席に座ってくれ」
俺はカウンターの中から声をかけた。
清潔な白衣に身を包んだ俺を見て、三人は少し緊張した面持ちでテーブル席についた。
「へ、へぇ……すげぇ綺麗な店だな。床がピカピカで、泥足で上がるのが申し訳ねぇや」
「気にしなくていい。掃除は『あいつ(喰丸)』が夜中に全部やるからな」
俺は氷(製氷機で作った純度100%の透明な氷)を入れたグラスにお冷を注ぎ、三人の前に置いた。
「ひゃっ! こ、氷!? 夏場でもないのに氷が入ってるぞ!?」
「魔法使いの店なのか!?」
水一杯で大騒ぎだ。
やはりこの世界では、氷はとんでもない贅沢品らしい。
「ご注文は?」
「あ、ああ……とりあえず酒をくれ。この村なら『芋酒』があるだろ? 一番安いやつでいい」
ドワーフが言った。
芋酒。太陽芋から作られる、労働者のための安酒の代名詞だ。
だが、俺はニヤリと笑った。
「あいよ。ただし、ウチの芋酒は他とはちょっと違うぞ」
俺は棚から一升瓶を取り出した。
中身はただの安酒ではない。俺が前世の知識(高度な蒸留技術)と錬金術を組み合わせて不純物を極限まで取り除いた、雑味ゼロの『純芋焼酎』だ。
「ほらよ。最初はロックで飲んでみな」
カラン。
丸く削った氷を入れたグラスに、トクトクと琥珀色の液体が注がれる。
その瞬間、鼻孔をくすぐる甘く芳醇な香りが漂った。
「な、なんだこの香りは……? いつもの芋の泥臭さがねぇ……まるで花のような……」
ドワーフが震える手でグラスを持ち、一口含んだ。
「――ッ!?」
カッ! と目を見開くドワーフ。
「ど、どうだ?」
「……喉越しは湧き水のように滑らかじゃが、胃に落ちた瞬間に太陽が爆発しよった! なんじゃこのガツンとくる凄まじい旨味はぁぁぁ!」
ドワーフは感涙しながら叫んだ。
「美味い! これこそドワーフが求めていた『度数』と『品格』の両立じゃ!」
「俺にもくれ!」
「私にも!」
次々と注文が入る。
俺は手際よく酒を提供しつつ、メインディッシュの準備に取り掛かった。
「酒のアテには、これがいいだろう」
ジュワァァァァァ……!
厨房から激しい音が響く。
鉄板の上で焼かれているのは、大人の手のひらほどもある肉厚な特大キノコ――村の特産品『肉椎茸』だ。
表面にこんがりと焦げ目をつけ、仕上げに『醤油草』のエキスと、通販で仕入れた極上のバターを絡める。
「お待たせ。『肉椎茸のバター醤油ステーキ』だ」
ドンッ!
熱々の鉄板に乗せられた巨大キノコが、テーブルに運ばれた。
焦げたバターと醤油の香りが、暴力的なまでに食欲を刺激する。
「こ、これがキノコかよ……見た目は完全にステーキじゃねぇか!」
「いただきます!」
牛耳族のおじさんが、ナイフを入れる。
サクッという音と共に、断面から肉汁(菌汁)が溢れ出した。
ハフハフ、パクッ。
「んん~~っ! 肉だ! これ、下手な魔獣の肉より肉肉しいぞ!?」
「噛むたびにキノコの旨味が爆発する……! 酒! 酒を持ってこいマスター!」
店内は一気に活気づいた。
そこへ、カウンターの端ですでに出来上がっていたキャルルが、赤い顔で絡みに行く。
「えへへ~、でしょでしょ~? リアン君の料理は世界一なんだから~! おでんも最高よ!」
「村長! あんた良い店見つけてくれたなぁ!」
「こりゃあ、明日の仕事も頑張れるってもんだ!」
笑い声と食器の触れ合う音。
俺はカウンターの中で、グラスを拭きながらその光景を眺めた。
(……悪くない)
血の匂いも、硝煙の匂いもしない。
あるのは、出汁の匂いと、働く者たちの汗の匂い、そして旨い酒だけだ。
俺の失踪で、今頃帝都がとんでもないことになっているとは露知らず。俺は平和なスローライフを心の底から満喫していた。
「マスター! おでん追加! あとこの『マヨ・ハーブ』ってやつも!」
「あいよ」
俺は包丁を握り直した。
最強の元・暗殺公爵の、忙しくも平和な夜は、こうして更けていった。




