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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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18/28

十一

 侑斗は深く恥じ入っていた。


『討魔士が人を守らないで、一体何のための力なの?』


 凛音の言葉は、今も折れたナイフのように胸の奥深く食い込んでいる。

 なぜ、こんな根本的なことを失念していたのか。

 いつから自分は、理想の討魔士像からかけ離れていたのか。


 討魔士とは、鬼やあやかし、霊的な敵対者から民草の生命を守る守護者だ。

 討魔六家とは、それら守護者の源流であり、頂点に立つ者。討魔士とは何か、という問いの答えを、最も体現する者でなければならない。


(なのに俺はそんなことも忘れて、一族の権力争いにばかり囚われていた……。これでは秀彦おじさんのことを悪く言えない)


 侑斗はまだ幼い頃、母と姉を亡くして従叔父の秀彦に引き取られた。父には兄弟がなく、また母は外様から嫁いだ身だったため、次期当主を育てるのに相応しいと考えられたのが、最も近い血縁である秀彦だった。


 赤路秀彦という男は、一言で言えば小者の独裁者だ。

 権力欲は旺盛。

 一方で獅子王家の再興には興味がなく、源流としての誇りもない。

 ただトップの座に座り、権力を振るいたいだけ。

 秀彦にしてみれば、没落した名家というのはちょうどよかった。"程々の地位"で支配者気分を味わえ、没落しているから危険な怪異の討伐を期待されることもない――それを任せられるだけの信用を、今の獅子王家は失っていた。


 獅子王家を秀彦に任せては、いずれ名誉を回復するどころではなくなる。

 早く当主に相応しい力を身に付けて、秀彦から実権を取り返さないと。


 その焦りのせいで、討魔士として大切なことを忘れてしまうとも知らず。


(だけど、由良が思い出させてくれた。もう二度と同じ過ちは繰り返さない)


 反省と感謝の念を胸に、侑斗は決意の瞳で顔を上げた。



 * * *



 月が雲を隠し、時計の針が頂点を指す頃――



「待て……っ! 止まれっ!」


 逃げる怪異、追う討魔士。

 月と街灯が照らす狭い住宅街を、日常から切り取られた非日常の光景が駆け抜けていく。

 女の怪異は肩越しに怒鳴り返した。


「待てと言われて待つ馬鹿がいるかい? 全力で逃げるに決まってるだろ!」

「卑怯だぞ! 空なんか飛んでないで降りてこいっ」

「阿呆かっ。こっちだって必死なんだよ! あんたみたいな火力馬鹿、相手になんかしてられるかいっ。ほらほら、よそ見してると壁にぶつかっちまうよ?」

「あ……!? クソッ、また行き止まりか!」


 土地勘のない侑斗は、何度目かの袋小路に行き当たって足を止める。

 怪異は抜け道がないかと探す侑斗を見下ろし、小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、悠々と民家の屋根を越えて飛んでいった。全身に纏わりつかせた着物の帯がふよふよと棚引く様が月の光に重なり、夜空の金魚を思わせる。一瞬見惚れてしまった侑斗は舌打ちをして考えを振り切ると、急いで一番近くの十字路まで戻った。


「あいつが向かった方角は――こっちかっ」


 ひとけのない道路を一人で突っ走りながら、ついついぼやきが口を衝いて出る。


「くそ、最初の一撃が当たっていれば……」


 最初の――正確には二度目の――攻撃は、確実に当てるつもりだった。一撃で倒すつもりで、熊をも一瞬で丸焦げにできる火の玉を放ったのだ。だが、住宅が密集していることを気にして躊躇ったのがいけなかったらしい。やや上向きに放った火の玉は驚いた怪異に躱され、不意打ちは失敗に終わった。

 せっかく、間抜けにも同じ獲物の前に姿を現すというヘマをしてくれたというのに。

 協力してくれた彼女に申し訳がない。


 幸いなのは、空を飛べる怪異の割に、飛ぶのが上手くないところだった。何度も突き当りに足踏みされているにもかかわらず、道を変えて全力で走れば追いつけるのがその証拠だ。


 高さは二階建ての屋根を越える程度。速さは子供の三輪車程度。 

 うろうろ、のろのろと、見ているこっちが不安になるへっぽこ具合だ。


「ああっまた袖が電線に掠って……! ヒヤヒヤするんだよ、もっと高く飛ぶか道なりに飛べっ!」


 時間内に倒せないかもしれないと焦ったり、インフラへの影響を危ぶんだり。

 心配の方向が多岐に渡る侑斗だった。




 そして、そんな彼の後をこっそりと付いていく影が一つ。

 勿論、凛音である。

 凛音は約束通り〈手招きする女〉を誘き出すため侑斗に協力すると、あとは帰るふりをして尾行をはじめた。怪異を追うことに夢中な侑斗は、背後には全く気を配らないから楽だった。何度かUターンして戻ってくることもあったが、いずれも暗がりに潜んでやり過ごせた。


(ごめんね、獅子王君。君の心配を無碍にして。でもね、命の恩人には逆らえないんだ……)


 命の恩人というより、生殺与奪の権を握る相手と呼んだ方が正しいけれど。

 侑斗を裏切ったのではない、嫌々命令に従っているのだ――と心の中で言い訳するならどちらでもよかった。


 ちなみに、縹は傍にいない。侑斗と捜索を始める時、邪魔になるからとどこかへ姿を消したきりだ。できれば合流したいが、どこにいるのだろう? 一人での尾行はちょっと不安だ。


「いや、縹さんがいると目立つか。……あ、獅子王君出てき――走ってった」


 ついさっき入っていった私道から侑斗が飛び出し、急角度で右へ曲がって走り去る。なんとなくこうなりそうな気がしていた凛音は、「やっぱりね」と思いつつ後を追った。


 侑斗の方向感覚は優れているらしく、角を曲がるたびに着実に距離が縮まっている。

 あのあやかしも一直線に逃げるんじゃなくてフェイントかければいいのにと思わないでもないが、それをされると困るのはこっちなので、ありがたいと思うべきだろう。


(それにしても獅子王君、足早いなぁ。前のわたしだったらあっという間に引き離されてたよ)


 やはり討魔士だから鍛えているのだろうか。

 ということは、音河も?

 幼稚園の頃の彼は、三歩走れば躓いて転ぶという有様だったのだが……上手くやれているのだろうか。


(……大丈夫かな、あの子)


 と、余計な心配に身を焦がしている最中、あやかしを追いかけていた侑斗に変化があった。

 大きな門の前で足を止め、鋭い顔つきで様子を窺っている。


 古い民家だ。猿羅町は昔、田園地帯だったところで、それを昭和後期に入って埋め立てたのだと聞いている。家が建ち始めたのはその後。この家は、元は地主だったのだろうか。門構えは古いが立派で、趣がある。

 ただ、人が住んでいる気配はない。

 とうの昔に廃屋となったようだ。


 やがて決意を固めたのか、侑斗が門の取っ手に手を伸ばす。

 凛音は隠れていた曲がり角から、静かに飛び出した。



 * * *



「ここか……?」


 古びた民家を見上げ、侑斗は訝しげに呟く。

 逃げた怪異が飛んでいったのは、間違いなくこちらの方角だ。姿を消す瞬間は見ていないが、他に隠れられるような場所もなく、また微かな邪気も門の向こうから発せられている。


 猿羅町は、昭和以後に建てられた和洋折衷住宅が大半を占めている。しかし、侑斗の目の前に建つのはそれよりも古めかしい日本家屋で、着物を纏った怪異が棲家とするに相応しいと思えた。

 表札は剥ぎ取った跡がある。人が住んでいる様子もなく、完全に空き家だ。


「ここがゴールだといいんだがな」


 時間的な余裕はない。

 侑斗は深く息を吐いてから、門の引手に指を掛けた。


 ゆっくりと動かす。

 ガタガタッと、戸から抗議するような騒音が鳴る。

 長年手入れのされていないレールの抵抗を受けながらも、なんとか人一人通れるくらいの隙間が開いた。

 敷地の内側から、もわっと、神経に障るような異様な気配――邪気が一斉に膨らんだ。

 曲がりなりにも正討魔士である侑斗は、動揺もなく構えていたのだが――。


「うわっ! なにこれ、変な感じ」

「!?」


 声をあげなかったのは奇跡だった。もし口を開いていたら、情けない悲鳴が漏れていたかもしれない。

 その代わりというか、心臓は急激に早鐘を打って、全身に熱い血を送り出していた。


 家に帰ったはずの凛音が、さも当然と言わんばかりの自然さで、門扉の奥を覗き込んでいるではないか。

 は驚きのあまり頭の中が真っ白に染まり、喘ぐように口をパクパクさせた。


「んな……っ……なんで!? 付いてきた!? いつ!? なんで!?」


 可哀想に、パニックのせいで声が少し裏返っているし、なんでと二回問うている。

 凛音はと言うと、にへらと笑って、


「えへへ、なんとなく」

「なんとなく、じゃない! 帰れ!!」


 怒られている理由が分かっているのかいないのか、悪びれる様子もない。それどころか、困った子供を見るような目をこちらに向けるのだ。


「まあまあ。わたしのことなんかより大事なことがあるでしょ。敵、ここに逃げ込んだんでしょ。追わなくていいの?」

「う、そりゃあ追うが……。罠が張ってあるかもしれないから、慎重にならないと」


 本来、討魔はサポートする仲間と共に行うものだ。探知解析、結界作成から討伐後の浄化まで、一人で何でもこなすスーパー討魔士も中にはいるが、侑斗は正三位――下から三番目の位階――とはいえ未熟を自覚しているので、警戒に警戒を重ねて先へ進むべきだと考えていた。

 そういったことを何も知らない――もしかしたら、パパッと手を振るだけで怪異を倒せると思っているかもしれない――一般人こと凛音は、侑斗の言葉に軽く頷いた。


「罠かー。何か対策はあるの?」

「これを使う」


 そう言ってポケットから取り出したのは、サイコロ状の小さな物体だった。

 黒いプラスチックのような材質だが、鏡に似た光沢感もある。SFに出てくる謎のハイテク装置みたいだ。何故かレーザー彫刻で花柄の模様が刻まれているのが気になるが……。不思議なことに、内部から薄っすらと光が漏れ出ていた。じっと息を潜めるホタルのようだ。

 物体をしばらく見つめた凛音が、静かに口を開いた。 


「なんか、綺麗。空気がピンと張り詰めた気がする」


 澄んでいる、といえばいいのだろうか。

 深呼吸したくなるというか、逆に胸が詰まるような。

 掌に包めるほどの小さな物体に、驚くくらい大きな力が秘められているのが分かる。

 これを初めて見た時、侑斗も同じ感想を抱いた。凛音もだと知って、内心驚く。


「分かるのか。霊力は低くても感覚は鋭いのかもな。あるいは製作者の力量かな」

「これ何なの?」

「結界を張るための呪具だ。これで、中に閉じ込めたものを逃さないようにする」

「どうやって使うの?」

「見てろ」


 そう言い、侑斗は呪具を右手に握り込んだ。

 ぶわ、と、空気を焦がすような熱が辺りに広がる。

 赤を幻視する力強い勢いに、凛音は目を丸くしていた。


 これが侑斗の霊力。

 炎の術を得意とする獅子王家の当主は、代々熱い霊力をもつことで有名だ。


 かつては六家筆頭だった獅子王家。

 名声は落ちぶれても、その血筋まで地に落ちたわけではない。


 侑斗はゆっくりと右手を開く。

 そこにあった黒い呪具は消え、代わりに青い光が解き放たれた星のように輝いていた。

 右手を掲げると、光は空へ浮き上がり、一際強く光を放ったのち四方へ散る。その直後だ。キィンと低い耳鳴りがして、ぷつんと何かが切れたような感覚がした。

 清浄な気配を感じたのは一瞬。すぐに、濃い邪気が覆い尽くす。


「……何をしたの?」

「結界を張ったんだ。あの呪具は結界術を封じ込めたもの。呪具自体も小さな結界で、その中に強力な結界術を圧縮して閉じ込めていたんだ。呪具に霊力を込めることで、外郭の結界が解け、中の結界が発動するという仕組みだ」


 結界を結界で閉じ込めるという、言ってしまえば力技だが、侑斗のように結界術が得意でない討魔士にとっては大変役に立つ。ただ、製作する術者によって質が上下するのが難点だった。

 侑斗はそれを、親交のある討魔士に頼んでいた。その人物もまた六家の人間なので、秀彦も関係を邪魔することができない。侑斗にとって、数少ない信頼できる人物だ。


「さて、と」


 侑斗は眼をキッと尖らせると、ぼけっと立ち尽くしている凛音を睨んだ。


「由良はここまでだ。さっきは誤魔化されたが、二度目はないぞ。帰れ、帰ってくれ本当に。ここから先は冗談抜きで危ないんだからな。いいか、帰れよ? 付いてきて怪我しても知らないからな!」


 一方的に捲し立てたあとは、凛音の答えを待たずにささっと門をくぐり抜ける。

 同時に結界を踏み越えた。

 この結界はあやかしを閉じ込めるためのものだ。入るのは容易だが、出るのは難しい。誤って越えてくる者がいないよう、侑斗でもできる封じを施そうと振り返ろうとして――いつの間にか隣に立っていた凛音の姿に、崩れ落ちそうになるのだった。


「おまっ……なんで付いて来るんだよ!? 帰れって言ってるだろ!!」


 ぴったりと後ろにくっついてきた凛音に、さすがの侑斗も声を荒らげる。


「いやあ、こうなったら最後まで見たいかなって」

「連続ドラマじゃないんだよ……!」

「あははっ。意外とツッコむね、獅子王君」

「笑ってる場合か!」


 なんでこんなに緊張感がないんだ。

 憤慨や呆れを通り越して、もはや涙が零れそうである。

 もしかして、遠回しに諦めろって言ってるのか……?

 自虐的な妄想が浮かんだものの、侑斗はそれを無理やり振り払った。


「そうか。分かったぞ。金が欲しいんだな。いくらだ? いくら積めば大人しく言うことを聞く?」

「言ってること滅茶苦茶だよ、獅子王君」

「誰のせいだと思ってる!」


 しかし、のんびりコントをしていられるのもそこまでだった。

 どこからか、蟲に見つめられるような、厭な気配を感じたのだ。

 凛音は固まって動けなかったが、侑斗の行動は素早かった。

 背後に庇うようにして凛音の前に立ち、気配のする方へ身構えた。凛音も数秒遅れて拳を握るが、その格好はなんとも心許ない――戦った経験なんてないのだから当然だ。

 いざとなったら、身を挺してでも守らなければならない。そんな使命感に身を浸していく侑斗だが、()()その時ではないことを本能的に察知していた。


 閉め切った玄関の、向こう。

 昔ながらの格子戸。縦に並んだ溝の奥から、誰かがこちらを覗いているかのような錯覚を覚える。


 無意識に息を止めていた。


 ぞわぞわと肌が粟立つ。

 扉の向こうに漂う、昏い怨嗟で満ちた存在感。

 邪気だ。

 その時、戸が動いた。



 ――から、からからから……



 重く、湿った空気とは対象的に。

 軽く、乾いた道を走るような機械的な音。


 固唾を呑んで見守る二人の目前で、格子戸がゆっくりと、右へとスライドしていった。

 少しずつ露わになってきたのは、闇だ。

 地底へと続く穴蔵のような、夜とは別種の底知れぬ闇。

 戸が開くにつれ、どんどん大きく、濃くなっていく。


 誘っている。


 ここから先は、邪気に満ちた領域だ。

 常人では、一歩足を踏み入れた途端呑み込まれてしまうだろう。

 だが侑斗は。


「……入るの?」

「当然」


 顔にも声にも気合が籠もっている。彼にしてみれば、ここからが本領発揮といったところだろう。


「由良は――」

「分かってるよ。中には入らない。ここで待ってる」


 それに侑斗は少しだけ疑わしそうな目を寄越した。


「……本当だな?」

「本当、本当。さすがに最終ラインは弁えるよ」

「説得力ないんだが。まあいい。ここまで来たら、俺が奴を倒すだけだからな」


 結界は強力だ。敵が思わぬ馬鹿力を発しない限り、破られることはない。

 討魔士を見て逃げ出すような怪異に負けるとも思わない。

 侑斗は自分の勝利を疑っていなかった。


「その前に、これを渡しておく」

「何? これ。……ヘアピン?」


 彼が凛音に手渡したのは、六花の飾りがついた可愛らしいヘアピンだ。明らかに女性向けのデザインで、何故彼がポケットに忍ばせていたのかと不審が募る。まるで、こうなることを見越していたかのようだ。

 どこか戸惑っている凛音の様子に、女性へプレゼントを贈る構図そのものだと気が付いた侑斗は、顔を赤くして捲し立てた。


「守りの呪具だ! ある人が厚意で作ってくれて、念のため持ってきてたんだ! 一般に出回ってるものより遥かに高性能だし、壊れない限り何度でも使える。さっきの結界呪具みたいに霊力を込める必要もない。危なくなったら勝手に発動するから、持ってろ!」

「へえ、ありがと」


 感謝というよりは感心したといった声音で短く返答すると、凛音は侑斗の掌から受け取ったそれを右耳の上辺りに早速付けた。

 この呪具の製作者も、先程の結界呪具と同じ六家の人物だ。信頼性はかなり高い。自分が持っていてもしようがないので、凛音が身に付けておいてくれた方が本来の役にも立つし安心できる。ちなみに、女性物の装身具の形をしているのは製作者の趣味である。


「じゃあ、俺は行くからな」

「うん。頑張ってね!」

「……あ。ああ」


 慣れない声援に、少しだけびっくりした。

 だが、すぐに気持ちを切り替えると、真剣な面持ちで玄関へ向かう。

 暗がりへ消えていく背中を見送った凛音は、彼の姿が見えなくなったあともじっとその場に佇んでいた。

 その顔は、申し訳なさそうに萎れていた。

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