EP 5
「月見大根と異世界の出汁」
「それじゃあ、開店前の試運転といくか」
俺は純白のコックコートの襟を正し、真新しいシステムキッチンに立った。
目の前のカウンター席には、村長のキャルルが両手を膝に置き、目をキラキラさせながらお座りをして待っている。
「まずはスープだ。おでんの命は『出汁』にある」
俺は『ネット通販』で購入した大型の寸胴鍋に水を張り、魔法ポーチから取り出した『日高昆布』と『枕崎産本枯れ節(鰹節)』を惜しげもなく投入する。
さらに、このアナステシア世界ならではの特産品、『トライバード(三徳鳥)』の新鮮な鶏ガラを加え、魔石コンロの弱火でじっくりと旨味を抽出していく。
「ふぁぁ……何この香り? 嗅いだことないけど、すごく落ち着く匂い……」
キャルルが鼻をヒクヒクさせて身を乗り出してきた。
魚介の深い香りと、鶏のコク。地球と異世界の旨味成分(イノシン酸とグルタミン酸)が交わる、最強の相乗効果だ。
「よし、スープは完璧だ。次は具材だな」
俺は村で採れた『月見大根』を手に取った。
真ん丸で、真珠のように白く輝く美しい大根だ。手早く皮を剥き、味が染み込みやすいように隠し包丁を入れる。
「普通なら味が中まで染みるのに数時間はかかるが……文明の利器を使わせてもらうぞ」
俺は銀色に輝く堅牢な調理器具――『圧力鍋』を取り出した。
「あ、あつりょくなべ?」
「時間を圧縮し、旨味を閉じ込める魔法の鍋だ」
大根、下処理した『ロックバイソン』の牛すじ、『ピッグシープ』のソーセージ、そして『ニンジンマンドラ』の巾着(餅入り)を鍋に放り込み、黄金色の出汁を注いで蓋をロックする。
そして、一気に強火にかけた。
数分後。
シュシュシュシュシュシュシュッ!!
「ひゃあッ!?」
突如として、圧力鍋の重りが激しく回転し、蒸気を吹き出しながら威嚇音のような甲高い音を立て始めた。
「な、ななな何これ!? 鍋が怒ってる!? 爆発するの!? リアン君、伏せて!!」
キャルルが顔を青ざめさせ、カウンターを飛び越えて俺に覆い被さろうとする。さすがは元・近衛騎士候補、危険を察知する速度だけは一流だ。
「落ち着け。静かに……いや、やかましく仕事をしてるだけだ。待つこと十五分……」
俺は火を止め、圧が下がるのを待ってからロックを外し、ゆっくりと蓋を開けた。
パァァァン……。
開けた瞬間、ブワッと白い湯気が上がり、黄金色の輝きが厨房を照らした。
「わぁ……!」
キャルルのルビー色の瞳が輝く。
そこには、透き通るような美しい飴色に染まった月見大根が鎮座していた。
「お待ちどうさま。『ポポロ屋特製・極上おでん』だ」
俺は熱々の具材を深皿に盛り付け、最後に『醤油草』の濃厚なエキスを数滴垂らした出汁を、たっぷりとかけた。
薬味には、通販で取り寄せた『和からし』と、村で採れた『マヨ・ハーブ』を添えてある。
「い、いただきます!」
キャルルは震える手で箸(待ち時間に使い方を教えておいた)を持ち、まずは主役の月見大根へと手を伸ばした。
箸を入れた瞬間、スッと抵抗なく切れる。
「やわらかっ……!」
ふぅふぅ、と息を吹きかけ、彼女は熱々の大根を口へと運んだ。
ハフッ、ハフッ……んぐっ。
その瞬間。
キャルルの長い兎耳が、ピン! と垂直に立ち上がった。
「んんん~~~ッ!!」
彼女は両手で頬を押さえ、カウンターに突っ伏した。
「な、ななな何これ!? 大根が……口の中で解けた!? 噛んでないのにスープの味がジュワッて溢れ出して……甘い! 月見大根ってこんなに甘かったの!?」
「圧力鍋で繊維を壊さずに柔らかくしたからな。出汁も芯まで染みてるはずだ」
「おいしすぎるぅぅ……! 脳みそがとろけそう……お月様が口の中にいるみたい……!」
キャルルは次に『ロックバイソンの牛すじ』を口にした。
普段は硬くて煮込みに恐ろしく時間がかかる部位だが、圧力鍋のパワーでトロトロになっている。
「うそ……あの硬いバイソンのお肉がゼリーみたい……。濃厚な脂が……幸せ……」
続いて『ピッグシープのソーセージ』に『マヨ・ハーブ』をつけてパクリ。
パリッとした皮が弾け、豚と羊の旨味が凝縮された肉汁が、マヨネーズの酸味と絡み合う。
「んふふ、んふふふふ……♡」
もはや言葉にならず、怪しい笑い声を漏らしながら箸を動かし続ける村長。
その顔は完全に緩みきり、幸せのオーラが可視化できそうなほどだ。
あっという間に完食。
彼女は皿に残ったスープまで一滴残らず飲み干し、恍惚の表情で大きく息を吐いた。
「ふぅ……。リアン君、私決めた」
「何をだ?」
「私、毎日ここに来る。なんなら村長の権限で、この店をポポロ村の『重要文化財』に指定するわ!」
「大袈裟だな。だが、毎日の来店は歓迎しよう」
俺は苦笑しながら、空になった皿を下げた。
悪くない気分だ。
俺の飯を食って、客がとびきりの笑顔になる。血と硝煙に塗れたこれまでの人生では、決して味わえなかった感覚。
これこそが、俺が求めていた平和の形だ。
「さて、と」
俺は窓の外を見た。
夕日が沈み、ポポロ村に夜の帳が下りようとしている。
この暴力的なまでに出汁の匂いを放つ換気扇の香りに誘われて、そろそろ夜の客が来る頃かもしれない。
「いらっしゃいませ。『ポポロ屋』へようこそ」
俺は入口のドアを開け、真新しい暖簾を掛けた。
暗殺公爵による、前代未聞の異世界定食屋伝説が、ここから静かに幕を開けたのだった。
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