EP 10
「黄金桃のコンポートと、勘違いの包囲網」
リアンはポポロ屋の厨房に入り、ルナから渡された幻の果実『黄金の完熟桃』をまな板に置いた。
市場に出回れば一つ十万円。そのままかじりついても天上の味が約束されている代物だが、料理人として、素材をそのまま出すのは敗北に等しい。
「極上の素材には、最高の『化粧』をしてやるのが礼儀ってもんだ」
リアンは手早く調理を開始した。
まずは湯剥きだ。
沸騰したお湯に黄金桃を数秒だけくぐらせ、氷水へ。温度差により、皮がつるりと、まるで薄衣を脱ぐように綺麗に剥ける。黄金色の果肉が眩しい。
次はシロップ。
鍋に水、極上の白ワイン、グラニュー糖を入れる。さらに『ネット通販』で取り寄せたマダガスカル産の最高級『バニラビーンズ』の鞘を割って種を削り入れ、レモン汁で味を引き締める。
そこに黄金桃を入れ、落とし蓋をして弱火でコトコトと煮る。
魔法の火力調整で温度を一定に保つと、桃の鮮やかな黄色がシロップに溶け出し、厨房全体が甘美で暴力的なまでの香りに包まれた。
「ふぁぁ……もう匂いだけで気絶しそうですぅ……」
「マスター! まだか! 俺様の胃袋が限界を訴えてるぞ!」
カウンターの向こうで、エルフと竜人がヨダレを垂らして暴れている。
「騒ぐな。粗熱を取って、魔法冷蔵庫でキンキンに冷やさないと味が染み込まないんだ」
数十分後(冷却は氷魔法で強引に短縮した)。
「お待ちどうさま。『黄金桃のコンポート・自家製バニラアイス添え』だ」
カチャリ。
透明なガラスの器に盛られたのは、宝石のように輝く黄金桃のコンポート。
その横には、ポポロ村の新鮮なミルクとバニラで作った濃厚な自家製アイスクリームが添えられ、桃のエキスが溶け込んだ黄金のシロップがたっぷりとかかっている。
「わぁぁ……! キラキラしてますぅ!」
ルナが目を輝かせ、スプーンを入れた。
スッ……。
全く抵抗なくスプーンが入る驚異の柔らかさ。
ルナは、桃とバニラアイスを一緒に掬い、小さな口へと運んだ。
パクッ。
「ん~~~~~~~~っ!!」
ルナが天を仰ぎ、そのまま椅子から崩れ落ちそうになった。
「あ、甘いだけじゃない……! バニラの高貴な香りと、レモンの酸味が、桃の強烈な甘さを何倍にも引き立ててますぅ! それに、冷やされたアイスと桃が口の中で溶け合って……」
ルナは両手で顔を覆い、感涙した。
「世界樹様の加護より甘くて美味しいですぅ! 魔法より魔法みたいですぅ!」
「うめぇ! うめぇぇぇ! 俺様、一生ここで皿洗いするゥ!!」
「リアン君……これ、毎日おやつに出して……お願い……!」
隣では、イグニスとキャルルも完全に語彙力を失い、皿を舐め回す勢いでコンポートを平らげていた。
リアンは自分で淹れたコーヒーを啜りながら、満足げに微笑んだ。
「素材が良いからな。俺は少し手を加えただけだ」
(チョロい。これなら、この災害級エルフも大人しく飼い慣らせるだろう)
リアンは「スローライフの平穏」が守られたことに安堵した。
しかし、彼がこの辺境の村で趣味の料理に没頭している裏で――世界は、彼を中心にとんでもない勘違いの渦に巻き込まれようとしていた。
◇ ◇ ◇
【幕間:ルナミス帝国 帝都・皇居の最奥】
「……申し上げます。皇帝陛下」
帝国の影を司る内務官オルウェルが、冷や汗を流しながら、玉座に座る冷徹なる指導者・マルクス皇帝の前に膝をついていた。
「どうしたオルウェル。帝都の裏社会の掃除は、クラウスが『やりすぎなほど』順調に進めていると聞いているが」
「はっ。それは事実なのですが……失踪されたリアン様の居場所が、我が帝国の諜報機関により判明いたしました。現在、三国境の緩衝地帯『ポポロ村』に潜伏しておられます」
マルクス皇帝の眉がピクリと動いた。
「ほう。あのクライン家の最高傑作にして、裏社会を束ねていた死神が、あのような辺境に? ……まさか、ただの隠居ではあるまいな」
「陛下のご推察の通りかと。……恐るべき報告が上がっております」
オルウェルはゴクリと唾を飲み込み、報告書を読み上げた。
「現在、リアン様の周囲には、不自然なほど大陸の要人が集結しつつあります。
一人目は、レオンハート獣人王国の近衛騎士候補にして、月兎族の最高傑作、キャルル・ムーンハート。
二人目は、誇り高き竜人族の次期族長、イグニス・ドラグーン。
三人目は……不可侵領域であるはずのエルフの森から姿を消した、次期女王候補にして『世界樹の巫女』、ルナ・シンフォニア」
その報告を聞いた瞬間、冷徹なマルクス皇帝の顔色が変わった。
「な……なんだと? 月兎族、竜人族、そしてハイエルフだと……!? そのような神話クラスの戦力が、ただの辺境の村に偶然集まるなどあり得ん!」
「はい。我が諜報部の見解も一致しております」
オルウェルの眼鏡の奥が、恐怖に震えた。
「リアン様は……公爵の地位という『小さな器』を捨てたのです。彼は辺境の中立地帯を拠点とし、各国の最高戦力を取り込み、我らルナミス帝国にも属さない『新たな独立武装国家』を建国するおつもりなのです!!」
ダンッ!!
皇帝マルクスが、思わず玉座の肘掛けを強く叩いた。
「なんという恐ろしい男だ……! 帝都の裏社会をクラウスに囮として任せ、その隙に大陸のパワーバランスを根本から覆すつもりか! 武力、魔力、そして伝説の種族たち……リアン一人のカリスマで、それらを束ねているというのか!」
皇帝の脳内では、リアンが魔王のように世界樹の玉座に座り、月兎と竜とエルフを従えて不敵に笑う姿が鮮明に浮かび上がっていた。
「……オルウェル。直ちに近衛騎士団から極秘の『視察団』を編成しろ。ポポロ村へ向かわせるのだ。決して手を出してはならん。リアン・クラインを刺激すれば、帝国は明日にも火の海になるぞ!」
「はっ! 直ちに!」
帝国の最高首脳陣は、かつてない国家存亡の危機感に震え上がっていた。
――一方、その頃。
当の『帝国を脅かす死神』リアン・クラインは。
「ふむ……明日の日替わり定食は、アジの開きと豚汁にするか」
ピカピカに磨かれた定食屋のカウンターで、白い布巾でグラスを拭きながら、平和に明日の献立を考えていた。
ただ美味しいご飯を作って、静かに暮らしたいだけ。
そんなリアンのささやかな願いとは裏腹に、最強の暗殺公爵を巡る、世界規模の壮大な勘違い劇が、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた――。




