281話 総督を怒らせろ
……メキシコシティ近郊の山間部……
百道三太夫、服部保長、藤林正保が率いる特殊部隊200人は、メキシコシティ郊外の山中で静かに休息を取っていた。すでに前夜のうちに、オヤジたち3人は市内の下見を終えている。
完全に気配を絶つことのできる、伝説級の忍び3人にとって、異国の首都の偵察など取るに足らぬ任務に過ぎない。
だが、下見の帰路――その途中で、彼らは街外れに掘られた巨大な穴を偶然発見した。近づき、覗き込むと、そこには大勢の人間が無造作に放り込まれていた。
大半はすでに息絶えていたが、中には微かに動く者の姿もある。
何が起きているのかと目を凝らせば――それは、疱瘡に罹った先住民たちだった。
(三蔵が語っていた話は、やはり真実だった……!)
オヤジたちの眼に怒りが走る。抑え込まれていた感情が、音を立てて燃え上がる。
その報せを受けた部隊の面々も同様だった。
全員が、深夜の訪れをただひたすらに待ち焦がれている。
***
やっと深夜がやってきた――
月明かりが、かろうじて周囲を淡く照らしていた。
だが、夜目を鍛えた忍びにとっては、これで十分だ。
闇の中でも鮮明に視界を保つ、それが忍びとしての訓練の成果だ。
湖に浮かぶ道――その途中には、いくつかの橋が架けられている。
しかし、橋には警備の兵の姿が見当たらなかった。
本来ならば、最も警戒すべき要所のはずである。
だが、今やこの地に脅威は存在しないと、イスパニア側は完全に油断しているのだ。
橋には隊員を5名ずつ配置しておく。退路の確保のためだ。
残りの隊員たちは、迷いなく街の中央に向けて、音も立てずに駆ける。
迷彩服が闇に溶け込み、その姿は、まるで闇と一体化したかのようで、そこに“人”がいた痕跡すら感じさせなかった。
やがて、街の中心部に到着。深夜――眠りに沈んだ市街に、起きている者の気配はまったくない。総督府、大聖堂――標的となる建物の輪郭が、月明かりの中に静かに浮かび上がっている。
点呼を取り、隊員たちはあらかじめ決められた複数のグループに分かれ、それぞれ目標に向けて疾走する。
オヤジの百道グループが総督府に到着。
見張りの兵はわずか4人。静かにクロスボウを引き絞り、一人ずつ、音もなく始末していく。
オヤジが手早くハンドサインを出すと、用意されたグレネード弾が総督府に撃ち込まれた。
ドシュッ! ドシュッ!
ボンッ! ボンッ!
――鈍い音と共に、建物の一部が崩れる。
それを合図に、他のグループも次々と行動を開始。
大聖堂や、標的となっていた目立つ建物に向けてグレネード弾が投げ込まれ、あちこちで小規模な爆発音が響いた。
ドシュッ! ドシュッ!
ボンッ! ボンッ!
破壊は最小限。恐怖ではなく、怒りを誘う程度に――計算された破壊だ。
直後、建物周辺に事前に用意した“声明文”をばら撒く。
“アカプルコはアステカ帝国が奪還した。いずれメキシコシティも取り戻す”
任務は完了……。
すべての班が素早く撤収。追手が出る暇もない。
忍びたちは山中へと消え、息を殺して気配を断つ。
山の陰から街の様子を見下ろすと、数カ所の建物から白煙が立ち昇っている。中には火災が発生している場所もあるようだった。
隊員たちは、静かに次の移動を開始する。
万が一、追手が出たとしても――闇を縫い、山中を高速で移動する忍者を捕らえられる者など、この世にいるはずがない。
「……種蒔きは完了した。総督は怒り心頭だろう。引き上げるぞ」と、オヤジが低く呟く。
かつてテノチティトランには20万人が暮らしていたと聞いていた。
しかし、下見の折に感じたのは――今の街の人口は、その頃よりもはるかに少ないということだ。
やはり、アステカ人は疱瘡によって多くが命を落としたのだろう……。
あるいは、鉱山奴隷や農奴として遠くへ連れ去られたのかもしれない。
下見の際には、この街の兵力も確認してきた。
正規のイスパニア軍は、多く見積もっても1,000人ほど。
ただし、商人や職人も多く暮らしており、いざという時は徴募兵として動員される可能性もある。徴募兵1,000から2,000人といったところだ。
砲兵や輸送の任は、おそらくアステカの奴隷が担うのだろう。
それらを加えても、総員は4,000人が限界かな。
(三蔵が「敵が少なすぎて見せ場にならん!」と文句を言いそうだな……!)
――だが、任務は果たされた。仕事は済んだ。あとは、引き上げるだけだ。
特殊部隊全員が、音ひとつ立てずにアカプルコへ向けて走り抜けていく。
***
さすがは忍者――わずか4日で、全員が無事にアカプルコに戻ってきた。
オヤジたちも特殊部隊も、誰ひとり怪我どころか、疲労の色すら見せていない。
(……鍛え上げれば、人間ってここまでやれるのか!)
(やっぱり忍者ってすごいな! でも……俺には無理だけど……)
休む間もなく、すぐに作戦会議が始まる。
オヤジたちも、まるで遠足から帰ってきたかのように平然としている。
「おい! 人使いが荒いぞ、まったく。4日間、走り詰めだったんだぞ?」
「伝説の忍者が、そんな弱音を吐かないでくださいよ」
「うまいこと言いやがって……まあいい、まずは報告だ」
「メキシコシティでは、総督府をはじめ、大聖堂などいくつかの大きな建物を破壊してきた。予定通り、声明文もばら撒いてきた」
「奴らが動くのは早くて10日後、遅くとも20日後にはここへ攻めてくるだろう。ただし、兵力は最大で4,000人ほどかもしれん」
「とにかく、ご苦労様でした。本音を言えば、10万人くらい来てくれると、効果抜群なんですけど……」
「それと、もう一つ……奴らは痘瘡に罹った者たちを、生きたまま――穴に放り込んでいたぞ……」
その一言で、空気が変わった。
会議室に集まった全員の顔が険しくなる。
静かな怒りが、部屋に満ちていく。
「昌祐、訓練の進み具合はどうだ。散弾銃の取り扱い、火縄銃の射程、散弾銃の射程距離、スラッグ弾の有効距離、さらに着剣戦……教えねばならぬことが山のようにあるな」
「初陣での戦果には過度な期待は禁物です。怯まず敵に向かっていければ、それだけで十分とすべきでしょう」
「確かにその通りだ。それと……敵兵の数が少ないようなので、港およびその周辺に住むアステカの民も、北側の高台へとできる限り移動させよう」
「そして、戦の光景を、その目にしっかりと焼き付けてもらいたい。“アステカ帝国の英雄が蘇った姿”をしっかりとな」
「“英雄降臨”の場面は、なるべく多くのアステカの民に目撃させておくべきですね。ただ……惜しむらくは、敵役の数がもう少し欲しいところです」と、昌祐もわずかに悔しげな表情を見せた。
「よし、それでは持ち場の確認だ。街に残るのは藤林保正と、陸兵200人、特殊部隊200人。北の防御壁には私と百道三太夫、工藤昌祐、工藤祐長。昌祐はアステカ兵の指揮、祐長は防御壁の上で“英雄降臨”の演出だ。特殊部隊は1,150人を配備する」
「東側は服部保長、西は藤林正保。いずれも特殊部隊を300人ずつ。九鬼定隆は海側の備え。以上だ」
「加えて、メキシコシティからの敵の接近をいち早く知るための見張りが必要となる」
「狼煙は目立つから使えない。敵を発見したら、兵数や装備を確認のうえ、全速力でこちらへ報告に戻らせてもらいたい。見張りには特殊部隊から50人を配置する」
「任せろ。足の早い奴を選んでおく。予め割り振った距離を全力で走らせるから、すぐに連絡が届くはずだ」とオヤジ。
(駅伝リレー方式だな……!)




