275話 アカプルコの敵船を攻撃せよ
ハワイからアカプルコへの航海は、まさに快適そのものだった。蝦夷丸は帆に風をたっぷりと受け、波を切るように軽やかに進んでいく。
風が止めば、即座に石炭航行へ切り替える。実に機動的だ。それにしても、このあたりの気候は温暖で、吹き抜ける海風が何とも心地良い。
前世の記憶では、アカプルコはメキシコを代表するリゾート地だったはずだ。写真でしか見たことはないが、美しい海岸線と白い砂浜が続く、絵のような光景だったと覚えている。
だが、かつてこの地で栄えていたアステカ帝国が滅ぼされた歴史を思えば、景色がどうこうと浮かれる気分には到底なれない。――そんなことを考えながら、俺は水平線の彼方へ視線を投げた。
1552年・春 ――21歳
「大執政官様、アカプルコの港が遠くに見えてまいりました!」
沖合の海は深い藍色を湛え、陸地へ近づくにつれて翡翠を思わせる緑色へと変わっていく。フィリピンとはまた異なる趣を持つ海だ。
空はどこまでも澄み渡る青さを見せながらも、地平線の彼方には雲が盛り上がり、湿った風が海の匂いを運んで頬を撫でていく。
(これから殴り込みをかけるのでなければ、この景色を心ゆくまで味わいたいものだ……!)
「定隆、日本の国旗を掲げよ。同時に戦闘準備に入れ」
「了解しました! 全艦に伝達いたします!」
アカプルコの湾は、外洋から切り取ったような馬蹄形を成し、狭い湾口を越えれば外海の大きなうねりは消え、鏡のように穏やかな水面が広がっていた。
まさに天然の良港と呼ぶにふさわしい。
「湾の入口で停船せよ」
「了解しました! 全艦に伝達いたします!」
湾の中央部には、ガレオン船3隻と、商船と思しき武装したキャラック船7隻が錨を下ろしている。
商船の甲板からは、小型のはしけが次々と降ろされ、荷を満載して岸と沖合を往復していた。港の桟橋は木造の簡素な造りで、小舟や中型船がかろうじて横付けできる程度の規模のようだ。
港町には、白い漆喰の家が数十軒、木造の小屋、修道院、そしてひときわ目を引く石造りの堂々たる館が並んでいた。
「停泊中の船の旗印を確認せよ」
「……イスパニア旗、間違いありません!」
ヨーロッパ諸国はもちろん、オスマン帝国や東南アジア諸国の国旗は、“至高の匠スキル”でほぼ網羅的に作成し、遠征前に海軍へ配布してある。
無関係の国の船を誤って攻撃すれば、取り返しのつかない事態に直結する。世界に進出する以上、国旗の識別は死活的に重要なのだ。
(いずれ、日本の旗を見ただけで敵が尻尾を巻く日が来ればいいが……その威光を得るには、まだ時が要る)
「イスパニアのガレオン船3隻と、武装キャラック船7隻――すべて撃沈せよ!」
「現在、風は陸へ向かって吹き、波は穏やか。海上強襲隊を投入いたしますか?」
「そうだな。水深図もなく、艦隊を直接動かすのは危険が大きい。この状況なら、海上強襲隊が最良だ」
「了解しました! 各艦に通達!」
「ガレオン船と武装キャラック船のデッキで、敵が慌ただしく走り回っています!」
「蝦夷丸艦隊、大型ライフル用意! 万が一、海上強襲隊が敗れるようなら、丁字戦法でいくぞ!」
「了解しました! 各艦に連絡!」
蝦夷丸の甲板で、ウインドサーフィンが次々と海面に下ろされていく。
海上強襲隊、総勢100名がそれぞれの板に飛び乗り、風を受けて一気に加速。
水面を切り裂き、敵艦めがけて滑るその姿は、まるで鋭い牙を剥く“シャチの群れ”だ。
「――行くぞ! イスパニアに負けんなよ!」
「うおおおおーっ!」
敵艦上――。
「おい、あの妙な形の船の旗は……どこの国だ?」
「提督、判別不能です!」
「ところで……あれは……あんな小さな板切れに立っているだと? 先住民の釣り舟より小さいぞ」
「まさか、あれで突っ込む気なのか? 正気じゃない……!」
「構うな! 進路を邪魔するなら、ガレオン船と武装キャラック船で轢き潰せ! このまま単縦陣を維持し、敵主力艦を砲撃する! 旗艦に続け、全艦――進め!」
「了解!」
「銃も準備させておけ! 敵船を拿捕できそうなら、即座に乗り込み、白兵戦に持ち込むぞ!」
「了解!」
海上強襲隊は10人ずつ、計10グループに分かれ、予め狙いを定めたイスパニアのガレオン船と武装キャラック船へ、一直線に向かっていく。
無駄のない動き、統制の取れた編成――だが、その奥底には獰猛な闘志が潜んでいた。
「よし、びびるなよ! 気合い入れろ!」
「了解! 攻撃開始まで、あと300mだ!」
敵の銃の射程外で一旦停止。
全員が瞬時に体勢を整え、グレネード弾を敵艦の側面に向けて放つ。
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
ドシュッ! ドシュッ! ドシュッ!
続けざまに轟音が船体を揺らす。
ボンッ! ボンッ! ボンッ!
ボンッ! ボンッ! ボンッ!
爆炎がガレオン船の船腹を抉り、火の粉が空へと舞い上がる。
甲板では悲鳴と怒号が入り乱れた。
「全弾命中! 敵船大破!」
「よし、離脱! 二撃目の準備に入れ!」
号令と同時に各隊は素早く後退、再び距離を取り、再突入の態勢を整える。
二度目の攻撃が終わったころ、海面には戦果がはっきりと現れていた。
他のガレオン船や武装キャラック船の船腹にも大穴が穿たれ、猛烈な勢いで海水が流れ込んでいる。敵船は次々と傾き、黒煙とともに海へと没していった。
「ウォォォォーッ! 沈むぞ!」
「……海に落ちる……!」
甲板から海へと放り出される者、自ら飛び込む者。折れた帆柱や板片に必死にしがみつきながら、彼らは必死に浮かび上がってくる。
海面には、敵兵たちの絶望と恐怖が入り混じった叫び声が響き渡っていた。
艦長も海にかろうじて浮かんでいた。
「なんということだ……。我が国が誇るガレオン船が……あの頑丈な大型艦が、あんな小さな板に立った連中に、わずか数分で沈められるとは……これは夢か、悪夢なのか……」
港から様子を見ていた奴隷たちは、爆音と共に海へ没する艦隊を目にして歓声を上げた。
「……笑ってやがるな、この俺たちの姿を……ふざけやがって。あとで……あとで覚えていろよ。笑ってた奴らの中から何人か、見せしめに腕を斬り落としてやる……」
──海上強襲隊は、全員無事に蝦夷丸へ帰還する。
「海上強襲隊の回収任務がない艦は、そのまま前進。海に浮かんでいる敵兵を、一人残らず射殺せよ」
「了解! 各艦に伝達!」
ダーン! ダーン! ダーン!
ダーン! ダーン! ダーン!
乾いた銃声が連続して轟き、海面に浮かぶ敵兵が次々と沈んでいった。
「海上強襲隊、全員の回収が完了しました!」
「よし、港へ進め」
「了解! 全艦、港に向けて移動開始!」
港では、奴隷として使役されていたアステカの民が、歓声を上げて手を振り、飛び跳ねている。
「陸の敵兵が、大砲の設置を急いでいる模様です!」
「大型ライフルで破壊しろ。大砲に火が入る前に叩け」
「了解! 本艦の大型ライフルで応戦します!」
岸では敵兵たちが、大砲3門を必死に引きずり出し、砲台に据えようとしている。
罵声が飛び交い、準備の遅れに苛立つ上官の怒鳴り声が響く。
火薬と弾の装填が始まり、いよいよ砲撃の準備が整いつつある。
蝦夷丸は警戒しつつ、徐々に岸へと距離を詰める。
「あいつら大砲の準備始めたぞ……」
「まだ撃っちゃだめなのか!」
「落ち着け……慌てるな!」
「こら! お前ら、黙って、発射の合図を待て!」
「よし! 大型ライフル、用意! 撃て!」
ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!
ドゴンッ! ドゴンッ! ドゴンッ!
次々と放たれた銃弾が大砲を粉砕していく。
銃弾を受けた敵兵の身体が宙を舞い、血飛沫が石畳に飛び散る。
「命中確認! 大砲1門、砲架が吹き飛びました!」
味方の兵が吹き飛んだのを見た残った敵兵たち。
恐慌に陥り、我先にと逃げ出す。
「逃げろーッ! 無理だ、あれは悪魔の武器だッ!」
逃げ惑う兵士たちの頭上に、奴隷たちの投げた石が飛ぶ。
ゴンッ!
「うっ……!」
石が額に命中し、動かなくなった敵兵もいる。
「やったぞ! 逃がすな!」
「祈りが通じたんだ!」
「助けが来たんだ!」
歓声がさらに大きくなる。奴隷たちは拳を振り上げ、声を限りに叫んでいる。




