十七
「グッ……ギャアアアアァァァ!!」
逃げ出そうとしたその背中を、侑斗の剣が真っ直ぐに切り裂く。
血飛沫の代わりに噴き出したのは、鮮血のような業炎。罪人を地獄へ誘えとばかりに激しく燃え上がり、抵抗するあやかしを包み込む。
「あっアツ、熱ィ……ッ! 誰か、たす、け……」
救いを求めて伸ばされる手。
だが獄吏は応えず――地獄の門は、無情にも閉ざされたのだった。
あとに残ったのは、何とも言えない静けさだけ。
あやかしは灰も残さず燃え尽きた。最期はあまりにも呆気なくて、彼女の悲鳴がまだ耳の中で尾を引いているようだ。
「お、終わった……」
凛音はへなへなと膝に手を突き、肺の底から息を吐き出した。激しく動いたわけではないのに、すごく疲れた。これが霊力を使うということなのか。初めて自分の意志で使えたというのに、達成感だとか高揚感だとかはあまりない。ただただ終わった、それだけだった。
「ん?」
なんとなく顔をあげた凛音の視界が、何か動くものを捉えた。
さっきの靄だ。
最後の侑斗の一閃で空に散ったかと思ったそれが、再び集まってどこかへと向かっている。
――まさか、まだ終わっていないの?
身構えようにも、体に力が入らない。せめて侑斗に伝えようとしたが、黒靄は地上の二人には見向きもせず、結界をすり抜けると北東の方角へふらふらと飛んでいった。
「あっちは……桜魔山?」
なんだか少し嫌な予感がする。最初に黒靄を見た時の不吉な予感に近い。
そもそも、あの靄はなんだったのか。霊力でも邪気でもない。なら……?
アレを呼んだあやかしは正体を知っていたのだろうか。今更悔やんでも仕方ないが、聞いておけばよかったと顔を顰める。
(でもまあ、あっちには白面鬼さんや瑠璃姫がいるし。大丈夫か)
あの二人でどうにもならないのなら、凛音が気にしたところで同じだろう。
それよりも。
「獅子王君……」
ぽつんと立ち尽くし、地面を見つめる侑斗に声を掛ける。いや、掛けようとしたが、言葉が続かなかった。
彼の足元に生い茂った草叢。その影から、土気色をした男性の手が覗いている。肘から上は雑草に隠れて、凛音のいる場所からは見えない。けれど、侑斗の目に何が映っているのかは容易に想像できた。
胸が痛い。
名前も知らない他人の死。本当に悲しんでいるかと聞かれれば、凛音は自信を持ってそうだと言えない。でも、このやるせなさは本物だ。
勝ったのに、勝ってない。後味の悪い小説を読んだ時、こういう気分に陥ることがある。小説と違うのは、目の前のコレは現実だということ。そして、考えてもきっと答えは出ないということ。
「なくならないな。こういうことは」
「…………」
侑斗もまた、討魔士として様々な人の死に立ち会ってきたのだろう。あるいは、彼自身大切な人をあやかしに奪われた経験があるのかもしれない。悔しそうな、悲しそうな、それでいて嘆いても意味がないと悟っているかのような。ちぐはぐな印象を受けた。
「それにしても、由良は術の心得があったのか?」
不意に顔をあげた彼と、視線が衝突する。ぼんやりと他のことを考えていたせいで、一瞬反応が遅れた。
「なかなか、いや、正直かなり凄かった。風系統であれほど威力のある術は、使える者も相当限られているはずだぞ。低い霊力であれだけのことをしてのけるとは、意外とやるんだな、君」
「え?」
凛音はキョトンとして聞き返した。本人は無意識にやっているわけだが、侑斗としては「またか」といった感じである。似たような光景は何度目か知れない。
「え? じゃないが。術を使っていただろ」
「…………あ」
――そうだった。侑斗の目の前で使ってしまったのだ。自分でもよく分からない術を。
ヒヤリとした冷たい感覚が足元から這い上がる。白面鬼には大丈夫だと言われたが、それでもいざとなると不安と緊張に襲われる。
「あ、そ、そうだったっけ? いやー、無我夢中だったから自分でもよく分かってなくて」
「そうなのか。まあ、突然変異的に能力が覚醒することは実際あるからな。由良が望めば、そういった人間が集まる養成所に通う道もあるぞ? 一つ紹介しようか?」
「え! いや! いいよ! 討魔士になるつもりはないし!」
ぶんぶんと強く首を横に振れば、侑斗はあっさりと頷き、
「そうか。何にしろ助けられた。ありがとう、由良」
「ど、どういたしまして?」
「なんで疑問形なんだ」
戦いを終えた安心からか、侑斗は初めて気の抜けた笑みを見せた。
その後、凛音たちは協力して被害者たちを門の近くに運んだ。
現状、家屋はまだ持ち堪えているが、内部から破壊したためいつ倒壊するか分からない。安全のため避難させたのだ。
並んで横たえた彼らの顔は、やはり穏やかとは言い難い。
長らく邪気に当てられていたのだから当然だろう。心配に駆られた凛音が「治るのか」と侑斗に尋ねれば、怪異の影響下にいたことで逆に守られてもいたようだ、とのことだった。おそらく、仮死状態のようなもの。長期間栄養を摂っていなかったにもかかわらず生存できたのも、理由は同じだろう。
まずは一安心。
そして、あとは専門家の仕事となる。
警察と救急車を呼んだ侑斗は、横たわる男女の顔を眺めていた凛音に声を掛けた。
「君は今のうちに、ここから離れるといい」
「え、なんで?」
「警察が来たら色々と聞かれるだろうからな。……あの力のこと、知られたくないんだろ」
思わずドキリ、と鼓動が跳ねる。
どうやら気付いていたらしい。反応が不自然だった自覚はあるので、今更誤魔化す気にもなれない。それに、侑斗の申し出は渡りに船だ。立ち去るのに何かいい言い訳はないかと考えていたところだったから。
「ありがとう。じゃあ、そうするよ」
そうと決まれば、早々に帰らねば。面倒事に巻き込まれる前に。
ただ一つだけ気になることがあって、凛音は僅かに視線を彷徨わせたあと、躊躇いがちに口を開いた。
「獅子王君も大変だよね。結局、朝どころか午前中に帰るのも無理そうだし」
「あー、そうだな」
「大丈夫なの? 文句言われるでしょ」
侑斗には、家の実権を握ろうとしている叔父がいる。独自にあやかし退治を強行したのは、そんな叔父の思惑から外れる行為だ。文句を言われるだけで済めばよいが、監視が強化されたり締め付けが強くなるのでは、と凛音は懸念していた。事実、侑斗も似たようなことを述べていた。
だというのに今の彼は、なんだそんなことかと言わんばかりの表情で凛音を見下ろすのだった。そればかりか、口角を上げて不敵な笑みまで浮かべてみせる。
「問題ない。やったもん勝ち、だからな」
それは前に凛音が放った台詞だ。叔父に対しどこか及び腰になっていた彼の背を引っ叩いた、最後の決め手。
まさかそれを彼の口から聞くとは。
凛音は僅かに目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。
夜は未だ深く――しかし、あと数時間もすればまた新しい朝がやってくる。
長いようで短かった戦いは終わり、平穏を取り戻した夜の町に、二人の笑い声と、遠くに微かなサイレンの音が鳴り響いたのだった。




