EP 8
「帝国の憂鬱と、降臨したジャージの女神」
【幕間:ルナミス帝国 帝都・皇居の最奥】
薄暗い円卓の間に、重苦しい沈黙が降りていた。
ルナミス帝国の頂点に君臨する冷徹なる皇帝マルクス。その御前に、帝国の影を司る内務官オルウェルと、近衛騎士団長となった白銀の騎士クラウス・クライン(リアンの弟)が膝をついていた。
「……報告をまとめよう」
皇帝マルクスが、眉間を揉みながら低い声を出した。
「我が帝国、レオンハート獣人王国、アバロン魔皇国。これら大陸三大国の国境を警備する精鋭部隊が、ここ数日の間に次々と『謎の無力化(武装解除および昼寝)』の被害に遭っていると」
「はっ……。信じがたいことですが、事実でございます」
オルウェルが冷や汗を拭い、神経質に眼鏡を押し上げた。
「生存者(満腹の兵士)の証言によれば、空飛ぶ赤い竜が現れ、そこから降り立った猫耳の商人が『ベントウ』なる四角い魔導兵器を散布したとのこと。それを口にした途端、屈強な兵士たちが涙を流してひれ伏し、戦意を完全に喪失したと……!」
「ば、馬鹿な! たった一つの箱で、三大国の国境線を同時に崩壊させただと!?」
皇帝が玉座の肘掛けを強く叩く。
オルウェルはゴクリと唾を飲み込み、さらに恐るべき推測を口にした。
「……恐らく『ベントウ』とは暗号名。中身は、一度食べれば二度と逆らえなくなる、強力な洗脳作用を持った呪薬か何かに違いありません。そして、それをバラ撒いている拠点は、三国境の緩衝地帯『ポポロ村』。……そこには現在、失踪されたリアン様が潜伏しておられます」
その名が出た瞬間、近衛騎士団長クラウスの肩がビクッと跳ねた。
「さらに諜報部の報告によれば、現在リアン様の周囲には、月兎族の最高傑作、竜人族の次期族長、そして世界樹の巫女が集結しているとのこと。……陛下。これは明らかな『建国宣言』です」
オルウェルの言葉に、皇帝の顔色が蒼白になる。
「リアンは……公爵の地位という小さな器を捨て、伝説の種族を従えた『真の独立武装国家』をあの辺境に創り上げたというのか……!」
「兄上……!」
たまらず、クラウスが顔を上げた。
その瞳には、恐怖ではなく、狂信的なまでの尊敬の光が宿っている。
「兄上は、たった数日で三国の兵站を支配し、世界を裏から牛耳る真の覇道へと歩み出されたのですね……! 陛下! このクラウス、直ちに近衛騎士団の精鋭を率いてポポロ村へ向かいます! 兄上の真意を確かめ、もし帝国に刃を向けるおつもりならば……この私が、全力でお止めいたします!」
「うむ……頼んだぞ、クラウス。決して油断するな。相手はあの『死神』と、伝説の怪物たちだぞ」
「はっ!! ルナミス帝国の誇りにかけて!」
こうして、ルナミス帝国が誇る最強の近衛騎士団が、悲壮な決意と重武装と共に、ただの定食屋に向けて出撃を開始したのだった。
◇ ◇ ◇
【ポポロ村 定食屋『ポポロ屋』】
「ふぅ……。明日の仕込みも終わったな」
世界を揺るがす軍事会議が行われていることなど露知らず。
リアンは包丁を置き、綺麗に磨き上げられたステンレスの調理台を満足げに見渡した。
時計の針は深夜を回っている。
『ポポロ弁当』の爆発的なヒットにより、今の厨房は毎日が戦場だったが、一仕事終えた後のこの夜の静寂が心地よい。
「お疲れ様ぁ。皿洗い、終わったよリアン君」
カウンターの向こうから、キャルルがエプロンで手を拭きながら顔を出した。
村長の業務もあるのに、彼女は毎晩こうして店の片付けを手伝ってくれている。(イグニスはとっくに店の裏のテントで爆睡し、ルナは世界樹の家でゲームをしている)。
「悪いな、キャルル。村長をこき使っちまって」
「いいのいいの。いつも美味しいご飯を食べさせてくれるお礼だもん」
キャルルがふにゃりと笑う。その無防備な笑顔に、リアンの疲れが少し和らいだ。
「……礼と言っちゃなんだが、賄い飯でも作るか。小腹も空いただろ?」
「やった! 待ってました!」
キャルルの兎耳がピンと立つ。
リアンはフライパンを火にかけた。
「夜だ。あまり重くない、酒に合うやつがいいな」
彼が取り出したのは、村で採れた新鮮なグリーンアスパラガス、厚切りの『ピッグシープ』のベーコン、そして、とろけるチーズだ。
ジュワァァァ……!
フライパンにベーコンを並べ、良質な脂を出す。
その脂でアスパラを転がすように炒め、香ばしい焼き目をつける。最後にチーズをたっぷりと乗せ、白ワインを振って蓋をし、蒸し焼きに。
「はぁ……♡ いい匂い……」
「焦げたチーズとベーコンの香りは、深夜に嗅ぐと最強の麻薬だからな」
リアンは手際よく皿に盛り付け、さらに『ネット通販』画面をこっそり開いた。
「この料理はパンにも合うが……今夜はこっちだ」
ポンッ。
虚空から現れたのは、一本のボトル。
『フルボディの赤ワイン(地球産・2000円クラス)』だ。
トクトクトク……。
深紅の液体がグラスに注がれ、豊かな果実香が漂う。
「さぁ、どうぞ。――お姫様」
リアンは少しキザに、グラスを差し出した。
普段は勝気な武闘派ウサギも、この深夜の特別扱いに頬を赤らめる。
「も、もう……お姫様だなんて。村長だけど……ありがとう」
キャルルはグラスを受け取り、一口。
そして、熱々のアスパラベーコンを口に運んだ。
ハフッ、トロォ……。
シャキシャキのアスパラに、塩気の効いたベーコン、そして濃厚なチーズが絡み合う。それを渋みのある赤ワインで流し込む。
「……おいしぃぃぃ……!」
キャルルがうっとりと目を細めた。
深夜の背徳的な味が、五臓六腑に染み渡る。
「当然だ。俺の腕と、地球の酒だからな」
リアンも自分のグラスを傾けようとした、その時だった。
カランコロン~。
入口のドアベルが、気の抜けた音を立てた。
「……?」
リアンとキャルルが同時に振り返る。
そこに立っていたのは、この世界の住人とは思えない奇抜な格好の女だった。
ヨレヨレの芋ジャージ(毛玉付き)。
足元は「健康」と書かれた便所サンダル。
髪はボサボサで、片手にコンビニ袋(ポテトチップス入り)を提げている。
だが、その顔立ちだけは、息を呑むほど――この世の物とは思えないほど神々しく美しかった。
「大将~、酒ぇ~。あと何か適当につまみ出して~」
女は気怠げにカウンターの端に座り込み、仕事終わりのオッッサンのように注文した。
「お客さん。もう店を閉めたんですがね」
リアンが眉をひそめて断る。
こんな非常識な客は影丸でつまみ出してもいいのだが、どこか見覚えのある「強烈にウザいオーラ」を感じる。
女はチッ、と舌打ちし、ダルそうに頬杖をついてリアンを見た。
「うっさいわねぇ……相変わらず融通きかないわね、あんた」
「あ?」
「青田優也……。今は、リアン・クラインだっけ?」
ドクン。
リアンの心臓が跳ねた。
前世の日本人の名を知る者は、この世界にただ一人しかいない。
リアンは目を凝らす。
ジャージ姿の女。手にはコンビニ袋。そして、このふてぶてしい態度。
記憶がフラッシュバックする。あの白い部屋。コタツに入ってミカンを食っていた、あの適当な管理者。
「……駄目女神! ルチアナか!?」
「人聞き悪いわねぇ! 『慈愛の女神』と呼びなさいよ!」
ルチアナはサンダルを脱ぎ捨て、カウンターの椅子の上であぐらをかいた。
「えぇっ!? る、ルチアナ様!? この世界をお創りになった創造神のルチアナ様!?」
キャルルがワインを吹き出しそうになりながら絶叫した。
彼女の知るルチアナ像(教会のステンドグラスや肖像画)は、純白のドレスを着て微笑む慈愛の聖女だ。
目の前にいる、ポテチの袋をガサガサ開けているジャージ女とは似ても似つかない。
「う、嘘でしょ!? だって、神様がなんでジャージ!? なんで便所サンダル!?」
「あー、うるさいウサギねぇ。私は永遠の17歳! 仕事(神の管理業務)が終わったんだからオフモードでいいでしょ。肩凝るのよ、あの聖女ドレス」
ルチアナは欠伸をしながら、勝手にキャルルの皿からアスパラベーコンを一本奪って食べた。
「ん! ウマっ! あんた、やっぱ料理の腕だけはガチね。……おいリアン、私の分も作りなさいよ。あとビール。キンキンに冷えたやつ」
「……はぁ」
リアンは深いため息をつき、頭を抱えた。
帝国の精鋭騎士団が殺意(勘違い)を剥き出しにして迫っていることも知らず。
最強のトラブルメーカー(創造神)が、定食屋の常連客になってしまった瞬間だった。




