第2話「図書室の声なき声」
教室の窓から見える海は、午前中よりも少し灰色がかっていた。潮風が校舎の廊下を吹き抜ける。
藤原あかねは、朝のホームルームを終えると自然と図書室に足を向けていた。
「……今日は誰が消えてるんだろう」
心の奥でそんな予感がよぎる。あかねには、忘れられる人の“気配”がわかるのだ。
図書室の扉を開けると、静けさがひんやりと包み込む。カーテン越しの光が本棚の隙間に落ちて、小さな埃を光らせていた。
「……あの人?」
図書室の奥、静かに机に向かう一人の影があった。
中条遥――無口で知られる図書委員だ。背筋を伸ばし、ノートに何かを書き込んでいる。誰もその存在に気づかない。いや、正確には、みんなに“存在を忘れられている”のだ。
あかねはそっと手帳を取り出す。
【中条遥 図書委員 無口だけど優しい 静かに読書を愛す】
書き込むと、図書室の空気が微かに震えた。遥の輪郭が、あかねの視界に少しずつはっきりと戻ってくる。
「……あかねさん?」
声が届いた。あかねの胸の奥で何かが跳ねる。
「遥……忘れられてたの?」
遥は小さく頷いた。言葉少なに、でも確かにあかねの目を見ている。
「図書室にいると、いつも安心する。でも、誰も来ないから……たまに消えたみたいになる」
あかねは手帳を開き、さらに細かく書き込む。
本の名前や、遥の書き込んだメモ、ほんの些細な仕草。
すると、不思議なことに、書き込まれた瞬間、遥が微かに笑みを見せた。
「あかねさん……覚えててくれて、ありがとう」
あかねはにっこり笑う。
「私だけは、忘れないよ」
その日、放課後の図書室は、二人だけの時間で満たされた。
静かに、でも確かに、忘れられた存在がここに戻ってきた瞬間だった。
帰り道、あかねは手帳を握りしめる。
忘れられる人々を記録することは、単なる記憶の保存ではない。誰かを覚えていることで、失われた心の欠片を少しずつ取り戻すことなのだと、改めて思う。
しかし、この町に流れる“忘れの季節”の正体はまだ隠されたままだった。
あかねの冒険は、次の忘れられた誰かへと続く――。




