十五
赤い刀身から、金色の光がゆらゆらと立ち昇っている。全体的な形は、歴史の資料集で見たことのある青銅の剣を思わせる。真っ直ぐで、彼の性格を現したかのような姿だ。
炎の剣、あるいは光の剣ともいうべき派手さだが、そこに込められた霊力は凛音でさえ息を呑むほど。
山一つを剣の形に押し込めたような、濃厚な炎のオーラ。
もし今ここで全てを解き放ったら、一体どうなるんだろう。と、一抹の恐怖と好奇心が凛音の胸に疼いた。
ゆらり、と切先が揺らめく。
その挑発するような動きに、女がブチギレた。
「……っ! どいつもこいつも好き勝手に人の庭を荒らしやがってっ!」
「いやあなたの庭じゃないでしょ」
凛音の呆れた声はしかし、怒れるあやかしには届かない。
「うるさいうるさいっ! 人間の常識なんて知ったことじゃないんだよ! あたしらのための新天地だって聞いてたのに、これじゃあ話が違うじゃないかっ!」
ぶんぶんと髪を振り乱して喚き散らす。
(聞いてた? 話……?)
まるで誰かに唆されたかのような言い分に、凛音は眉をひそめた。
あやかしは怒りのあまり混乱している。そのため、錯乱した頭で自分でも意味の分からないことを口走っただけとも考えられるが……。
「こうなったら、何が何でもここをあたしの縄張りにしてやる! 女の意地を甘く見るんじゃないよっ!」
「足掻いても無駄だ。お前はここで消えてもらう」
無数の帯をうねらせて、自分を大きく見せるあやかし。
対する侑斗は静かに宣言する。
どちらが優勢かは一目瞭然だった。
右手に剣をぶら下げ、ゆらりと一歩踏み出す――次の瞬間、弾かれたように走り出した。
あやかしは一瞬怯んだのち、錐状に捻じった帯を槍のように射出する。
何本も。
それは蛇が噛みつくようなスピードで迫ったが、侑斗が無造作に右手を振るうと、カキンカキンカキンッ! と続けざまに硬質な音を響かせて跳ね返された。
「クソ! クソクソォッ!」
それでも、あやかしは攻撃の手を緩めない。
侑斗もまた、その全てを右手一本で対処していく。
古式ゆかしい麻の葉は細切れとなり、艶やかな紅葉は燃え上がり、それならば足を取れと地を這う唐草は、逆に踏みつけられて灰と化す。
それでも、やはり。
「違う、こんなの……ここまで来て死ねと!? それは違うだろォォ!」
それでも彼女は負けを認めない。
その姿からは死に瀕した者の焦りが伝わってくる。
人間にとっては命を脅かす敵となったが、彼女は普通に生きていたに過ぎない。人間を食らうのも、ただ殺すのも、単なる習性の一つ。
だからと言って、彼女のしたことが受け入れられるわけではないが。
「あたしは認めないよ! ここで終わりだなんてッ!」
あやかしの瞳に、光刃が映る。
自らを害そうと迫る刃が。
その時――一際高く叫んだ瞬間、帯が風を切って伸びる。
その先にいたのは侑斗ではなく――。
「へっ?」
侑斗の快進撃に気を取られていた凛音は、自分に向かってきた影に気付くのが遅れた。
きょとんとしている一瞬の間に、帯はしゅるしゅると彼女の周囲で螺旋を描いた。
かと思えば。
キュッと巾着袋の紐を絞るように、帯は凛音を両腕ごと捉えてぐるぐる巻きにしてしまった。
抗えない力で引っ張られ、足が地面から離れる。
「にゅおわあああ!?」
視界が、景色が、物凄い勢いで流れていく。巻取りメジャーの目盛りにでもなった気分だ。
体感十秒、実際には一秒にも満たないジェットコースターは突然、
ピタ、と止まった。
周囲の景色も時間も、一斉に乱れなく停止する。
凛音の叫び声も、尾を引かず止まった。
目を見開いた彼女の目の前には、額を割る寸前で静止した炎の剣。
刀身越しに見える侑斗の無表情がどこか呆れているように見えたのは、たぶん気の所為ではないだろう。
「……ごめん」
「謝らなくていい」
優しげに言いつつ、侑斗は剣を引く。
――ああ、邪魔しちゃったんだ……。
自分さえいなければ、彼の剣は無事に敵を斬っていただろうに。
自分さえ避けていれば……。
凛音は絶望にも似た面持ちで、遠ざかっていく刀身をしょぼんと見つめた。
しかし――。
「すぐ終わるから目を瞑ってろ!」
「のわあああッ!?」
高速の突きが、目を見開いた凛音の真横を通り過ぎる。
引いては突き、引いては突き。
そのたびにあやかしは帯を操って凛音を盾にするが、侑斗は躊躇なく――あるいは容赦なく――刺突を繰り返し放った。
「のわっ! のっ、のわああ!?」
「うるさいからちょっと黙っててくれ!」
「だだ、黙れぇ!? 人助けの理念どこいったああ!?」
「突き刺さなければいいだけだっ」
「突き刺すって言うなぁっ! 想像しちゃうでしょうがっひゃあ掠ったぁ!!」
「掠ってない!」
掠ったもん! 絶対今掠ったもん!
涙目で声にならない抗議をするが、もはやこちらのことなんてちっとも気にしていない侑斗を、凛音は精一杯の恨みを込めて睨み付けた。肉盾をうっかり刺してしまわないよう集中しているようにも見えるけれど、散々忠告を無視した罰を与えているのだと言われても驚かない。
「グゥゥッ」
あやかしが呻いて後退る。その肩は深く裂け、出血こそないものの、かなりの痛手であることが分かる。ちなみに凛音は掠ったと言ったが、実際には服の繊維一本すら傷ついていない。
「クソッ!」
もはや人質を取っている余裕もないというのか、あやかしは重荷となった凛音をその場に投げ捨てると、自身は上空へと逃げた。
——逃げられると、思っていたようだ。
「ギャア!?」
怪鳥のようなけたたましい悲鳴がし、長い髪を振り乱した女が空から落ちてくる。
まさに墜落という表現が相応しい。
何が起きたのかは明らかだ。
敷地の外に出ようとして、予め張られていた結界に阻まれたのだ。
夜空に波打つは、結界が作動したことを表す青い波紋。
それを見て気付いたところで、もう遅い。
全身は痛みで動けず、霊力も上手く操れない。
地上では、剣を構えた侑斗が迫り来る。
自力で拘束から逃れた凛音は、目を瞠ってそれを見る。
「これで終いだ!」
閃く光刃を振り翳す侑斗。
その刃先に一寸でも触れれば、邪気に塗れたあやかしなどたちまちの内に浄化されてしまうだろう。
それはつまり、消滅するということ。
この世に何も残すことなく、光の一部となって消え果てるということ。
――嫌だ。
「嫌だ! あたしはまだ恨みを晴らせていない!!」
遠い昔、彼女を裏切った男と女。君が一番大事なんだと囁きながら、他の女と寝た男。あの女にとって彼は遊びだって分かっていたはずなのに。それでも彼はあの女を選んだ。生活が厳しい頃から尽くした彼女を捨てて。
結局、この世に真実の愛なんかない。
だから、自分より他人が大事だなどと嘯く奴は全員殺す。
殺してやると、決めたんだ。
その憎しみが、限界を超えた。
「――ッ!! おい!! 聞いてるんだろッ!! 三本の!!」
大音声にビリビリと空気が震える。
まるで時が止まったかのように、女には景色がゆっくりと動いて見えていた。
迫る光刃も、憎き討魔士も。
でも今はそんなものどうでもいい。
大事なことは一つだけ――生き残ることだ。
「契約するっ! だからあたしを助けろおお!!」
瞬間。
天空で雷鳴が轟いた。




