181話 松永久秀の交渉
天文17年(1548年秋)――17歳
松永久秀は微笑を浮かべ、落ち着いた口調で応じる。
「臣従することは承諾いたします。しかし、臣従の条件について、今一度お話をさせていただきたいと存じます」
久秀は鋭い眼光で信長を睨みつける。そのまま深く沈黙し、信長の返答に静かに耳を傾けている。
「せっかく安土までこられたのだ、言いたいことがあれば、心残りなく述べて帰られよ。しかし将軍家は、個々の大名と個別に処遇について交渉するつもりはない。久秀殿であればお分かりであろう」
「それに、臣従していただくなくとも全く構わぬぞ。北畠家の5万の常備兵と、臣従した大名たちの兵が、明日にでも三好家の一族郎党の首をもらいに参る。さあ、折角の機会だ。ご意見を述べられよ!」
久秀は焦りを隠しきれない。
長慶からは、臣従は受け入れるが、領地の安堵を交渉してこいと言われているのだ。
「将軍家は随分と乱暴なことをされるものですな! 朝廷には許可を得ておられるのでしょうか?」
信長は即座に答える。
「武家のことは武家の棟梁である将軍が全て決める。朝廷は一切関係ない。許可も不要。言いたいことはそれだけか?」
「いや、待たれよ。一緒に来た家臣に5万両を持たせておりますれば、それをお受け取りいただけませぬか?」
「北畠家は裕福なのだ、金にはまったく困っておらん、でなければ5万の常備兵を持つことなどできぬ」
「この5万の常備兵は、三好家が田畑の刈り取りをやっていようが、新年を祝っていようが、祝言を挙げておろうが、いつであっても、いつまでであろうと戦を続けられる兵でござるぞ」
「……話は終わったようだな。三好家はお帰りだ」
「いやお待ちください。長慶の娘を将軍家の嫁として差し出します。今後は親戚としてお付き合いしてはいただけませぬか?」
信長の威圧感が一層高まる。
「もう良い。帰れ!」
信長の言葉には、もはや交渉の余地はないという強い意志が込められている。
久秀は口を開こうとするが、信長はさらに続ける。
「将軍家に逆らった家の末路を、全国の大名に示さねばならないのだ。その方が将軍家にとっても都合が良い。三好家には、むしろ礼を述べたいぐらいだぞ」
北畠家の家臣たちはその言葉を聞いて、一斉に久秀を睨みつける。
「分かりました。三好家は条件を全て受け入れ、臣従させていただきます」
「10日以内に、当主が人質を連れて安土に来られよ。しかし当主の長慶殿は、三好家の意見をまとめることができるのでござろうか? とにかく、将軍家は、11日目には攻撃を開始する」
久秀は家臣とともに、飯盛山城に急ぐ。門を潜り、長慶のもとを目指してどんどん歩く。気持ちが重い。不首尾の責任を取らねばならぬ。
「まことに申し訳ござりませぬ。不手際の責を取り拙者はここで腹を切り申す」
久秀は一礼をし、重々しく廊下に下がって切腹を始めようとする。
「待て、久秀! 主だった家臣たちを、明日ここに集めよ」
翌朝、飯盛山城の大広間に、主だった家臣たちが集まる。厳粛な空気の中、評定が始まると、次々と勇ましい意見が飛び交い始める。戦場で鍛え上げた野太い声だ。
「北畠家は大国ですが、西国にはまだ北畠家に臣従していない大名家がいくらでもあります。彼らと共闘すれば北畠家など簡単に打ち破れますぞ。某に先陣を賜りたい!」
「飯盛山城に立て籠もり、西軍の応援を待てば宜しいのでござる。北畠家の軍など拙者が、軽く追い払ってみせますぞ。我に先陣をお任せあれ!」
次々と勇ましいだけの、中身のない、実現不可能な意見ばかりが続く。長慶はじっと沈黙を守っていたが、家臣たちの不満は出切ったものと判断し、それ以上の意見を遮る。
「兵糧はどうするのじゃ。この国の商人たちは全て蝦夷国と北畠家の息がかかっておる。武具も同じだ」
「それに北畠家の様子を探ろうとしても、我らのいうことに従う忍びは1人もおらぬ。淡路を経由して四国から兵を運ぼうにも、奴らの軍船に全て沈められてしまうだろう」
家臣たちは沈黙する……現実を受け入れたのかどうかは分からない。
「このような状況を踏まえた上で、勝つための策がある者は、遠慮せずに意見を述べるが良い。それを聞きたいのだ」
家臣たちは、何も言わない……
つまり本心では、誰も勝てると思っていないということか。中身のない勇ましい意見など不要だ、時間の無駄なのだ。
「久秀! 領地については、少しであっても領有できそうにはないのか?」
「将軍の口調では難しいと判断致しました。むしろ将軍家は、三好家を見せしめにすることで、西国の大名たちの心を折ろうとしているようでざる。攻撃が始まれば、誰も生き残ることはできませぬ。交渉は無駄でござる」
「分かった。三好家は、条件を飲むしかない。後の交渉は、久秀に一任する。その方たちは下がれ」
集まった家臣たちは解散していくが、手を固く握り締めたまま、悔しそうな表情をしている者ばかりである。
天井裏からその様子を、気配を消して眺めている者たちがいる。藤林正保とその配下たちである。
これで三好の臣従が決まったな……もうしばらく様子を見てから、安土に引き上げることにするか……。




