184話 四国臣従作戦に向けて
天文17年(1548年秋)――17歳
「四国勢の反抗心を折るようなことはしていないぞ」
「いえ、三好家が臣従いたしたこと――それこそが、小勢力の大名ばかりの四国勢にとって、反抗の気力を挫くには、十分すぎる出来事にござりましょう!」
「信長、臣従した畿内の大名たちはどうしている?」
「大名の一族郎党や有力家臣たちは、全て自領から切り離し、安土の城下町の屋敷に移らせました。やる気があり、先の見えている者とその子供たちは、安土に設けた学校に積極的に入学し、内政の勉強に励んでおります」
「大名の領地には、それぞれ北畠家から内政官数名と、彼らを護衛する武将と兵を派遣しています」
「『どうせ、すぐに元の大名生活に戻れる』と、学校に行こうともしない大名一族は、いずれ消えてなくなるでしょう。もちろん監視を付けておりますので、変な動きをすれば、即刻始末の対象とします」
「学校での成績が悪く卒業できそうにもない者は、とりあえず2年間の猶予を与えよ。それでもダメな者は、適性を見て農民となるか、商人となるか、職人となるかを選ばせればいい。不服であれば最低限の支度金を渡し、西国に追放せよ」
「文官がダメでも、体が丈夫で武に優れている者であれば、北畠家の武将たちに預け、一般兵としてしっかり鍛えてもらってくれ。西国への追放に応じない大名は始末せよ。最初はそれくらい厳しくしなければなるまい」
「ところで、四国を臣従させたとして、派遣できる内政官の数は間に合うのか?」
「四国だけなら大丈夫です。しかし中国と九州までとなると、内政官の育成に少し時間が必要になるでしょう。実は、豊穣家からも内政官の派遣をお願いされております」
「越後には、学校を作っていないのか?」
「作ってはいるらしいのですが、氏親殿から『忙しくて目が回りそうだ、助けてほしい』と泣きつかれておる状況です」
「そうか仕方がないな。国を豊かにするには、仕事をこなせる内政官がたくさん必要だ。そして内政官を育てるには学校が必要となる。結局、国の根幹は学校なのだと思う」
「もちろん内政官だけでなく武官も必要だ。しかし今のところ我らの兵は戦での死傷率が低い。武官を増やすのは少し抑えておくべきだろう」
「では、四国の勝瑞城に、兵を3万集結させた後、畿内のときと同じく四国の大名に臣従を迫りたいが、懸念事項はあるか?」
「四国には、公家大名たる土佐一条家や西園寺家が控えておりまする。これらの家には、いかが対処なさりますか?」と勘助が聞いてくる。
「放っておけ。もし土佐一条家や西園寺家が、余計な口出しをしてくるようであれば――商人たちとの取引を、すべて正直屋を通じて止めてしまえ。そうなれば、奴らのもとには他国から一切、物資が入らぬはずだ」
「それでもなお、土佐一条家や西園寺家が、我らに臣従した大名の領地に手を伸ばすようなことがあれば……。二度と同じ真似ができぬよう、徹底的に叩きのめせ。骨の髄まで、痛みを刻みつけてやれ」
「その際には、“忍者撹乱隊”を使い、奴らの米倉に火を放て。そしてすぐさま“忍者警備隊”をもって国境を封鎖するのだ。国全体をまるごと兵糧攻めにすればよかろう」
「土佐一条家も西園寺家も――そのような処置で構わない。さて、勝瑞城へと向かわせる兵3万を率いる将は、誰に任せる?」
「柴田勝家にいたそうと思います」と信長。
「任せる。それと若い武将というものは、実戦を重ねてこそ真に一人前となる。勝家のもとには、できるかぎり若手を配し、実戦を通じて経験を積ませるようにしてくれ」
「3万の兵を動かす軍師は勘助とする。四国臣従作戦は軍略だけではなく、政治的な判断を要するからな。勝家には、勘助の指揮には必ず従うよう、あらかじめ厳命しておけ」
「それと……三好長慶にも同行してもらおう。もちろん、疑うつもりはないが――万が一、長慶が不審な動きを見せた場合には、勘助の判断で処断して構わぬ。その件について、わざわざ私の許可を待つ必要はない。よいな?」
***
天文17年(1548年冬)17歳
摂津と四国の間には海が横たわってはいるものの、蝦夷丸による絶え間ないピストン輸送によって、北畠軍の兵力移送は実に順調に進んでいた。
さらに、四国の地理に通じた三好家の兵を北畠軍に組み込み、現地対応の即応性も高めている。12月中旬までには、勝瑞城に計4万の兵が集結する手筈となっていた。
また兵の集結と並行して、
『臣従の条件を受け入れた上で、臣従を願う大名は、人質を伴い年明け早々に拝謁に参るべし』という書状を、忍者速達便により四国一円の大名へと送り届けた。
(この文を受け取った四国の大名たちは、どう動くか……)
畿内の大名たちのように、素直に従ってくれれば助かるのだが。
とはいえ、四国は小勢力の大名ばかり。無理に抗おうとする者も、そう多くはあるまい。




