EP 4
「最強シェフのダウンと、闇鍋(卵酒)の錬金術」
その日の夕方。
イグニスの父親であるドグラが、ニャングルのボッタクリツアー(ラッキ君同伴プラン)を大満足で満喫している裏で、ポポロ屋の厨房には異変が起きていた。
「……ッ、……くしゅん」
包丁を握るリアンの動きが、普段の彼からは考えられないほど、コンマ数秒遅い。
額にはうっすらと脂汗が浮かび、白いコックコートに包まれた肩が微かに上下していた。
それに真っ先に気付いたのは、カウンターの端で帳簿の整理をしていたキャルルだった。
「リアン君。……熱があるんじゃない? さっきから手が震えてるわよ」
キャルルは心配そうにカウンターから身を乗り出すと、リアンの額に自分の額をコツンと当てた。
月兎族特有の、柔らかくて長い耳がリアンの頬をかすめる。
「ひゃっ! すごい熱! 燃えるみたいに熱いわよ、これ!」
「そうか? 自分じゃ気付かないものだな……」
リアンはふらつく頭を振り、小さく息を吐いた。
いくら前世で最強の暗殺者であり、今世でも無双の料理人であっても、肉体はただの人間だ。連日の大ヒット『ポポロ弁当』の激務と、ここ数日の突発的なバカどものお守りによる心労が、ここにきて一気に爆発したのだろう。
「……今日はもう店じまいだ。仕込みは終わってる。俺は2階で寝る」
「うん、すぐに布団を敷いてあげるから、早く上がって!」
リアンは大人しくエプロンを外すと、重い足取りで2階の住居スペースへと上がっていった。
◇ ◇ ◇
数十分後。
ベッドに横たわり、熱のせいで浅い呼吸を繰り返していたリアンの部屋に、ドタバタと騒がしい足音が押し寄せてきた。
「リアン! 風邪かぁ? だらしねぇな、このもやしっ子が!」
「まぁ大変。リアンさんのおでこが真っ赤ですわ」
「ワイらの大事な金のなる木が! 死なれたら大損失や、何とかせなアカン!」
部屋のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、イグニス、ルナ、ニャングルのトラブルメーカー三銃士だった。
「お前ら……うるさい……静かにしろ、帰れ……」
枕元から弱々しく睨むリアンだったが、三バカの暴走は止まらない。
「よっしゃ! ルナはん、ここは一発、特効薬を気合入れてブチ込んだらなアカン! カンチョウや! 世界樹の雫(エリクサー級)を直接ケツから注入するんや!」
ニャングルがとんでもない世紀の民間療法(?)を提案した。
ルナは「なるほど!」とポンと手を打つと、世界樹の杖の先端から、怪しく緑色に輝く濃厚な液体をポタポタと滴らせる。
「はいっ! えいのえいのえいっ☆ 準備万端ですぅ!」
「おら! リアン、ケツを出せ! 俺様がその細い体をガッチリ押さえててやる!」
イグニスがニヤニヤしながら、リアンの布団をバサァッ!と容赦なく剥ぎ取った。
「キャー!!」
ちょうど、リアンを看病するために冷たい水盆を持って部屋に入ってきたキャルルが、顔を真っ赤にして両手で目を覆う。
――だが、指の隙間からはバッチリとチラ見している。ウサギ族の驚異的な動体視力は誤魔化せない。
イグニスの丸太のような腕が、リアンの体を力任せに裏返そうとした――その瞬間。
カチリ。
冷たい、絶対的な死を予感させる金属音が、部屋の空気を完全に凍結させた。
「……え?」
イグニスの眉間のど真ん中に、黒光りする『銃口剣』の銃口がミリ単位の狂いもなくめり込んでいた。
ベッドに寝転がったままのリアンの目は、熱に浮かされながらも、かつて帝都の裏社会を支配した『死神』そのものの、恐るべき漆黒の殺意を放っていた。
「……ブチ殺すぞ」
低い、地獄の底から響くような声。
さらに、銃口からは「キュイィィィン……」と、魔力チャージの不吉な高周波音が鳴り始める。
「じょ、冗談だって! ガハハハ……ハハ……ちょっとした竜人のジョークだぜ……!」
イグニスは滝のような冷や汗を流しながら、両手を上げてガクガクと後ずさった。ニャングルもルナの影に音速で隠れて震えている。
「も、もう! あんた達は病人になにやろうとしてるのよ! 下に降りてて!」
怒ったキャルルが三人を部屋から強引に追い出し、パタンと扉を閉めてホッと息をついた。
「ごめんね、リアン君。……じゃあ、私が『卵酒』を作ってあげる! 風邪の時は、それが一番効くって人間の冒険者が言ってたわ!」
「……そうか。助かる。ありがとうな、キャルル」
リアンは銃口剣をシリンダーに収めると、ふっと冷徹な表情を和らげて目を閉じた。
(キャルルなら、あいつらよりはマシだろう……)
リアンは、この時まだ気付いていなかった。
この最強の武闘派ウサギは、「料理スキルが完全なるゼロ」であるという、致命的な事実に。
◇ ◇ ◇
1階のキッチン。
ピカピカに磨かれたステンレスの調理台の前で、キャルルは腕組みをして唸っていた。
目の前には、コップ一杯の『芋酒』と、生卵が一つ。
「えぇっと……卵酒って、芋酒に卵をポイって入れれば良いのよね? やっぱり、栄養を逃さないために殻ごと入れるべきかしら?」
恐ろしい独り言を呟く村長の背後に、先ほど部屋を追い出されたバカ三人が、忍び足で戻ってきた。
「おいおいキャルル。リアンは重症だぜ? そんな卵と酒だけじゃ心許ないぜ!」
イグニスが我が物顔で冷蔵庫と戸棚を漁り、両手いっぱいに食材を抱えて戻ってきた。
「病気にはとにかく栄養だ! 沢庵、塩辛、煮干し、大福、イチゴジャム! これを全部ぶち込むんだよ!」
「えっ? 甘いものと、しょっぱいものを一緒に煮込むの?」
「カロリーが高けりゃ万病は治るんだよ!」
「アホか! 風邪の時は東洋の薬膳やで!」
ニャングルが自分のリュックから、カサカサと音を立てる怪しい小袋を取り出した。
「東の国では、熱冷ましにコレを使うんや! 『蝉の抜け殻』とか最高に身体にええでっしゃろ! 丸ごと煎じるんや!」
「ひゃあ!? 虫の抜け殻!?」
「あ、私のも入れてくださいぃ~☆」
最後に、ルナがふわりと鍋の上に白く透き通るような手をかざした。
「あとは~、私が森で拾ってきた『よく分からない光るキノコ』とか、『ドクドク脈動する紫色の木の実』とか……とにかくよく分からない神秘的な物ね! えいっ☆」
ボチャァン……ドロドロドロ……。
火にかけられた寸胴鍋の中で、芋酒、生卵(殻付き)、沢庵、イカの塩辛、ジャム大福、蝉の抜け殻、そして発光する謎の魔界植物たちが、絶望的な化学反応を奏行し始めた。
ブクブクブク……シュゥゥゥ……。
鍋から立ち昇る煙は、もはやおでんの湯気などではなく、魔界の毒の沼地を思わせるドス黒い紫色に変色している。
たまたま厨房の窓を通りかかったハエが、その匂いを嗅いだ瞬間に、ポトッと床に落ちてピクピクと動かなくなった。
「う、うわぁ……なんかすごい色と匂いだけど……皆の愛(栄養)は満点よね!」
キャルルはお玉でその「ダークマター(元・卵酒)」をグルグルとかき混ぜながら、顔を引きつらせて満面の笑みを浮かべた。
「よし! これを持っていけば、リアン君も一発で元気になるわ!」
熱で倒れた最強の料理人を待ち受けるのは、風邪のウイルスよりも遥かに恐ろしい、異世界の「殺人卵酒」だった。




