EP 5
「早朝の絶望。ネギオのディベートと聖葱剣」
「おおっ、なんて丸々と太った美味そうなキャベツだ。柵の外に転がり落ちてるってことは、拾って食っても『窃盗』にはならねぇよな……?」
社畜時代の経験から培われたコンプライアンス意識を都合よく捻じ曲げ、勇者ユートは朝靄の畑に転がるキャベツに手を伸ばした。
その安易な選択が、己の尊厳と直腸を粉々に破壊する悲劇の引き金になるとも知らずに。
ガシッ。
ユートがキャベツの葉を掴み、引っこ抜こうと力を込めた、その瞬間。
「ひぃぃッ! 待ってくれ! 殺さないでくれぇぇ!!」
「うわぁぁっ!? しゃ、喋った!?」
ユートは驚きのあまり、尻餅をついて後ずさった。
キャベツが自らの葉をワサワサと震わせ、人間の言葉で必死に叫び始めたのだ。
「今なら極上のネタを教える! 隣の村の村長、実は週三でポポロ村のキャバクラに通って、村の経費でドンペリ入れてるんだよぉぉ! だから私を食べないでぇぇ!!」
「……は? なんだその、週刊誌の三面記事みたいなゲスい暴露話は……って、あれ?」
ユートの鼻腔を、ふわりと甘い香りがくすぐった。
不思議なことに、キャベツがドロドロのゴシップを叫べば叫ぶほど、その葉は瑞々しい緑色に輝き、極上の甘みとシャキシャキ感を放ち始めたのである。
「すげぇ……。暴露ネタの鮮度に比例して、めちゃくちゃ美味そうな匂いになっていくぞ……! これならゲロオムレツの付け合わせに最高じゃねぇか!」
「ヒィィッ! 聞いてない! こいつ全然私のネタ(命乞い)を聞いてないぃぃ!」
空腹に理性を支配されたユートが、ヨダレを垂らしながら再びネタキャベツに手を伸ばそうとした、まさにその時。
「……朝っぱらから、他人の畑でピラダイ以下の脳みそ晒して何してんねん、ボウズ」
背後から、底冷えするような低い声が響いた。
ユートが振り返ると、そこには見上げるほどの巨体が立っていた。
頭部は巨大な『長ネギ』。常に眉間に深いシワを寄せた渋い顔つきで、口にはポポロ・シガーを咥え、片手にはポポロ・コーヒーの入ったマグカップを持っている。
エルフを守護する植物兵器ポーンの突然変異体にして、ポポロ村の農業とインフラを一人で回す天才内務官、ネギオである。
「な、なんだあんた!? モンスターか!?」
「アホか。モンスターがこんな綺麗にアイロンがけされたエプロン着るかいな。ワシはこの村の教師兼、農業コンサルタントのネギオや」
ネギオはシガーの煙をふぅっと吐き出し、鋭い眼光でユートを射抜いた。
「おいボウズ。たかがキャベツ一個の話やと思うとるかもしれんがな。お前が今やろうとした『窃盗』の限界費用と、それによって失われる村からの信用の機会費用を計算したことあるんか?」
「は……? げ、限界費用……?」
「ルナミス帝国のマクロ経済学も知らんのか。ええか、お前がそのキャベツを不法に取得した場合、市場に出回るはずやった利益が損失となる。さらに自警団に捕まり、お前が支払うべき罰金と拘束時間を時給換算してみい。たかが銅貨数枚のキャベツのために、金貨数十枚分のリスクを背負う……完全に『双曲割引』に陥った愚者の行動やで」
圧倒的な経済用語の連発。
しかし、ユートも地球では「大学の経営学部」に通っていた身である。ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「ち、違うね! 俺の行為は『行動経済学』的に言えば、空腹という極限状態におけるヒューリスティックな判断だ! そもそも柵がない場所に落ちていた以上、所有権の所在が曖昧で……!」
「アホ抜かせ。ドンガン地下帝国の『所有権移転に関する特別措置法・第4条』によれば、ポポロ村の私有地境界線内にある作物は、いかなる状態でも生産者に帰属する。お前の言い訳はただのサンクコストの錯誤や。出直してこい、三流学生」
「ぐはぁっ……!!」
ルナミス帝国経済講座1級とドンガン帝国鍛冶師通信講座1級を首席合格しているネギオの、完璧な論理と法律の知識の前に、経営学部中退(異世界転生)のユートは手も足も出ず、完全に論破されて地面に突っ伏した。
「……ふん。まぁ、朝からワシのディベートに少しでも乗っかってきた度胸だけは褒めたるわ。最近の農家のオッサン連中は、ワシの顔を見ただけで逃げ出しよるからな」
ネギオはマグカップのコーヒーを飲み干すと、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「せやから、特別にワシからの『親愛の証(ご褒美)』をやろう。お前、魔王を倒す勇者なんやろ?」
「ご、ご褒美……? 朝飯、食わせてくれるのか……?」
「もっとええモンや。究極のバフをかけたる」
ネギオが右腕を振りかざした。
その腕が、鋭く輝く緑色の剣――『ネギカリバー(聖葱剣)』へと変形する。
「な、なんだその剣……!?」
「いくで。気張れやボウズ」
ズオォォォォォンッ!!
ネギカリバーの刃が、闘気とマナを超圧縮し、鋼鉄すらバターのように斬り裂く光を放つ。
そして、ネギオはユートの背後へと一瞬で回り込んだ。
「『ロイヤル皇帝カンチョウ液』……注入!!」
「えっ? カンチ――」
ドスゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
無限に伸びるネギカリバーの先端が、極限まで細く鋭くなり、ユートの無防備な尻の穴(直腸)めがけて、一撃必殺の速度で突き刺さった。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!?」
ポポロ村の朝の静寂を切り裂いて、勇者の鼓膜を破壊するような絶叫が響き渡った。
ネギオの体内から精製された世界樹の究極濃縮エキス『ロイヤル皇帝カンチョウ液』が、直腸粘膜からダイレクトにユートの体内へと注入されていく。
「あばばばばばばばばっ!! 痛い! 痛いし熱いし、何より人としての尊厳がァァァ!!」
「ガハハハハ! 泣いて喜べ! 三日三晩寝込むやろうが、その後は闘気と魔力が爆増する究極のバフや! ほな、ワシは畑の水やりがあるから行くで!」
ネギオはネギカリバーを引き抜くと、爽やかな足取りで朝霧の中へと消えていった。
あとに残されたのは、尻を押さえて白目を剥き、地面をのたうち回りながら全身から異常な量の「闘気のオーラ」を放ち続ける、哀れな勇者の姿だけであった。
◇ ◇ ◇
同じ頃、ポポロ村のシェアハウス(キャルルの家)の居候部屋。
ピロリン♪ と、静かな部屋に電子音が響いた。
「……んゆぅ……?」
目をこすりながら起き上がったリリスが、エンジェルすまーとふぉんの画面を覗き込む。
『【重要】天界カードご利用代金のお支払いについて。明日の引き落とし額:68,000円。残高が不足しています。マグローザ漁船行き(リーチ)まで、残り24時間です』
「あわわわわわっ!! 来ちゃいましたぅぅ!! 借金の支払日が、明日ですぅぅ!!」
顔面を蒼白にしたリリスは、大慌てでジャージを着込むと、部屋を飛び出した。
向かう先は、時給の良さで知られる『タローソン・ポポロ支店』。
彼女のレジ打ちバイト生活と、世界神オリンの抜き打ち視察という二つのカオスが交差する瞬間は、もう目の前まで迫っていた。
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