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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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「駄目だ」


 決死のお願いは、素気なく断られた。

 当然である。

 だからといって、引き下がれるはずもなく。

 凛音はパァンと掌を鳴らし、初詣のごとく拝みこむ。


「そこをなんとか!」

「あのな、常識で考えろ。一般人を危険に巻き込めるわけないだろう。それに君、法令違反の真っ最中だということを忘れてないか? 引き留めた俺が言うのもなんだが。子供は早く家に帰って寝なさい」

「獅子王君だって未成年(こども)でしょ!」


 凛音はキッと睨んで言う。


「俺には正当な資格がある」

「でっ、でもわたしにだって事情というものがあるのでっ」

「ふうん? どんな事情だ?」

「あう、それはぁっ」


 言えるわけがなかった。鬼上司に命令されたんです、なんて。

 急に勢いを失くし、もごもごと口籠る凛音。


(ぐぅ……悔しいけど、良い言い訳が思いつかない)


 やはり勢いだけでは駄目か。

 白面鬼の命令であやかし退治に挑む侑斗に協力しろと言われたものの、どのように協力すればよいかなどの具体的なことは一切伝えられなかった――これは白面鬼の怠慢だと思う。なので彼にはいつか厳重に抗議するとして。

 今はどうにかして侑斗を引き留めなければ。

 だが、その「どうにかして」が思い浮かばない。凛音が彼について行く正当な理由など、どこにもないのだ。仮に討魔士並に戦えたなら違ってくるかもしれないが、それでも侑斗は頷かないだろう。

 やがてこれ以上の反論はないと見たか、侑斗は軽く手を振って背を向けた。


「言えないようだな。なら話は終わりだ。……無理やり言うこと聞かせて悪かった。次に会うことがあれば、改めて謝罪するよ」

「そ、そんな……」

「じゃあな」


 何の未練もなく、公園の出口へと去っていく侑斗。

 駄目だ、このままじゃ一人で行かせてしまう。

 なんとか説得しないと――!

 焦る凛音に助け舟を出したのは、それまで成り行きを見守っていた縹だった。


「獅子王侑斗。お前は家を再興させたいのではないのか? なら、凛音と行動を共にすべきだ」


 岩のように立派な体格でありながら存在感を極限まで薄めていた彼のことを、侑斗は忘れかけていたのではないか。ぴたりと足を止め、ゆっくりと振り返るその顔は完全に意表を突かれている。それは凛音も同様だった。


「何故だ?」


 凛音が侑斗と違ったのは、縹の意図をすぐに理解できたという点だ。

 正当な理由がないなら、強引について行くしかない!


「だって、あのあやかしは二人で歩いてる時しか出てこないし! 獅子王君一人で探し回っても、結局時間の無駄だと思う!」

「……だから由良を連れて行けと? その話が本当だとして、危険であることに変わりはない。討魔士として、一般市民を危険に晒すわけにはいかない」

「でも、お家の名誉を取り戻したいんだよね?」


 一瞬、侑斗は言葉を詰まらせた。

 その反応に凛音は手応えを感じる。

 彼には大きな目的があることは既に聞いた。

 没落した家を立て直すこと。そのためには侑斗自身の実績が必要だ。

 どれだけの実績を積み上げれば達成となるのか、それを成すことがどれだけ大変なのか、凛音には想像もつかない。おそらく、凛音が想像できる最高ラインより遥かに困難な道だろう。

 侑斗にとっては急所とも言えるポイントだ。

 そこを突くのは卑怯かもしれない。

 だからこそ必ず食いつくはずだと、凛音は確信していた。


 ――だが、侑斗はふいっと顔を逸らすと、信じられない言葉を口にするのだった。


「その話は、聞かなかったことにしてくれ」

「えっ?」


 思わず、凛音は素っ頓狂な声を上げた。

 侑斗は視線を足元に落とす。何かの聞き間違えかと思ったが、まるで追及から逃れるような彼らしからぬ仕草に、本気なのだと悟る。


「え? え? 聞かなかったことにしてって、なんで? だって獅子王君は」

「さっき、家の者から電話があった。怪異討伐は征鬼隊に任せて、お前は戻れ、と」

「は?」


 凛音と縹は、目を丸くして固まった。


「でも、獅子王君が動いてるのは家のためだよね? なんでそれを家の人が止めるの?」

「言ってなかったかもしれないが、俺は一人で壱美市に来たんだ。言えば止められることは分かっていたから、誰にも相談せずに来た」

「いやだから、止める理由は? 獅子王君の味方じゃないの?」

「それは……」


 口籠る侑斗。頼りなげに視線を左右に彷徨わせている。その目が、真っ直ぐにみつめる凛音の瞳とぶつかった時、一際大きく揺れた。


「俺……俺の家は……」


 そして、ポツポツと語り始める。要点は纏まっておらず、背景事情が分からないので推測する部分も多いが、その話を聞いて凛音は彼の抱えるものを少しだけ理解することができたのだった。


 かつての討魔六家の筆頭、獅子王家は二十年以上も前に没落した。

 それだけでなく、現在進行系で分家の一つに乗っ取られようとしているのだという。

 侑斗は、獅子王本家の血を継ぐただ一人の後継者。しかし、長年かけて一族を支配してきた分家の当主には逆らえない。侑斗が幼いのをいいことに自らが後見人となり、さらには一族の年寄を追い落として家政を取り仕切っているからだ。ほとんどの重役は分家当主の息がかかっており、侑斗は正当な後継者であるにもかかわらず、立場がすっかり逆転しているらしい。


「獅子王君の家族は……」

「両親も、ただ一人の姉も、俺が子供の頃に亡くなった。俺は獅子王の後継者として育てられたが、実質赤路(あかじ)家に引き取られたようなものだ。修行の進捗はもちろん、家の内外での人間関係も行動も、全て分家当主の秀彦に把握されていてな」

「それきっつ……」

「今回家を出てくるのも、言い訳を考えるのに苦労した」


 比較的親に縛られず育った凛音には、まるでディストピアの話に思える。


(そんな事情があったなんて……)


 討魔六家という、特殊な職業で閉じられた狭い世界であること。

 没落し、かつての趨勢を失っていたこと。

 その上、本家の人間が相次いで亡くなったこと。

 それらの要因が合わさり、分家の人間が支配する隙が生まれてしまったのかもしれない。

 凛音の父親の実家、音無家といい、討魔の家筋は子供をなんだと思っているのだろうか。


「もちろん、俺だって抵抗はした。自分の味方を作ろうと、一族の若い討魔士に働きかけたりな。歳が近い方が上手く行くかと思って。まあ、失敗したが。秀彦の目を誤魔化すことはできなかった」


 このままでは、成人して正式な当主となれても一族の舵を取れるかは怪しい。

 だから、功績が――侑斗本人が優秀な討魔士であるという証が必要だったのだ。

 討魔六家の価値は、討魔士としての能力の高さ。それさえ認めさせれば、秀彦がなんと言おうと一族を従わせることができる、そう考えたのだそうだ。


「だが、ただで引き下がるつもりはない。明日の朝には帰らなければならないが、逆に言えばそれまでは自由だということだ。せめて敵の拠点を見つけ出して、その情報を征鬼隊に送る。それで少しは功績の足しになるはずだ……きっと。ならなくても、俺の名前は記録に残るから。一先ずは、それでよしとする」


 そう言いながらも、真面目そうな顔には不服が滲み出ている。

 家の名誉を回復させたいという願い。だが、その家が既に自分のものではない悔しさ。


 侑人の置かれた状況を次第に理解しつつも、凛音は胃もたれのような不快感を覚えていた。


(他人事だけど。わたしには関係ないんだけど……。でもなんか、モヤモヤする)


 たぶん、自分は侑斗以上に納得していないのだと思う。

 名家という組織の中で生きていくのは、凛音が思うよりも大変なことなのだろう。

 下剋上が簡単でないのも分かる。

 けれど、侑斗はいつまで人の言うことに従っているつもりなのだろう?

 今日、一つ言いなりになったら、明日には二つ。明日、また一つ言いなりになったら、明後日には四つ。

 最後まで諦めない精神は尊い。だが、諦めなければ必ず叶うというものでもない。時間をかければかけるほど、心は疲弊してしまうものだ。今は気力に満ちていても、いつかポッキリと折れてしまってもおかしくない。

 それに侑斗は、何か大事なことを忘れていないだろうか。


「一先ずはよし、か」

「……何か言いたいことでも?」


 乾いた呟きに不穏な含みを感じた侑斗は、感情を抑えた声音で問う。

 凛音は、分からないのかと問いたげな目で、彼を見つめ返した。


「獅子王君はそれで満足なの? 自分で決めた道なのに、勝手に路線変更されて。プライドは? 腹、立たないの?」

「……何かと思えばそんなことか。腹が立たないわけないだろ。頭押さえつけられて、いいように踊らされてるんだぞ。分家の当主に過ぎない者に、本来一族を背負って立つべき俺が――」


 違う。

 問題はそこじゃない。


「本家とか分家とかどうでもいい! 獅子王君が戦うの止めたら、被害に遭った人たちはどうなるの? まだ五人も行方不明のままなんだよ!? いつまでも帰らない家族や友人を心配してる人たちだっているのに!」

「……ッ!」


 凛音の叫びは夜の冷たい空気を切り裂き、侑斗の心に突き立った。

 不幸にもあやかしの標的となり行方知れずとなった五名は、その生死すら定かでない。最も長期間行方が分かっていない者で一ヶ月。生存は絶望的かもしれない。しかも内一人は、既に死んでいる可能性が高い。

 それでも、救出の手を止める理由にはならない。


「征鬼隊に任せろっていうけど、その征鬼隊はいつ来るの? 今日だってあのあやかしは獲物を探してうろつき回ってたっていうのに、次の犠牲者が出る前に来てくれるって断言できる?」

「それは……」


 まだ一介の討魔士に過ぎない侑斗には答えられない。


 もしかしたら。

 征鬼隊は、この町――壱美市に近づくのを避けているのかもしれないと、凛音は思っていた。根拠はないし、そんなことあっていいはずないとも思う。

 しかし、白面鬼が言っていたことが気になるのだ。

 討魔六家がこの地に足を踏み入れたことは数百年間一度もない、と。

 それが本当なら、壱美市には何かある。

 名のある討魔士が避ける理由が……。


(だとしたら、わたしに獅子王くんを責める資格なんてないんだよね……。だってわたし、白面鬼さんの言いなりだもん。あの(ひと)が、討魔士をここに近付かせないようにしてるのは間違いない。だから、大きな組織である征鬼隊も動かないのかもしれない……)


 そんな推測が頭を過ぎるが、凛音の願いは変わらなかった。


「討魔士が人を守らないで、一体何のための力なの?」

「…………」


 侑斗は恥じ入るように俯き、唇を噛み締めていた。その表情こそ、凛音の言葉を重く受け止めている証だろう。

 それでも――。

 それでも、侑斗にとっては家の再興も大事なのだ。

 凛音に理解できないのは当然だ。

 討魔士の世界は遠すぎる。

 ただ、一つだけ分かっていることもあった。


「討魔士って、実力が全てなんでしょ。才能のない人間は身内からも見捨てられて、才能があれば例え本人が望まなくても戦う力を覚えさせられる」


 才能がないために家を追い出された両親と、才能があるために本家へ連れ去られた音河のことだ。

 才能の前には、人権も本人の意志も関係ない。

 それが討魔士の世界だ。

 今、その悪習を逆手に取る。


「家の人が駄目だって言ったって、実力で黙らせればいいじゃない。どうせ電話の向こうからじゃなんにもできないんだからさ。やったもん勝ちだよ」


 対岸で騒ぐ者たちは無視しろと唆す。

 家の対立に囚われて討魔士の本分を忘れた侑人には腹が立ったが、分家連中の侑人に対する仕打ちには凛音もムカついているのだ。せいぜい飼い犬に手を噛まれて化膿しろ、と本気で思っている。


「……俺に、できるだろうか」

「大丈夫、できる!」


 無責任に言い放った。

 侑斗の実力なんて知らないけれど、白面鬼よりは確実に下だろうし、絶対倒せるとは限らない。にもかかわらず言い切ったのは、万が一侑斗に倒せなかったら自分がやるという覚悟だった。

 元々、〈手招きする女〉は凛音が退治する予定だったのだ。スパルタ瑠璃姫も、できないことをやらせたりはしないだろう……と思う、たぶん。

 大丈夫、できる。と、凛音は自分に言い聞かせ、ふんすっと鼻息を荒くした。


「……分かった。やろう。拠点を見つけるだけとは言わず、怪異を討伐するところまで」

「うんうん、そうだよ。理不尽には抗わなくっちゃ」


 にっこりと笑って、喜ぶ凛音。

 心なしか侑斗の顔からも緊張が取れて、いくらか和らいだ気がする。今日はこれからが本番なのだが、肩の力が抜けたということで、これはこれでいいだろう。


 ともあれ、決まった。

 今夜中にもう一度<手招きする女>を探しだし、永遠に退場してもらう。

 そのために協力するという名目で、凛音は侑人の行動を見守る。


「由良を巻き込むことになるが」

「獅子王君が巻き込むんじゃないよ。わたしが勝手について行くんだよ。その結果あやかしに襲われたとしても、獅子王君のせいじゃない。襲ってきた向こうが悪いんだ」

「……詐欺師になれるな、君は」


 にやり、と凛音は悪童のような笑みを浮かべた。さすがに侑斗は笑い返すようなことはしなかったが。


 討魔士、侑斗。

 そして半人前の鬼、凛音。

 二人の間にあるのは信頼でない。友情でもない。

 彼らの関係を述べるとすれば、ビジネス関係。

 あるいは――未来の敵。

 だが。


「いいだろう。ただし、怪我をしないよう俺の指示には従ってくれ」

「分かった。わたしも死にたくはないからね」


 今だけは、協力者。


「じゃあよろしく頼む」

「うん。こちらこそよろしくね」


 そうして、凛音は侑斗が差し出した手を握ったのだった。

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