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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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25/28

十八

 時刻は午前一時を過ぎた頃――猿羅町の一角にある古い民家に凛音たちが乗り込んだのと、ほぼ同時刻。

 場所は壱美市の中央にそびえる桜魔山。その南西の空を臨む崖の上に、町を見下ろす鬼たちの姿があった。

 白面鬼と瑠璃姫、縹の三人である。


 凛音が侑斗に付いて行動開始した後、白面鬼は縹を山に呼び戻していた。侑斗がいることで縹の護衛としての役割は終わったと捉えた上で、若い討魔士の監視くらい凛音一人にやらせようと考えたからだ。


 瑠璃姫は凛音に修行と称してあやかし退治をさせ、伴に縹をつけることを許した。だが白面鬼は、そこまでする必要はなかったと思っている。あやかし退治をさせるのはいい。ただし、修行を兼ねるなら一人でだ。危なくなったら助けてもらうのではなく、自分で考えて動かなければ経験は身につかない。負けて逃げ帰るのもまた経験だ。

 凛音は瑠璃姫のやり方をスパルタだと思っているが、白面鬼からすれば瑠璃姫は過保護で甘いとしか言いようがなかった。


「俺が幼少の頃は、そんな生温いことはしなかったぞ。まったく今の若者と来たら……」

(ハク)様。そのようなことを凛音の前では仰らない方がよろしいかと。老害なんて言われたくなければ」

「老……」


 白面鬼が通ってきたのは、現代以上に少数精鋭だった時代。個に求められる質は今と比べてもはるかに高く、それこそ修行で命を落とすのも珍しくなかった。

 だからこそ、現代風の優しい教育に不満がこぼれる。

 そんな彼に、瑠璃姫の辛辣な一言が突き刺さった。なかなか強烈なカウンターパンチに、白面鬼もショックで固まる。瑠璃姫はクスクスと忍び笑いを漏らし、一番後ろで畏まる縹に目配せをしてみせた。

 容赦のない一撃には、凛音に指導のようなことをしている縹への配慮も含まれていたのだ。生真面目な彼は、困ったように眉を下げるだけだったが。


「まあ、結局こうして凛音の奮闘を見守ることにしたのです。白様も気になっておられるのでしょう?」

「……単なる暇潰しだ」

「ふふ、相変わらず素直でないお方」


 白面鬼の顔は仮面に隠されていて見えない。けれど瑠璃姫は、面の下の顔がどんな表情をしているのか分かっているかのよう。口に手を当て淑やかに笑うと、左目に留まった蝶が微かに揺れた。


 人類に仇なす天敵、鬼。そんな恐ろしい存在が三人も集まっているにもかかわらず、ここには穏やかな空気が流れている。

 数キロメートル離れたところでは、新たに同胞に加わった少女が懸命に戦っている。だが三人とも凛音に危険が及ぶとは考えていなかった。曲がりなりにも鬼だ。死ぬことはないだろうと、ある意味楽観しているのだ。


 だが、雲一つない空で雷鳴が轟いたその瞬間、流れは変わった。

 遠くからでもはっきりと分かる不浄なる気配――穢れ。それは、人が生きていれば自ずと発生するもの。それ自体に悪意はないが、集まれば厄介でもある。穢れは悪しきものを呼び寄せるからだ。

 ただし、ここまで濃密なものは通常自然発生しない。誰かが故意に生み出したのでなければ。

 そんなことをする相手には心当たりがあった。

 最後に顔を見たのは数百年も昔。

 お互いに、敵として。


「奴が生きていたか。元より死んだとは思っていなかったが」


 あの時はとどめを刺せなかった上、逃げられたのだ。それでもかなりの手傷を負わせたが、同様に白面鬼も一時は動けないほどの重傷を負った。自分と似たりよったりだとすれば、奴もまた随分前に力を取り戻し、機会を窺っていたに違いない。

 桜魔山に攻め入るチャンスを。


 白面鬼たちはその後も注意深く猿羅町の戦いを見守っていたが、それ以降宿敵の気配を感じることはなく、しばらくして戦いは完全に終わった。

 凛音も無事に当初の目的を――いや、それ以上の成果を得たようだ。


 ――あれならば使えよう。

 仮面の下で満足気に口角を上げた。

 そんな時だ。


「白様。あれを」

「ああ」


 瑠璃姫が袂を押さえつつ空を指さす。

 月明かりの散る淡い夜空。薄っすらと雲が流れる下を、ふらふらと傷ついた鳥のように飛んでくる黒いモノが見える。

 討魔士が討ち漏らした穢れだ。

 当然、白面鬼も気が付いていた。


「天狗たちに任せますか?」

「死にかけの蝿を叩き落とすくらい、地上(ここ)からでも十分だ」


 白面鬼はただそう言って、無造作に前へ進み出た。

 崖の手前ギリギリ。眼下には目もくれず、視線は敵を見定めたまま。

 日に焼けていない白い腕が袖口からちらりと覗く。その筋張った手が、左手に持つ太刀の柄に触れた。


 刹那。

 横薙ぎの銀閃。

 ヒュッ、という悲鳴のような叫びは、刃が風を切った音か、刃に斬られた者の断末魔か。

 決して斬撃が届くはずのない、遠い空にあったはずの穢れ。

 だが直後、それはしっかりと上下真っ二つに分かたれていた。そして二度と繋がることなく、それぞれに霧散して世界に溶けていく。

 余韻さえも消え去った空気に、カチンと音が鳴り刃が鞘に収まる。


「お見事ですわ」


 瑠璃姫が称賛するも、白面鬼に喜びの色はない。

 当然だ。彼にしてみれば、その辺の草についた露を払った程度の仕事でしかない。刀を振るったことすら既に忘却の彼方。それどころか、彼は小さく腹を立てていた。


「まったく、今時の討魔士は穢れの祓い方も知らんのか。最後の一片が消えるまで油断してはならんというのは、最初に教わることだぞ。今は違うのか?」

「そういうわけではないと思いますが……。討魔士が広く登用されるようになった結果、穢れを目にする機会が却って減ったのかもしれませんね。専門分野が昔よりも細分化されておりますから。あるいは単に、あの坊やが良き指導者に恵まれなかっただけとか」

「没落した獅子王の嫡男か。ふん、憐れだな」


 突き放すような発言は、しかし表面上の冷淡さとは裏腹に寂寞とした響きが込められていた。

 討魔六家。彼らの祖には浅からぬ縁がある。彼女(・・)がどのような思いで、現代にまで繋がる糸を紡いだのか。それを考えると、この千年の間に起きた変化は心情的に喜べるものではない。

 尤も、変わることを望んだのは討魔士たち自身だ。白面鬼はただ見ているしかない。


(とは言え、やはり外での調査が必要だな)


 討魔士たちの変化は無視できない。

 白面鬼からすれば、たったの五十年や百年。だが、その間に人間たちは着実に変化し、あるいは進化している。

 人間だけではない。鬼やあやかしの中にも、敵はわんさかといる。両者が手を結ぶことはないだろうが、互いに利用し合って推測が困難な状況が生まれたり、連動した動きを見せるかもしれない。そうなると非常に厄介だ。

 最初から、永久に平穏が続くなどとは思っていない。


 ――千年もあれば現世は変わる。千年もなくとも人は変わる。約定が必要なのです、兄様――


「…………」


 白面鬼は無言で星空の下の町並みを見下ろす。

 千年変わらぬ己と、変わってしまった人里の景色。

 家は木からコンクリートへ。

 道は土からアスファルトへ。

 人の着るものも、子供の遊びも、聞こえる音も。

 何もかもが、彼の幼かった時代と違って見える。

 それでも美しいと思うのは、彼にとってこの壱美という地が特別だから。

 唯一無二の神域だから。


(この地を、あの方をお護りせねばならない。奪われてなるものか。奴にも。人間にも)


 言葉にはしない。覚悟なんてものは、誰かに伝える必要もない。自分だけが分かっていればいい。白面鬼はそう考える。

 それに、この山に棲まう者は大なり小なり同じ志を持っている。

 皆、山を護りたいのだ。

 瑠璃姫もその一人。彼女は、突如現れた穢れの裏に潜む存在が気になっているようだった。


「もしや、此度の一件……。あの男の仕業だったのでしょうか?」

「だろうよ。丁度良い獲物がいたので、毒を仕込んで放ったといったところか」

「一体何のつもりでしょう。穢れなど送り込んできて。わたくしたちを苛立たせたいのですか?」


 不愉快さを隠そうともせず、柳眉を逆立てる。

 対して白面鬼は気にした風もなく、手にした鞘で肩をとんとんと叩いた。


「ただの挨拶代わりだ。いつまでも大人しくしているつもりはないと言いたいのだろう」

「では」


 空気がさざめく。瑠璃姫だけではない。この場にいる者――今、姿を現していない者を含めて、志を同じくする者たちが白面鬼の言葉にどよめいているのだ。

 それは、歓喜にも似た士気の昂り。

 声にならない声が聞こえてくるかのよう。


 ――遂にこの時が来た! 数百年ぶりの戦の時だ!


 波は、静かに猛りはじめる。万の兵を乗せた船を走らせるようにして。

 が、その波が岸辺に辿り着くのは、まだもう少し先の話。


「これからは今まで以上に侵入者が増えるだろう。狩りが忙しくなるぞ。縹、木虎(きとら)兎隠(とがくし)はお前に任せる。異変は逐次報せ、明らかな害は排除せよ」

「御意」

「瑠璃はいつも通り各地の調整に努めよ」

「承知いたしました」


 白面鬼はゆっくりと振り返る。

 星を、満ちゆく月の光を背に受けて、輪郭が淡く輝いている。

 その逆光の中で、無貌の白面が不敵に笑った――ように見えた。


「桜魔は落ちない。この俺と、お前たちがいる限り」


 揺るぎない自信と、確かな信頼。

 千年に渡ってこの地を――主君を護り続けてきた鬼の、実力に裏打ちされた宣言だ。


 自然と瑠璃姫と縹は片膝を突き、深く頭を垂れた。

 茂みの向こう、梢の影、地中奥深く。同じように傅く気配が、そこらかしこに生まれる。

 仮にこれが光の下に晒されたなら、その光景に人々は恐怖で体を縮めただろう。

 だが、気付かない。

 壱美に暮らす人間たちは、何一つ知らない。

 長い間止まっていた運命の歯車が、今静かに回りだしたことを――。

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