282話 イスパニア軍の侵攻
北側の防壁にいる俺のもとに、メキシコシティから来るイスパニア軍を監視していた特殊部隊の一人が、音もなく駆け寄ってくる。
「イスパニア軍が接近中です。おそらく2日後には攻撃を仕掛けてくるでしょう。兵数は1万人を超えています。先住民と思しき兵が大量に動員されているようです」
「イスパニアの正規兵は金属製の鎧を着込み、槍と剣を装備。飛び道具は火縄銃、騎馬兵は30騎程度確認されています」
「徴募兵の武装は、金属製の槍と木製の盾。先住民兵は石槍に木の盾、弓を所持し、鎧らしきものは着けていません。軍列の最後方には奴隷が従い、大砲や食料などの物資を運ばされています」
「ご苦労! しばらく休め。他の地点への伝達は、私の指示を加えて、各地の特殊部隊へ回す」
北側の防壁上には、特殊部隊と迫撃砲が整然と配置され、すでに戦闘態勢は万全だ。
間もなく、この壁の眼前に、敵軍が隙間なく押し寄せてくるはずだ。
それにしても――イスパニア正規軍の実力はいかほどのものか。
あの難攻不落と謳われたテノチティトランを陥とした連中だ。
油断など決して許されない。
敵を侮れば、それは命取りとなる。
***
……北側防壁前・山間部……
アステカ兵たちは、散弾銃を手に山間部に潜み、イスパニア軍の側面を狙うべく待機していた。しかし、その胸中には、かつて祖国を滅ぼした敵への恐れ、疑念、怒りが渦巻いている。
「……本当に、あのイスパニア軍に勝てるのだろうか?」
「前は、トラスカラの連中がイスパニアに味方したせいで負けたんだ!」
「違う、あの疫病さえなければ負けなかった……」
「でもよ、今回負けたら、見せしめに何をされるかわかったもんじゃないぞ」
「それでも、俺は戦う。奴隷のまま生きるくらいなら、戦って死んだ方がマシだ!」
不安と覚悟が交錯する中、昌祐が静かに山の斜面を歩きながら、兵たち一人ひとりに声をかけていく。
「心配はいらん。我が軍は、これまで一度たりとも敗れたことがない。無敗だ。そしてその中でも、ここにいるのは最強の精鋭たちだ!」
ルーシーに習ったたどたどしいイスパニア語ではあったが、昌祐の言葉は確かに届いた。不安に曇っていた兵たちの表情に、次第に安堵と誇りが滲み始める。
その瞳に、小さいながらも確かな光が宿っていった。
***
2日後――
ついにイスパニア軍が、北側防御壁の目前にその姿を現した。
防御壁から約500mの地点で行軍を止める。
軍勢はゆっくりと重厚な陣形を整え始める。
……イスパニア軍・総督……
「この壁……まさか、アステカの蛮人どもが築いたというのか? テノチティトランの水上都市といい、建築だけは得意らしいな」
総督が鼻で笑いながら呟く。
「ですが総督……あの壁は、なかなかの堅牢のように見えます。攻めあぐねる可能性も……」
副官がやや不安げに口を開いた。
「何を言うか。テノチティトランのときと同じだ。イスパニアの大砲と騎馬を見て、奴らは腰を抜かして逃げ散ったと聞いておる存分に!」と総督の嘲るような声が軍勢に響く。
「では、今回も――」
「ああ。まずは大砲であの壁を叩き潰せ。砲声と爆発の響きで、奴らは再び恐慌に陥る。腰抜けどもは恐れて逃げ出すだろうよ」
「了解。軍を前進させ、大砲の準備に取り掛かります」
号令とともに、イスパニア軍の軍勢が重い足取りがじりじりと前進を始める。
その動きに呼応するように、山間と防御壁の上に、張り詰めた空気が広がっていった。
***
俺は防御壁の上から、眼下の敵陣を見下ろしている。
(ずいぶん集まってくれたな……!)
(“英雄降臨ショー”を存分に楽しんでくれ。土産には“恐怖”を持ち帰ってもらおう!)
防壁前の山間部には、昌祐の指揮のもと、アステカ兵たちが散弾銃を手に身を潜めている。戦闘開始の合図――鐘の音を今か今かと待ち構えているはずだ。
(まずは“勝ち戦”を経験させる。それが彼らの自信になる。兵の強さとなるはず……!)
***
……アステカの民……
谷を見下ろせる山の上には、アステカの民たちが身を寄せ合い、固唾を呑んで戦場を見つめていた。
眼下に迫るのは、かつて祖国を滅ぼしたイスパニア軍、総勢1万。
その威容に、恐れと怒りがない交ぜとなった声が、ささやかに、しかし確かに広がっていく。
「……また、奴らが来た……!」
「なんて数だ……勝てるのか……」
「兄も……母も……奴らに殺された……許せるものか……!」
「日本軍よ、どうか負けないでくれ……!」
風に乗って、その切実な声が防御壁の上にまで届いてくるようだった。
俺の隣では、チュィルトリが緊張の面持ちで立っている。
小さな手にはクロスボウを握りしめ、その瞳は揺れながらも真っ直ぐに敵軍を見据えていた。
(頑張れ、チュィルトリ。アステカの未来は、おまえが“救国の英雄”になれるかどうかに懸かっている……!)




