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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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27/28

二十

 都会の町並みの只中に佇む、古式ゆかしい大きな屋敷。

 その広大な敷地の一角に、あらゆる喧騒から隔たれた静かな離れがあった。

 艶々とした縁側は障子が開け放たれ、夜気に浸された静かな風が入ってくる。六畳ほどの狭い室内は、存分に冷やされた空気に満たされているせいで外との気温差がほとんどない。

 夏だが、寒いくらいだ。


 部屋の片隅。文机の上に開いた書物の端が、吹き込む風に揺れてカサカサと乾いた音を立てる。

 傍には長い脚を持つ燭台。明かりは小さな蝋燭一つ。月明かりは分厚い雲に隠され、どことなく不気味な風の吹く夜だった。


 部屋には一人の少年がいた。常磐色の座布団に行儀よく正座し、文机に向き合っている。若い男――というより、少年と言ってよい年齢の子供だ。

 年は十五、六歳といったところ。綺麗に整った顔立ちは女性と見紛うほどで、全体的に華奢な体格をしている。若干幼い顔立ちをしていることを除いても、言われなければ完璧な和風美人だ。

 それでもひ弱そうな印象を受けないのは、芯を支える凛とした気配のせいだろうか。いや、それ以上に――――触れれば斬られる。そんな冴えた刃のような雰囲気が、彼という存在を鋭利に際立たせているのだ。


 しん、と沈黙が降り積もる。そんな最中。

 不意に、蝋燭の炎が小さく揺れた。火種が焦げ付くような、ジッという微かな雑音。その一瞬の合間に、いつの間にか縁側には大柄な男が片膝を突いていた。


「ただいま戻りましたよ、坊っちゃん」


 "坊っちゃん"と呼ばれた少年は読んでいた書物からすっと顔を上げ、何の感情も映さない瞳を男に向けた。

 男は一応礼儀に則って傅いているが、臆せず持ち上げた顔は呆れるくらいの笑顔で、まるで年下の親戚に向けるような気安さを隠そうともしない。

 少々日本人離れした彫りの深い顔立ちは、肌の浅黒さと相まってワイルドな印象を見る者に与えていた。本人もそれを意識しているのか、服装も至ってワイルド系だ。細身のジーンズに黒のインナー、アウターは黒のシングルライダースで揃えている。紺色のシンプルな浴衣を着た少年、豆電球一つない古風な和室と比べると、場違い感が凄まじい。白いソックスのおかげでようやく馴染んでいるといった有様だ。

 だが部屋の主である少年が何も言わないところを見ると、別段珍しくもない服装なのだろう。もしくは、それよりも不愉快なことがあるせいか。

 少年は眉を顰めると、恨めしそうに男を睨むのだった。


「坊っちゃんはやめろといつも言ってるよね、時雨?」

「いやぁ、すみません。昔からの癖で、つい」

「その言い方。改める気ないだろ」

「へへっ」


 全く反省のない様子に、少年は小さく嘆息して書を閉じる。そして、体ごと縁側へ向き直った。それを見た男――時雨の口元に、悪戯が成功した悪ガキのような笑みが広がる。少年は側近の表情に気付いたものの何も言わず、続けて問いかけた。


「で? 何が掴めた?」

「大方ってところです。ちょっと前を失礼」


 と一言断ると、両膝でにじって主の対面に進み出る。

 その間に少年は短く刀印を切り、部屋に防諜の結界を張った。まさか会話を盗み聞きをする者がいるとは思わないが、用心するに越したことはない。

 男が語りはじめた。


「数日前のことです。突然、例の禁足地(・・・)に獅子王家の御嫡男が踏み込んだとの情報が入りました」

「うん。寝耳に水だったね。だから、詳細を知るためにお前に調査させていたんだ。あの地には鬼たちとの取り決めがあるから」

「壱美は鬼の土地。ゆえに、討魔六家の名を持つ者は近付いてはならない。境界を越えてはならない――ですよね。約定自体はかなり古い時代に交わされた、時代の遺物みたいなもんですが」

「約定は約定だ。何百年経とうとね。まあ、今はそんなことどうでもいい。知りたいのは獅子王家の真意だよ。で、どうだった?」

「それなんですけどねぇ」


 僅かに身を乗り出す主君に対し、時雨はぽりぽりと頬を掻いて少し言いにくそうにした。


「どうも、若獅子が突っ走っただけみたいっすね。誰かに命令されたか、唆されたか……その線でも探ってみましたが、完全に白です。つーかあの子、可哀想なくらい足枷ついてて探るもクソもねぇですよ。唯一関わりを持ってるのが氷の若君ですが、あの方は暗躍とかするタイプじゃなさそうですし」

「雪之丞さんか。確かに、彼はむしろそういうことを嫌うタイプかな。となると……?」

「完全に別件(・・)っすね。だとしても約定を無視してるのはおかしいんですけど。いっそ何も知らなかったって言われても違和感ないくらいで」

「何も知らない、か……」


 少年はほっそりした顎に手を当て、考える素振りをする。頭に過った情報が自分と関係あるか否か、少々悩んだようだった。


「確かあそこ、先代先々代と続けざまに当主が死んでるんだっけ」

「ええ。二十一年前に先々代が、十六年前に先代が亡くなってます。お二方とも殉職ですね。特に先代は二十五歳という若さだったかと。当主の座を受け継いだのが十九の時ですし、当時は当人も周りもてんやわんやだったでしょうねぇ」


 時雨が資料を見もせずに答える。その表情は同情たっぷりだ。だが他家の事情など興味のない少年は、ふーんと風のように受け流した。


「じゃあ、その時継承が上手く行かなかったのかもしれないな。色々ごたついてただろうし、十分あり得る。彼――侑斗君って言ったっけ。たぶん、約定のことも桜魔の鬼のことも何も知らないんじゃないかな。だとしたら筋が通る」

「それは……なんと言ってよいのやら」

「気にすることないよ。余所の事情には不干渉が討魔六家の鉄則だ。どのみち、今のところ僕たちには関わりないし」

「それもそうですか。では問題は、我々がどう動くか、ですね」

「そう」


 少年の瞳に、蝋燭の炎が反射する。一瞬妖しく光ったように見えたのは、きっと気の所為だ。そうに違いない。

 時雨はぞくりと肌が粟立つような寒気を覚えながら、同時に目を奪われてもいた。

 目の前の少年が放つ、異質なオーラに。


 ――討魔六家、風の音無家。

 勘当同然に本家を追い出された次男が為した、本来なら敷居を跨ぐこともできない身分の子供。

 にもかかわらず、生まれつき人外の霊力を有していた麒麟児。その才覚は、六家創設の祖に匹敵するとまでいわれる。


 音無音河(いんが)

 生き別れた凛音の双子の弟は、十年経った現在、怜悧な相貌にどこか危うい闇を宿した少年に育っていた。


 その闇に惹かれる一人、時雨は、知らず知らず口角を上げる。

 期待と愉悦。自分より一回りも歳が離れたこの少年は一体これから何をするつもりなのか。


「討魔六家にとっての禁足地、桜魔山。ババアたちはあの地を欲しがっている。何かあるんだ、あの山には」

「当主と後継者にのみ代々受け継がれる秘匿、ですか。坊っちゃ……音河様はまだ教えられてないので?」

「現当主がアレだからね。未だに僕のことを後継者として認めてないし。かと言って、息子たちに当主の器がないってのも理解してるから、候補から外す勇気もない。まだ当分揉めるだろうね、この家は。ま、獅子王家よりはマシな状況だけど」


 自分に関することなのに、完全に他人事である。それどころか、揉めるだろうと発言した時の彼は薄っすらと面白がってすらいた。

 彼にとって、音無という家に価値はないのだ。だから現当主のことも、未だ決まらない後継問題も、出来の悪い従兄弟たちも、何もかもがどうでもいい。

 大切なのは、ただ一つだけ。


 音河は文机に肘をつき、鬱陶しげに前髪を触った。黒い双眸に影が落ちる。それでも瞳は、依然として蝋燭の炎を映している。


「離婚した後、(あいつ)は母さんと姉さんを追い出した。よりによって禁足地――壱美市にだ。この奇妙な一致は、偶然ではあり得ない。絶対にババアが仕組んだんだ。先代当主であるあの婆さんは全てを知っているんだから」


 あいつ、ババア、と。血が繋がっていることすら厭わしいというように、口汚く罵る。綺麗な顔から汚い言葉遣いが出てくるのはある種奇妙だったが、主の気持ちを知る時雨は静かに見守っていた。


「そこへ来て、獅子王の嫡男が禁足地に侵入したという情報だ。これを契機にあいつらが動くかもしれない。場合によっては、僕たちにとっても追い風になるかも」


 この十年間、音河もただ大人しく父たちの言うことを聞いているだけではなかった。今の彼は音無家の最大戦力であり、彼を慕う討魔士が特に若者を中心に多く存在する。仮に祖母との対立を宣言したとしても、彼らがまるっと味方になるわけではない。だが、未だ強い権力を握り続ける祖母、そして音河をなかなか後継者と認めようとしない現当主の二人を嫌って音河につく者も、それなりにいると予想している。

 元から持っていた才能に加え、地道に努力を続けてきた賜物だ。討魔士は、自身の上に立つ者にも相応の実力を求めるのである。

 だが、そんな彼らでさえ音河にとっては駒に過ぎなかった。そのことを、時雨以外は誰も知らない。――誰も信用していない。


「……音河様は、お二人の保護に動かれるので?」

「当然。それが僕の目的なんだから。前から言ってるだろ。時雨は不満?」

「そうは申しませんが」

「たとえお前に異議があろうと、決意を変える気はないからね。そうじゃなきゃ、僕がこの家で我慢してきた意味がなくなる」


 音河の苛立ちを感じたように、蝋燭の灯火がちろりと揺らいだ。瞳に映る炎の影も、橙色の光をぼんやりと揺れ動く。しかし瞳は明るくなるどころか、より一層陰鬱さを増した気さえした。

 蠢く。

 胸の奥で、仄暗い妄執が。


「今更、あいつらに母さんや姉さんをどうこうする資格なんかないんだ。二人は僕が護ってみせる。一生、ね――」


 まるで獲物を罠にかける猟師のように、音河は静かに薄く笑った。




〈第二章 了〉

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