第34話 闇の精霊
***
応接室に閉じ込められたフィリーネは口元に手を当て、うーんと考え込んでいた。
「どうやったらここから脱出できるでしょうか?」
叫んでもドアを叩いても誰にも気づいてもらえなかった。
カーテンをロープ代わりにして地上へ降りるにしても長さが足りない。
このままでは生贄の花嫁の座をミリーネに取られてしまう。
社交界のエトワールであるミリーネに言い寄られたら、シドリウスもイチコロだ。
(お姉様の後でシドリウス様に告白しても、私に勝ち目はありません。美味しそうなのは絶対にお姉様です……)
敗北は容易に想像できる。
フィリーネはため息を吐きながら、近くにあった本棚の側板に手をついた。
本棚にはたくさんの分厚い本がずらりと並んでいる。総重量はかなりのものであるはずなのに手をついた瞬間、いとも簡単に動いた。
「か、軽いです!」
さらに驚くことに、動いた本棚の後ろには人が一人通れるほどの扉があった。
「これは隠し扉? どこに繋がっているのでしょう?」
もしかしたら外へ出られるかもしれない。
このまま大人しく待っているなんて、フィリーネにはできなかった。
「やれることは、とことんやってみましょう」
覚悟を決めたフィリーネは扉を開けた。
扉の向こう側は通路になっていた。窓がないため真っ暗で何も見えない。
しかし、通路の先から四角い光が漏れ出ている。どうやら扉があるようで、どこかの部屋と繋がっていそうだった。
フィリーネは迷わず通路を通る。
お仕着せのスカートに埃がつかないよう、寄せ集めてから歩いていく。
予想していたとおり、突き当たりにあるのは扉だった。
扉と枠の間から光が漏れている。
「どうか、開きますように」
フィリーネは祈りながら扉のドアノブに手をかけ、回してみる。
カチャリ、という音ともに扉は開いた。
「やりました! 無事に脱出できそうです!!」
思わず歓喜の声を上げるが、慌ててフィリーネは口に手を当てた。
大広間では大勢の招待客で賑わっているが、ここは完全にランドレイス家のプライベート空間。開放されていない場所なので、言ってしまえば不法侵入である。
気を引き締めたフィリーネは、室内をぐるりと見回した。
灯りがともっている室内は、豪奢な装飾品で溢れていた。カロンが古城は地味だと言っていたが、この部屋の壁には絵画が飾られ、暖炉には精巧な陶器が飾られている。
天蓋つきのベッドやチェストなどにはマホガニーの木材が使われており、上質な家具だというのが一目で分かった。柱や回り縁には、相変わらず金箔の装飾が施されている。
因みに、フィリーネが出てきたところは室内側からだと扉ではなく、田園風景の絵画となっていた。
フィリーネは絵画の扉を閉める。
「誰もいませんね。……でも、どうして灯りがついているんでしょう?」
この部屋は誰かの私室のようだが、アーネストの部屋なのだろうか。
それなら一刻も早くこの部屋から出ていかなければ。万が一、アーネストと鉢合わせしてしまったら、不法侵入したとして捕まってしまう。ミリーネだって止めに行けない。
フィリーネは足早に出口へ向かっていると、天蓋つきのベッドから呻く声が聞こえた。
「ふううっ……」
天蓋つきのベッドに目を凝らして見ると、そこには初老の男性が眠っていた。
絶え間なく苦しむ声が聞こえてくるので、堪らずフィリーネは駆け寄る。
彼は眠っているだけなのに、とても威厳があった。さらにその顔立ちは、どことなくアーネストとよく似ている。
「この方はもしかして、ランドレイス公爵様でしょうか?」
公爵が床に伏せっているというのは有名な話なので間違いないだろう。
明らかに顔色が悪く、額には珠のような汗が滲んでいる。
時折、やめてくれといううわ言も聞こえてきた。悪夢に魘されているようだ。
フィリーネは公爵を起こそうと声をかける。
「公爵様、起きてください。あなたが見ているのはただの悪夢です」
呼びかけて身体を揺すってみるものの、ランドレイス公爵は呻くだけで起きる気配はまったくなかった。
「これって、もしかしてシドリウス様と同じ夢塞病でしょうか?」
ランドレイス公爵の症状は夢塞病とそっくりだ。
「夢塞病なら私が治せるかもしれません」
治す方法はただ一つ。公爵に添い寝をすることである。
しかし、そこで問題が発生した。
「私のような者が公爵様の隣で勝手に添い寝をして大丈夫でしょうか? もしもランドレイス様や使用人の方が入って来られたら、どう説明すれば……」
添い寝したら治ると言って納得してくれる可能性は限りなく低いと思う。それが事実だとしても、胡乱な態度を取られて終わるだけだろう。
最悪の場合、不法侵入した痴女として捕まってしまいそうだ。何よりも、シドリウスの時には添い寝ができたのに、ランドレイス公爵にはできない自分がいた。
よく分からないが、シドリウスの時と違って公爵の場合は羞恥心の方が勝ってしまう。
「でも、私が添い寝しない限り公爵様の夢塞病は治りません」
公爵の回復を考えたら背に腹はかえられない。
「もう成り行きに任せるしかありません!!」
フィリーネが意を決してベッドに膝をついていると、頭上で気配を感じた。
紫紺蝶だ。普段と違って焦っているのがよく分かった。
「どうしたんですか?」
フィリーネが人差し指を差し出して尋ねるが、紫紺蝶は指には留まらずにフィリーネの顔の周りを飛んでくる。
添い寝はしなくていいから公爵の手を握って力を使うよう言われている気がする。
「分かりました。やってみます」
フィリーネはベッドから降りると床に膝をつく。
言われたとおりランドレイス公爵の手を握って、夢塞病から解放されるように祈った。
指先から紫色の光の粒が現れ、公爵の手に馴染むように消えていく――。
紫紺蝶はひらひらと公爵の上を飛び回り、紫色に光る鱗粉を振り撒いた。その鱗粉は、フィリーネの指先から溢れる光の粒とよく似ている。
どのくらい経っただろう。必死に祈りを捧げていると、公爵の手がぴくりと反応した。
フィリーネが公爵の顔を覗き込むと、睫毛が震えている。やがて、ゆっくりと瞼が開き、瞳に光が宿った。
「君は……それに私は……」
「お加減はいかがですか? 長い間、悪夢に魘されていたんですよ」
フィリーネはにこりと笑みを浮かべて公爵の手を離す。
「ランドレイス公爵様は夢塞病を患っており、目覚められない状況にありました。ですがようやく、現実に戻って来られました」
説明すると、公爵がゆっくりと上体を起こす。
「確かに私はずっと夢か現実か分からない恐ろしい体験をしていた。……ああ、あれはただの夢だったのか。良かった。良かった、夢で……」
公爵は安堵の息を漏らすと、手で顔を撫でる。
「ところで、お嬢さんは精霊師のようだが、どこの精霊師一族の者だね? 君の隣にいる精霊は初めて見る属性だ。光の精霊ではないようだね」
公爵はフィリーネの周りを飛んでいる紫紺蝶に目を向ける。
フィリーネは質問を受けてどう答えるべきか逡巡した。
アバロンド家にとって闇の精霊の話を外部の人に話すのは御法度だ。
闇の精霊は不幸を振り撒く存在だと言われている。
この話が世間一般で有名な話かどうか分からない。とはいえ、公爵に闇の精霊だと話して怖がられたらと思うと、正直に打ち明けられなかった。
「私はいつもこの子と一緒にいますが、精霊契約を結んでいません。精霊師ではありません」
フィリーネは紫紺蝶が何の精霊であるかを伏せた上で、精霊師ではないと否定した。
公爵は少し驚いてみせるも、すぐに穏やかな表情になる。
「契約を結んでいないのに、精霊が手を貸してくれるのかね? 精霊というのは気まぐれで、普通は人間に手を貸さないと聞くが……とにかく、助けてくれてありがとう。命の恩人の名前を知りたいんだが、訊いてもいいかな?」
「名乗るほどの者ではございません。一先ず、誰か呼んできますね。公爵様が目覚めたと知ったら、皆さんお喜びになると思います」
フィリーネはニコリと微笑む。側を飛んでいた紫紺蝶の前に人差し指を差し出していると、外から地響きと共にガラガラと何かが崩れる音が聞こえてきた。




