第32話:新世界平和構想会議へ——開幕前夜の緊張
私は、連邦内の「中立地帯」と呼ばれる空間に立っていた。ここは、悠人のマナ技術によって完全に構築された、非現実的な場所だ。壁は存在せず、周囲は光のバリアで覆われ、空間そのものが一つの巨大な通信ハブとなっていた。従来の会議場とはかけ離れた清潔感と非現実感は、既に私たちと旧秩序との間に存在する隔絶を象徴していた。
私たちの目の前には、世界中の首脳たちの顔を映し出すための巨大なホログラムディスプレイが配置されている。
「綾音さん」悠人が調整を終え、私に振り返った。「これを見てください。」
彼はディスプレイを操作し、会議の参加者全員の通信に、マナ技術に基づいたリアルタイム同時通訳システム(翻訳機)を組み込むことを示した。
「このシステムは、世界中の全ての言語をゼロ遅延で翻訳します。言葉の壁は消滅する。不公平な情報操作も、誤訳による議論の妨害も起こらない。会議は完全に公平に進むでしょう。これも、マナ技術の最初期の平和利用です。」
これは、従来の国際会議で常に問題となってきたタイムラグや通訳者のバイアスを根絶する、まさに奇跡的な機能だった。私は、悠人の技術が持つ絶対的な公平性と、その力の大きさに改めて圧倒された。
悠人の表情には、世界史を書き換える重圧と、平和への揺るぎない確信が混在していた。彼が核保有国へのデモンストレーション、すなわち強制力の発動の最終調整を行っていることを知っていた私は、背筋が凍る思いだった。
私は外交官として、この重大な局面で一切の迷いを断ち切る必要があった。私は深呼吸し、自分の役割を再確認した。悠人の宣言を世界に伝え、日本の協力を担保する。それこそが、私の使命だった。
会議開始数時間前、日本政府の副長官から、私たちのセキュアな通信に連絡が入った。
「旧秩序側が動いたぞ。参加を決めた核保有国が裏で結託し、『マナ技術の運用に関する国際的な監視委員会への連邦の参加』を要求する共同質問状を練っている。会議の主導権を奪うための最後の外交戦略だ」
副長官の声には、焦燥と、日本の限界が滲んでいた。
「我々が提供できる情報はこれが最後だ。これ以上は、国際的な監視委員会への参加という建前上、動けない。後は、あなたの外交手腕と、彼の力にかかっている」
私は情報を受け取る一方、悠人が別の動きを見せていることに気づいた。会議直前、悠人の力を試すため、核保有国の一部が軍事演習の規模を急拡大するなどの威嚇行動を試みたのだ。
悠人は無言で手をかざした。次の瞬間、世界の主要な通信システムが、ごくわずかな時間、機能停止した。悠人は、彼らの主要な通信システムや演習用の兵器を即座に停止させることで、威嚇を未然に無力化し、再び通信を回復させた。静かだが、絶対的な力の行使だった。威嚇を試みた国々の政府中枢は、開幕前に既に屈服させられたのだ。
悠人は、最終調整を終え、私を見た。
「綾音さん。彼らは共同質問状を用意しているようですが、一切の議論に応じる必要はありません。彼らがどのような反論や外交的な妨害をしても、我々はデモンストレーションをもって核廃絶の要求を確定させる。いいですね?」
「承知しています」私は答えた。
悠人は私の目を見つめた。「これが、人類に与える最後のチャンスだ。会議に参加しながら、邪魔をするつもりでいる国々に、後々までダメージを残すことになるでしょう。」
会議開始の秒針が刻一刻と迫る。私は自分の席に着いた。画面には、世界中の首脳たちが映し出されていた。日本の副長官が緊張で顔を強張らせているのが見える。屈服して参加を決めた核保有国の代表たちは、時計を気にしながら、慇懃無礼な態度を維持しようと必死だった。
全世界のメディアと指導者の視線が、連邦の中立地帯に集中する。これは、大きなうねりが起こる直前の、張り詰めた静寂だった。
『会議開始まで、5、4、3、2、1……』
綾音のモノローグとともに、マナ技術が起動し、会議のセキュア通信が一斉に接続される。




