185話 四国臣従作戦始動
天文18年(1549年冬)――18歳
年が明けると間もなく、勝瑞城には四国の大名たちが人質を伴って続々と姿を見せはじめた。彼らは北畠家への臣従を選んだ者たちである。
評定の間には緊張が漂っていた。
一段高く設けられた上座には、軍師・山本勘助が静かに座している。
その左右には、柴田勝家と三好長慶が席に着いていた。
さらにその前には、北畠家の主だった武将たちが整然と並び、勘助らを護るように座している。上下関係と勢力図が、一目でわかる配置であった。
長慶が席を立ち、場を見渡して口を開いた。
「皆の者、よくぞお集まりくださった。ここにお越しの皆々は、すでに北畠家の提示した臣従の条件をお認めいただいた上で、この場に参じておられる――そのように理解してよろしいかな?」
集まった大名たちは無言のまま、一斉に頭を下げる。
長慶は、異論を唱える者がいないかを確かめるように、しばし沈黙を保った。
やがて、声を張り上げて言い放つ。
「それであれば、隣の部屋に事務方が控えておる。そちらにて、詳細な説明をしかと聞き、今後はその内容に則って行動していただきたい」
「また、当面のあいだは、各家の動向について監視をつけさせていただくこととなる。無礼の段、どうか悪く思わぬよう願いたい」
その口上は、信長がかつて安土城で用いたのと同じものであった。
この場を長慶に仕切らせたのは、四国で名を馳せてきた彼に恥をかかせぬための、勘助の配慮であった。
それを察した長慶は、表情には出さぬまま、心の内で静かに感謝していた。
大名たちは、次々と隣の部屋へと移動していく。
しかしながら、ひときわ豪奢な装束を身にまとった2名が、席を立つことなくその場に残っていた。
ひとりは土佐一条家の当主・一条房基。
もうひとりは西園寺家の当主・西園寺公朝。いずれも公家出身の格式高き大名である。
やがて、一条房基が鼻を鳴らし、居丈高に声を上げた。
「麿は三位中将にてあるぞ! その方たち、何ゆえ麿に上座を譲らぬ? 無礼ではないか!」
間を置かず、長慶が冷ややかに応じる。
「お待ちくだされ。一条殿、西園寺殿――本日お集まりいただいたのは、北畠家への臣従を表明された方々のみ」
「土佐一条家にも西園寺家にも、そのような通達は一切差し上げておりませぬ。……さて、本日は一体いかなるご用向きにて、こちらへお越しくだされたのでございましょうか?」
長慶は、勘助の計らいにより自らがこの場を取り仕切ることとなった経緯を思い出し、拳を握った。その勘助の好意を踏みにじるような、この横槍――怒りが腹の底からこみ上げてくる。
そのとき、西園寺公朝が声を荒げる。
「このたびの四国取りまとめ、土佐一条家および西園寺家に、何らの御断りもなく進められたとのこと――これはまこと、無礼の至りにて候!」
場の空気が一気に張り詰めた。
その瞬間、北畠家の武将たちの間に、ピリリと鋭い殺気が走った。
まるで合図を待つかのように、一斉に房基を睨みつける。
目は血走り、まさに斬って捨てんばかりの形相。
もし誰かが軽く手でも叩こうものなら、そのまま一斉に切りかかるのでは――とすら思わせる、危うい空気に包まれていた。
長慶もまた、鬼のような形相で房基を睨みつけている。
その視線は、もはや口を挟む隙すら与えぬ威圧であった。
殺気が、じりじりと房基の肌を刺す。
喉が渇き、背筋に冷や汗が伝う。
――だが、ここで怯んでは一条家の名に傷がつく。末代までの恥だ!
震えそうになる声をなんとか堪え、無理やり怒鳴り声を絞り出した。
「ち、ちとお待ちくだされ……ま、まさかとは存じますが、朝廷の御沙汰は、すでに頂戴いたしておるのでございましょうな?」
一方、公朝はもはや何も言えず、その場でただ小刻みに震えているだけだった。顔は青ざめ、唇さえ動かぬ。
その場の空気を静かに断ち切ったのは、勘助の落ち着いた声だった。
「武家のことは、武家が決めることでございます。ゆえに、我らの決め事について、土佐一条家や西園寺家――関係のない御方には、わざわざお知らせしておりませぬ」
淡々とした口ぶりながら、言葉の端には明確な断絶の意思がにじんでいた。
勘助自身も内心では苛立ちを覚えていた。
だが、それを顔にも声にも出さず、あくまで冷静を装い、場の主導権を手放さぬよう努めていた。
「ほほう……左様でございますか。されば、土佐一条家も西園寺家も、思うままに振る舞うて差し支えなしと、さよう承ってよろしゅうございましょうか?」
「左様にございます。ただし、それはあくまでご自領の範囲に限っての話――。もし一歩でも、我らに臣従した大名の領地に足を踏み入れたとあらば、ただちに成敗つかまつる所存にございます」
「そこに住まう農民、僧侶、あるいは商人であろうとも同様にございます。いかなる理由であれ、我らの許しなく通行することは一切認められませぬ。重々ご留意くだされ」
「おっと、忘れておりました。商人筋の者どもは、皆わが手にて束ねておりまする。
ご迷惑をお掛けせぬよう、当方にて速やかに引き上げさせましょう」
「さて、他に申し上げることはございませぬか? なければ――どうぞ道中、お気をつけてお帰りあれ」
そして勘助が一声、場に響き渡るように言い放った。
「皆の者、聞けい! 土佐一条家、西園寺家の御当主がお立ちになる! 兵2万をもって、両家の領地まで丁重にお送り申し上げよ!」
即座に、家臣たちから野太く響く「ははっ!」の声。
その威圧に、最初は強気に出た房基も、顔面から血の気が引いていく。
唇は乾き、足が小刻みに震え始めた。
――まずい。余計なことを言いすぎたかもしれぬ……
己の領地が、見えぬ牢の中に閉じ込められたような気がしてくる。
しかも、商人をすべて引き上げられては、外からの食糧も織物も、何ひとつ手に入らぬ。
もしや米が不作にでもなれば――このままでは、餓死するしか道はないではないか……




