EP 10
「カチコミ失敗と、極上スープの誘惑」
「二度と俺の料理を食わせんぞ」
厨房の奥から放たれたリアンのその一言は、世界を滅ぼすいかなる魔法よりも絶大な威力を発揮した。
「い、いや、リアンよ……。我はまだ何もしていないぞ。ただの不慮の事故だ。そう、肩がぶつかっただけのな!」
さっきまで致死量の黄金のブレスを口元に蓄えていた竜王デュークが、スッと構えを解き、滝のような冷や汗を流しながら両手を上げた。
極上の豚骨ラーメンの探求者である彼にとって、ポポロ屋を「出禁」になることなど、文字通り死よりも恐ろしい罰である。
一方、いきなりカチコミの空気に水を差されたインテリヤクザ邪神デュアダロスは、トカレフを構えたまま眉間に深く皺を寄せた。
「あぁん? 何だ、この優男は? 極道のワシに向かって……」
凄もうとしたデュアダロスだったが、その言葉は最後まで続かなかった。
ピクッ、ピクッ。
彼の整った鼻腔が、微かに漂ってきた『暴力的なまでの旨味の香り』を捉えたのだ。
「……ん? 何だ、この匂いは……?」
デュアダロスの視線が、リアンの背後にある厨房の寸胴鍋へと吸い寄せられる。
「これか?」
リアンは静かに、寸胴鍋の重い蓋を開けた。
フワァァァァァ……ッ!!
立ち昇る湯気と共に、店内に極上の香りが爆発した。
それは、今朝からじっくりと極弱火で煮込まれていた『ロックバイソンのすね肉と、ポポロ村産・朝採れ野菜の極上ポトフ風スープ』だった。
透き通った黄金色のスープの表面には、バイソンの肉から溶け出した甘い脂がキラキラと輝き、大ぶりのキャベツと太陽芋がホロホロに崩れかけている。
「……ッ!!」
デュアダロスの瞳孔がガン開きになった。
長年、薄暗い地下ダンジョンで、フレアが適当に買ってくる「冷めたコンビニ弁当」や「乾き物」しか食べてこなかった邪神。しかも最近はそれすら途絶え、完全な空腹状態である。
そんな彼の極限状態の胃袋に、この「暴力的なまでに優しく、温かい手作りの香り」は、あまりにも効きすぎた。
ギュルルルルルルルルゥゥゥゥゥゥ!!
邪神の腹から、地鳴りのような、情けない空腹の音が鳴り響いた。
「そ、それを……それを食わせろ!」
デュアダロスはトカレフを持つ手をカタカタと震わせ、よだれを飲み込みながら叫んだ。
「ワシは……ワシはずっと何にも食べてねぇんだ! テレビのグルメ番組を見ては、ずっと腹を空かせてたんじゃ!!」
極道の威厳もクソもない、ただの「腹ペコのおっさん」の悲痛な叫びだった。
しかし、リアンは冷たい視線を崩さない。
彼は寸胴鍋の火を弱め、お玉で黄金のスープをゆっくりとかき混ぜながら、デュアダロスを見据えた。
「……食わせろ?」
リアンの声のトーンが、さらに一段低くなる。
「随分と上からの頼みだな。……ウチは炊き出し会場じゃねぇんだよ」
「な、何だと……!?」
「客として俺の飯が食いたきゃ、その物騒なオモチャ(トカレフ)をしまえ。そして、そこのカウンターに座って『ご注文をお願いします』と丁寧に言え。……金は持ってるんだろうな?」
「ぐぬぬぬ……!!」
デュアダロスはギリギリと歯を食いしばった。
インテリヤクザとしてのプライドが「そんな屈辱的な真似ができるか!」と叫んでいる。
しかし、目の前でコトコトと煮込まれるバイソンの肉塊と、黄金のスープの匂いが、「頼むから座って注文してくれ!」と胃袋から全会一致の可決を下していた。
「……チッ」
数秒の過酷な葛藤の末。
デュアダロスは、忌々しそうに舌打ちをすると、トカレフを懐にしまった。
そして、アルマーニのスーツの裾をバサッと翻し、カウンターの丸椅子に(少し遠慮がちに)ちょこんと座った。
「……お、ご注文をお願いしやす……。その、スープ……くだせぇ」
「よろしい」
リアンはニヤリと口角を上げ、深皿に熱々の極上スープをたっぷりと注いだ。
「お待ちどう。……それと、これは初めての客へのサービスだ」
コトッ。
スープの横に添えられたのは、こんがりと焼き目のついた『羽付きの焼きチーズ』と、グラスに注がれた『重厚な赤ワイン』だった。
「……!!」
デュアダロスが息を呑む。
それは彼が地下ダンジョンでヤクザ映画を見ながらずっと夢見ていた、ハードボイルドな理想のメニューそのものだった。
「さぁ、冷めないうちに食え。……ただし、ツケは利かないからな」




