十四
時は少し遡る。
邪気に満ちた民家へと足を踏み入れた侑斗は、怪異に操られていると思しき人間たちと対峙していた。
その内の一人を解放しようとしたものの、新たな帯がスルスルと虚空から伸びてきて、再び支配下に置かれてしまう。
「斬るのも燃やすのも効果なしか」
呟いて手の中の剣を消した。生身の人間相手に振るうには、炎の剣は物騒に過ぎる。
帯はまるで意思を持っているかのごとく蠢いているが、動かしているのは例の怪異だろう。
人質たちは意識のないまま操られている。洗脳して命令を聞かせているのではなく、操り人形のごとく糸で操って動かしているに過ぎない。だから手足を折っても動くし、意識を奪うという手も使えない。元から意識の有無など関係ないのだから。仮に息の根を止めたとしても同じこと。
――まさか、帯を掴んで文字通り黒幕を引き摺り出す女子高生がいるとは、夢にも思わないのだった。
なおも暴れる――暴れるよう演じさせられている――女性を侑斗は片腕で押さえつけているが、霊力で筋力を強化していなければ逃げられかねないほどの力強さだ。意識があるのならリミッターが働くが、操られているだけの今、体を守る安全装置は外れている。そして、怪異が手駒にした人間を気遣うはずもなく。
「あ、あぁぁあぁ……」
か細い、うめき声のようなものが女性の喉から漏れる。それが痛みによる反応なのか、単に声帯が震えただけの結果なのかは判別できなかった。
ただ、侑斗は人の苦しげな声を聞いて平然としていられる人間ではない。
「す、すまない」
謝ったのは反射的。慌てて力を弛めた途端、侑斗をはね退けるようにして女性が起き上がった。
ぶんっ!
起き上がるついでに振り回された金槌が、彼の腕をギリギリ掠めていく。距離を取ろうとしたタイミングと被らなければ、まともに食らって骨の一本でもやられていたかもしれない。
だが侑斗はそのことにではなく、相手の体を思って眉をひそめていた。
関節を無視して振るわれた攻撃。
女性の筋力とは思えないほどの強い圧。
ぶちぶちと筋繊維の千切れる音が聞こえる気さえした。
このままでは、侑斗が手を出さなくとも彼女たちの体はどんどん傷ついていく。
下がった女性と交代とばかりに、他の二人が同時に距離を詰めてきた。足を全く動かさず滑るように飛ぶ様――歩法ですらない――は、不気味なうえに速い。速いが、動線は単純だった。操る怪異の力量が反映されているのだろう。あの怪異自身は、あまり戦い慣れしていないのだ。侑斗が討魔士と分かった途端逃げ出したことからも、戦闘を得意とするタイプではないと分かる。
侑斗は首筋を狙った一閃を頭を傾けることで躱し、その腕を掴むともう片方の男性に向かって突き飛ばした。しかも、二人の持っている武器の種類や持ち手を確認し、互いに傷つけ合わないよう突き飛ばす向きに気をつけるという念の入れようだ。
「やりにくいっ」
そもそもなんで、本来守るべき人たちと戦わなければならないんだと、次第に苛立ちが募っていく。勿論その感情は怪異に向けるべきで、この人たちには何の罪もないと理解しているのだが。
「どこにいる! 怪異!」
もつれ合うように転んだ二人には目もくれず、侑斗は北側の襖を手荒に開いて、奥の間へと飛び込んだ。
ざっと見回す。
座卓がある。
古めかしい和箪笥がある。
鏡台がある。
怪異はいない。
「だよな」
いたとしても、騒ぎを聞いてとうに逃げ出したことだろう。
家中に濃密な邪気が満ちており、怪異の気配を探り当てるのは侑斗の感知能力では少し厳しい。結局、足と目で探すしかない。
家の間取りはシンプルだ。
玄関、水場を除けば、十二畳の和室が四部屋、連結して四角形に並んでいる。それぞれの間は襖で仕切られているだけ。襖を全て取っ払えば見晴らしが良くなるだろう。
隠れ鬼には向かない家だ。
罠を仕掛けているとはいえ、こんなところに逃げ込むだろうかと今更のように疑問に思う。
「もしかして嵌められたか?」
結界があるから逃げられる心配はない。だが、その安心が判断を鈍らせていたかもしれない。家の中にいると見せかけて、実は家の外にいる――だとか。
「あり得るな……」
こういう事態を防ぐためにも、討魔士は通常チームを組んで役割分担するのだが、悲しいことに今の侑斗には仲間なんて遠い世界の代物であった。
(くそっ、急に自分が憐れに思えてきた! 表立って協力してくれる人間は一族の中にもいないからな……秀彦おじさんのせいで)
いつかきっと自分だけの仲間を手に入れてやる、と密かに決意する。
入口に留まってそんなことを考えていた侑斗だったが、不意に背後から動く気配を感じた。
すっと左へ体をずらせば、心臓のあった場所目掛けて、鈍く錆びついた包丁の切っ先が音もなく飛び出す。その伸び切った腕をすかさず締め上げ、物騒な凶器を叩き落とすと、それが畳に落ちる前に柄を蹴飛ばして遠くへやった。
男性は無事なもう片方の腕を振り回して抵抗する。
しかし侑斗も、彼を痛めつけるのは本意ではない。
囚えた腕をぱっと離すと同時に突き飛ばし、部屋の真ん中に置かれてある長方形の大きな座卓に靴のまま乗り上げた。
天板の上を一、二と跳んで、反対側にすたっと降り立つ。着地した時、重みで畳を踏み抜かないかとヒヤッとしたが、どうにか持ち堪えてくれた。
足元が無事であることに安堵する暇もなく、振り返る。
と同時に、天板の縁に爪先を引っ掛けて――。
ぐんっ!
と高く足を振り上げれば、座卓が跳ね橋のごとく跳ね上がった。
ガンッ!
侑斗の真似をして座卓を踏み越えようとしていた男性は、突然立ち上がった障壁に反応できず顔面から激突する。
行儀の悪い卓袱台返し、といったところだろうか。行儀のいい卓袱台返しがあるのかどうかは一旦置くとして。
ともあれ、意識があったら痛みに悶絶しているところだ。鼻の骨が折れていてもおかしくない。
「すまない、落ち着いたら改めて謝罪する!」
その中には慰謝料も含まれているのだろう。事情を知った秀彦の嫌味な顔を想像し、苦虫を噛み潰したような表情になる。
しかしそんな雑念を許さず、残りの男女が座卓を回り込んで左右から挟み撃ちを仕掛けてきた。後ろは壁、逃げる場所はない。いや、窓を破れば外には出られる。
「休む暇もないなっ」
一瞬躊躇して、侑斗はその場で迎え撃つことにした。
心置きなく攻撃ができれば楽だが、そんなことをしては討魔士として自分自身を許すことができない。
――一発殴られるくらいは覚悟するか。
と歯を食いしばるや否や、予想外の物が目に飛び込んできて、侑斗は思わず息を呑んだ。
「それ……!?」
いつのまにか男性が手にしていたのは、護身用の催涙スプレー。人質の誰かが鞄にでも忍ばせていたのだろう。物騒な世の中だし、理解はできる。できるのだが、ここでソレを出してくるなんて想定外だ。さすがに、目でカプサイシンを受け止める訓練なんてしていない。
「まずい……っ」
侑斗は身を翻してスプレーの噴射口に背を向けると、進路にいた女性を抱きかかえて座卓の影から飛び出した。
その間、コンマ数秒。
的から逃れたと同時、シュウゥッという鋭い噴射音と共に、内容液がミスト状となって勢いよく噴き出した。
咄嗟に息を止めたものの、目に猛烈な痛みが刺さって視界が滲む。
座卓の足元には、羽織を纏った男性が倒れたままの姿で転がっている。腕の中の女性も、あんなに荒ぶっていたのが嘘みたいにぐったりとした状態だ。
しかし今はそんなことにも構っていられず、勝手に体が動いていた。
左腕一本で女性を抱え、右手に神経を集中。すぐに拳がカッと熱くなり、密度を増した霊力が赤光を帯びる。活性化した体内霊力の影響で、目鼻の痛みが急速に和らいでいく。
霊力の高まりに応じて、猛る炎が、拳を包み込むようにぐるりと廻った。
暗闇に閉ざされた部屋が煌々と輝く。
目尻に残る涙を左手で乱暴に拭って、前方を睨みつける。
ここから縁側まで、約六メートル。縁側を含めれば七メートル程。閉ざされた雨戸の向こうには、大きな庭が広がっているはず。
そこへ目掛けて。
侑斗は、赤く燃える拳を全力で振り抜いた。
迸る熱線。
音もなく、ただ灼熱が駆け抜ける。
松の彫られた欄間や腐りかけた畳、襖や障子の残骸を巻き込みながら、真っ直ぐに。
――さながら、獣の顎のごとく。
目に映るもの全てを真っ赤に染め上げ、外界を遮断する邪魔ものを、その強力な牙で次々と食い破っていった。
激しい衝撃が建物を揺らす。ガアアンと信じられない物音を立てて、屋敷の一部だったものが吹き飛ぶ。
綺麗な円だ。その円を縁取るように炎が燃え広がり、熱線が開けた大穴が皆既日食のように輝いた。
静寂。
侑斗は拳を振り抜いた姿勢のまま、ゆっくりと、指を開いた。その手を、今度はふっと横薙ぎに払う。
虫のように穴を喰っていた、炎が消えた。
残ったのは焼け焦げた床と、酷く開放的になった大穴だけだ。
そして――結界を張った夜空の下に蟠る邪気。
小さく、長く息を吐く。胸の中に積もった灰を掻き出すみたいに。
気の済むまで吐き出すと、侑斗はその場にそっと片膝を突き、女性を畳の上に横たえた。未だ意識は戻らないが、苦しそうに表情が歪められている。その顔を痛ましそうに見下ろして、侑斗は立ち上がった。
景色は一変している。それをやったのが自分だということを意識の端に置きながら、焦げ付いた畳の上を歩いていく。壁に空いた大穴を飛び越え庭に降り立つと、靴の下で砂利がさくっと音を立てた。
目だけを動かして周囲を確認する。
何もない中庭だ。錆びた物干し竿、枯れ果てたプランター、伸び放題の雑草。
それから……庭の隅に座り込み、驚いたようにこちらを見ている同い年くらいの少女。怪我はなく、無事な様子だ。侑斗があげた防御のヘアピンもそのままの姿で耳の上に収まっている。一度も攻撃を受けていない証拠だ。
無事だったのはいい。しかし……。
(結局、危険な目に遭わせてしまった)
後ろめたさがあり、まともに顔を見れなかった。
侑斗は何度も危険だと言った。にもかかわらず付いてきたのは凛音の方だ。侑斗が責任を負うことはないのかもしれない。
それでも、一般人を守るのはこの場に唯一人の討魔士である侑斗の役目だ。
理屈ではない。いうなればプライドの問題。
(だが、これで全て終わりだ。終わらせる)
炎の剣を出して、切先を敵に突きつける。
「やっと追い詰めた。もう逃さないぞ、怪異」




