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桜下白鬼伝  作者: 良田めま
第二章 手招きする女

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16/28

表記変更しました。

桜馬山→桜魔山

 電話を終えた侑斗が、白面鬼に脅され無理やり命令を承諾させられた自分よりも疲れた顔で戻ってきた。

 意気消沈という言葉がぴったりだ。

 凛音は縹と不思議そうに顔を見合わせてから、一応理由を尋ねてみた。


「どうかしたの?」

「……いや。なんでもない。それより、一つ確認し忘れていたことがあってな。怪異に遭遇する前、鬼鈴は鳴らなかったか?」

「おに……すず?」


 凛音は初めてその言葉を聞いたような顔をした。

 途端に、侑斗の憂いを帯びた眼差しが不審者を見るものに変わる。背中から黒いオーラが放たれているかのようだ。


「鬼鈴。知ってるだろ。怪異の接近を報せる呪具だ」

「も、もちろん知ってるよ。知ってますとも」


 侑斗はじとりと目を眇める。


「なんか怪しいな。――まさか、持っていないんじゃないだろうな。夜間外出の上、鬼鈴不携帯?」

「え? あ、あはは……」

「笑って誤魔化すんじゃないっ!」

「ひあぁっごめんなさいっ!」


 図星だった。

 常時携帯を推奨されている鬼鈴だが、凛音は持ち歩いていない。以前はアクセサリのように鞄に括り付けていたが、半鬼となってから即行でもぎ取った。もし自分に反応して鳴ったらと思うと、気が気でなかったからだ。

 ただ捨てるのも怖くて、現在は自室の机に仕舞って毎朝確かめている。幸い、今のところは何故か凛音に反応する様子はない――が、一生鳴らないという保証はない。

 今、他人と関わらないで生きていくなんて絶対に無理だ。

 だけど、いつかはきっと決断しなければいけない時が来る。

 それが朝だったらいいと思う。

 自分の鬼鈴が真っ先に報せてくれたなら、鬼になってしまったことを誰にも知られずに出ていけるから。


 しかしそんな破滅の運命を背負った凛音も、今は単なる鬼鈴不携帯の女子高生に過ぎない。少なくとも、侑斗からすると。

 というわけで言い訳タイムだ。


「いやーその、実は家に忘れてきちゃって。前はちゃんと持ち歩いてたんだよ? でもちょっと出歩くくらいなら財布だけで十分だし、それにどうせ鈴持ってても鳴らないからいいかなーって」

「忘れたんじゃなくて置いてきたんだろうが! はあ、どうもこの土地の人間は怪異に対し警戒心が薄くて困る……っ」


 おっと。

 凛音の個人的な問題が、壱美市民全体の問題だと疑われている。

 確かに、壱美市は特定災害による被害が少ない稀有な例だ。全国に目を向ければ被害の多い場所、少ない場所という偏りはあるのだが、壱美市のように十年二十年と連続で被害件数ゼロの場所は限られている。

 尤も、実際には被害がゼロなのではなく、報告された件数がゼロなのだ。真相は、人間に察知される前に白面鬼や瑠璃姫たちが不穏分子を始末しているに過ぎない。

 ちなみに、今回の〈手招きする女〉は凛音をぶつける可能性を考えて放置されていた。彼女が使()()()かどうかを試すために。その事実を本人が知ることは、当分ないだろう。


「そんなこと言うけどさ、獅子王君は鬼鈴持ってないわけ? 討魔士なんでしょ?」


 必ず持っているはずだという念を込めて睨むと、侑斗はふっとどこか自信ありげな顔になって言った。


「俺たちには必要ないんだ。俺たち討魔士は、自前の感知能力があるからな」

「感知能力? あやかしが分かるってこと?」

「霊力が、だな。正直俺は得意な方じゃないが、それでも鬼鈴の効果範囲より正確に感知できるぞ」

「えぇぇ? ほんとぉ?」

「……なんだよ。その疑いの目は」


 だって、目の前に(おに)がいるのにがっつりスルーしてるし。白面鬼にも気付かなかったし。

 侑斗と目を合わせないよう明後日の方向に顔を逸らしている縹を視界の隅に留めつつ、凛音はジト目で尋ねた。


「……本当に感知できるの?」

「嘘吐く必要ないだろ。討魔士免許の試験にもあるんだぞ。俺はギリギリ及第点だったが」

「あらま」


 いちいち正直な男である。言わなくて良いことまで暴露するとは。だが、確かに嘘は吐いていないようだ。


「じゃあ、はな――お兄ちゃんの霊力は、分かる?」

「縹さん? ああ、少しあるな」

「少し……」

「常人の範囲だ」


 鬼なのに常人……?

 思わず凛音は沈黙する。

 霊力って何なんだろう。そんな疑問を深くしながら。


「じ、じゃあじゃあ、さっきのあやかし――わたしたちを襲ってた奴のことは? 偶然じゃなくてちゃんと見つけたの?」

「あいつか。ああ、辛うじて気付けた程度だがな。ああいう結界を張るタイプは、外からだとちょっと分かりにくいんだ。少し離れると鬼鈴も反応しないし、反応する距離まで近づくと一般人では手遅れだったりする。今回被害に遭った人たちも鬼鈴は持っていたんだろうが、役に立たなかったんだろうな……。俺も、あいつには邪気が混じってたから気付けたようなものだ」

「…………」


 霊力感知も万能ではない。そのことだけは理解できた。

 だけど、それは何故なのか。

 考える。

 考えても分からない。

 情報、情報が必要だ。


「……その。わたし、鬼鈴が鳴るの一度も聞いたことないんだけど。振っても投げてもうんともすんとも言わないし。本当に音出るの?」

「振るのはともかく投げるな。――音出るに決まってるだろう。まあ、怪異がいるのに鳴らないケースがあるのは事実なんだが」

「え、それは初耳……。なんで? 壊れてるわけじゃないくて?」


 まさにそのことで悩んでいた凛音は、早速食いついた。

 これに関しては知らないのも不思議ではないらしく、侑斗は凛音の無知に呆れることなく教えてくれる。


「鬼鈴は霊力を検知すると鳴る仕組みだが、霊力には強弱があるんだ。そして、弱すぎても強すぎても鬼鈴は鳴らない仕様になっている」

「なんで?」


 それに何の意味があるのかと問うと。

 侑斗は凛音に体を向けて座り直し、どっしりと足を組んだ。

 腰を据えて説明してくれるようだ。

 ちなみにちらりと公園の時計に目をやると、時刻は十一時三十分を過ぎていた。


「一から説明してやる。まず仮に、霊力を数値で置き換えるとする。0から100にしようか。0は霊力が全くない状態。怪異では有り得ないが、人間では珍しくない。20辺りになると、霊の存在を感じ取れるようになる。何かの気配がするとか、奇妙なものが見えるとか。霊的なものに対して勘が働く。俗に言う霊感体質というやつだ」


 凛音はほーおと感心しながら聞いている。

 そういえば、友達の一人もよく「何かが通ったような気がする」とか「急に寒くなった」とか言い出すことがある。ちょっと変わった子だなと思っていたが、あれは霊を察知していたのか。不思議ちゃんだと決めつけてしまって申し訳ない。


「討魔士は、生まれつき霊力が30はないと才能がないとされる。50あればかなり優秀な部類で、60を超えるのは一握り。70以上は、もはや規格外だ。人間としては間違いなく最高峰だろう」

「すごいんだねぇ」

「ああ。で、由良は5くらい」

「へあ!?」


 自分のことに言及されるとは思っていなかったため、驚いて変な声が出る。

 だが、本当に驚いたのはそこではなかった。


「5??」

「ああ。5だと微量過ぎて生活に支障も出ないレベルだ。良かったな」


 と、侑斗は本心から思ってくれるようなのだが。


「わたしの戦闘力、5?」

「霊力な」

「ひっく」


 あまりにも――あまりにも低い。

 思わず真顔になるほどの衝撃だった。

 凛音は息吹の霊力を受け継いでいる。その息吹は、縹や瑠璃姫さえも梃子摺っていた強敵。それがたったの5なんてことは絶対にない。

 だが、これで凛音が鬼鈴に反応しない理由は理解できた。霊力5は検知範囲外なのだ。


(もしかして、鬼の力が上手く使えないことと関係ある?)


 その理由が分かれば、邪眼も使えるようにならないだろうか。

 薄っすらとだが。

 光明が見えた気がした。

 今、自分の目はキラキラと輝いているに違いないと凛音は確信する。


「実は、由良みたいな微量の霊力を持つ人間はそこら中にいるんだ。当然、怪異もな。このレベルの怪異はほとんど脅威にならない。もし、鬼鈴がそいつら全部に反応したらどうなると思う?」

「うるさい」

「そう。うるさい」


 侑斗は真面目くさって頷いた。希望を掴んだ凛音も前のめりで聞く姿勢だ。


「だから、検知する値の下限を引き上げる。40ってところだ。で、今度は逆」

「逆? 上限も作るの?」

「ああ。それが重要なんだ。上限は70、さっき言ったように人間では規格外。怪異でもかなりの強さだ。国が定めた特定災害脅威ランクというものがあるんだが、それに当て嵌めれば大体B以上ということになる。平均的な討魔士ではまず相手にならない。Bランク特定災害とやり合うには、最上級の討魔士が少なくとも五人、サポートにその三倍の人数が必要だ。でなければ死者が出る」

「死……」


 ゾワリ、と首の後ろが冷たくなった。

 何度も述べるが、凛音は一度死んでいる。首を撥ねられたのは一瞬だったが、そこに至るまでの絶望は死んでも忘れられるものではない。生き返ったからと言って、死がなかったことにはならないのだ。

 首のない自分の姿を思い出した凛音は、あの時に戻ったかのように小さく震えた。


「じゃ、じゃあ、やっぱり警報を鳴らして皆に報せた方がいいんじゃないの? 逃げないと」

「それが、そうとも限らない」


 侑斗はゆっくりと頭を振った。


「Bランク以上の強力な怪異は滅多にいない上、そういう奴ほど軽々に力を振るわない傾向にあるからだ。あくまで傾向だから、安心できるわけじゃないが……万が一鈴の音が敵対行動と見做されたら、その被害は計り知れない。安易に刺激しないためにも鬼鈴は鳴らさない方がいいというのが、現在の国の考えなんだ」

「そうなんだ……」


 分からないでもない、が、いまいち納得が行かなかった。刺激するのが危険だと言うなら、すべての怪異が同じではないのか。多くの場合、最初に危険に晒されるのは一般人だ。強いも弱いも関係なく、怪異に襲われればひとたまりもない。


 だが、その疑問には凛音の知らない答えがあった。

 鬼鈴には、簡易結界機能が付いているのだ。霊力に反応して起動し、ある程度強力な攻撃も一、二回なら防ぐことができるし、低ランクの怪異が相手ならもっと耐えられる。ただし機能の限界を超えると壊れてしまうため、通報までの時間稼ぎにしかならない。

 怪異に遭遇すること自体が、一般人にとっては生死に関わる。

 だから人は教わるのだ。

 出くわす前に逃げろ、と。

 勿論そんなことは簡単ではないから、少しでも被害が減るように鬼鈴の改良は絶えず行われている。


「それに、強力な怪異――特に鬼は、霊力の扱いに長けている。霊力を常人と変わらない域まで抑え、人に紛れて生活している個体もいるほどだ。討魔士からすれば厄介なことこの上ない。霊力を誤魔化しているから、当然鬼鈴は反応しないしな」

「それ本当!?」

「うわ、びっくりした。いきなり大声なんか出してどうした?」

「あ、ごめん」


 謝りながらも、頭の中では別のことに気を取られている。

 パッと道が拓けたかのようだった。


(そうか、だから獅子王君は縹さんや白面鬼さんに気付かなかったのか!)


 鬼鈴は人間側の都合で制限が設けられているが、あやかし側は人間の中に紛れるために霊力まで人間のふりをしている。

 思い返せば瑠璃姫も言っていたではないか。

 人間に混じって情報収集をしている、と。


(ということは、わたしも上手く行けば今まで通りに暮らせる……!)


 道のりが平坦になったわけではないが、やる気は増した。

 拳を握って意気込む凛音だったが、それを侑斗は怖がっていると勘違いしたようで。


「もしかして怖かったか? 人に紛れてるなんて、言うべきじゃなかったかな……。霊力の抑制は討魔士も必須の技術だし、俺たちにとっては暗黙の了解というか常識なものだから、つい口が滑ってしまったんだ……。すまない」


 凛音はブンブンと首を横に振った。

 まったく、全然そんなことはない。むしろもっと色々教えてほしい。

 しかし侑斗の勘違いは加速する。眉根を下げて、困り顔。


「本当にすまなかったな。だが、ひとまずは安心していい。何百年も前ならともかく、今は日本全国に討魔士が派遣されてどんな小さな情報でも集まるようになっている。見過ごせないレベルで危険な鬼は、もうほとんど封印されたか討伐済みだ。残っているのは俺たちが穏健派と呼んでいる、比較的大人しい連中くらいだよ」

「穏健派?」

「人と積極的に争う意志のない怪異のことだ。まあ、味方とも限らないんだが」

「ひとまず、害ではないと」

「そんなところだ」


 つまり、白面鬼や瑠璃姫のことだろう。彼らは壱美の平穏が乱されることを嫌う。凛音を襲う縹を止めたのも、息吹を殺したのも、壱美の平穏を守るためだ。今回のあやかし退治だって、凛音に命じなければ瑠璃姫が手を下していただろう。

 ただし、敵に区別はつけない。

 壱美の平穏を脅かすのが人間であったなら――彼らは躊躇なく排除する。


『これは変化だ。良い変化か悪い変化か、見定める必要がある』


 白面鬼の言っていた意味が、少しだけ分かった気がする。

 討魔士が鬼を警戒しているように、鬼もまた討魔士を警戒しているのだ。

 白面鬼をはじめとする桜魔山の鬼の縄張り、壱美市。

 市を境界として外に広がる、討魔士たちの世界。

 これまでは双方が交わることはなかった。

 しかし、侑斗が境界を踏み越えてしまった。

 そのことによって齎される変化を、白面鬼は予期しているのかもしれない。


「しかし、そうか……。せめて鬼鈴が使えるなら、範囲を絞り込めるかもと思ったんだがな。いや、そんなこと出来ていたら既に報告が上がっているか」


 ぶつぶつと呟く声に、凛音は物思いに耽るのを止めた。

 侑斗がベンチから立ち上がった。


「さてと。俺はそろそろ行く。さっきの怪異の痕跡がまだ残っているかもしれない。せめて根城だけでも掴んでおきたい」

「っ!」


 バッと弾かれるように顔を上げた。拍子に眼鏡がズレて、慌てて直す。俯いて動揺した顔を隠しながら、心臓はドッドッドッと強い音で主張していた。


(どっどうしようっ。言わなきゃ、早く言わなきゃ。協力させてって。……でも、そうすると獅子王君を騙すことになる。善良そうな、この人を)


 思い返せば、彼の人の好さがを感じられる場面はたくさんあった。

 まず、あやかしから助けてくれた。

 逃げるあやかしを追っていれば倒せたかもしれないのに、襲われた凛音のケアを優先してくれた。

 心配して説教してくれた。

 質問すれば、面倒くさがらずに答えてくれた。

 自分が口を滑らせたせいで怖がらせたと、本当は勘違いなのに、心から謝ってくれた。

 脅迫もされたが……あれも結局凛音の負担がない形で収めてくれたし、圧が怖かっただけで損はしていない。

 そんな獅子王侑斗を利用することに罪悪感がないかと言えば、ないはずがない。


 しかし一方で、白面鬼の命令を無視することもできない。彼の意図を推察するのであれば、凛音は白面鬼に従うべきだ。

 鬼の領分。

 人の領分。

 互いに交わることで起きる変化。

 それが平穏に繋がることを祈って。


 グッ……と、凛音は拳を握った。

 真剣な顔でどこかを睨む侑斗を、負けないくらい真剣な顔で見上げた。


「獅子王君! そのあやかし退治、わたしにも協力させてほしい!」


 白面鬼たちが穏健派でいられるのは、人間が彼らの領域を荒らさない間だけなのだから。

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