170話 公家勢力をどうする
天文17年(1548年春)――17歳。
天下統一に向け、邪魔になりそうな有力大名は、すでに潰した。
強大な兵力を誇った寺社勢力も、十分に弱体化させた。
これから先は──
西は信長、東は氏親に任せておけば、東と西それぞれの地の大名を、順に臣従させていくことだろう。
そうなれば、史実よりも遥かに早く、戦国の世に終止符を打てるはずだ。
だが――それだけでは終わらない。
全国の大名を平定したその先に待っているのは、“中央集権”の構築である。
各地で勝手気ままに振る舞ってきた大名たちから、領地と兵権を取り上げ、すべての実権を“将軍・信長”に集約する。
それをやり遂げなければ、真の近代国家など到底実現できはしない。
とはいえ……
領地も権力も失うとなれば、諸大名が黙って従うはずもない。
祖先から受け継いだ土地を死守しようと、命がけで牙を剥いてくる者も必ず現れるだろう。
“近代国家推進派” VS “守旧派”という構図は、気づけばいつの間にか──
“蝦夷国+北畠将軍家” VS “北条家(守旧派の旗頭)”という対立へと形を変えていく可能性もある。
未来がどう転ぶか……それはまだ誰にもわからない。
仮に、そうした対立を制し、勝利を手にしたとしても──
その先に待つのは、さらに険しく、果てしない道のりだ。
国家の統治機構を整備し、法を定め、外交に取り組み、防衛体制を築き、殖産興業や農地の開発にも着手しなければならない。
“国づくり”とは、想像以上に骨の折れる作業である。
やるべきことは山のように積み上がり、もはや“仕事が山積み”では生ぬるい。
“てんこ盛り”という表現こそ、ぴったりと言えるだろう。
そうだ──
国家の土台を築くうえで、教育体制の整備は何よりも重要な柱だ。
教育を充実させ、国民全体の学力水準を引き上げていけば、いずれ各分野で技術革新が巻き起こる。
知識が広まり、民度が向上すれば──
この国もいつか、“民主主義国家”として歩み始めることができるかもしれない。
──そんな未来を信じて、今はただ、地道に歩を進めるしかない。
(……にしても、先は長いな。果てしなく長い)
(やるべきこと、まだまだ山積みだ……)
ところで──
“公家勢力”だけが、いまだ手つかずのまま残されている。
このままで本当に大丈夫なのか?
いずれこの国が、“近代国家推進派”と“守旧派”に分かれて激しく争うことになったとき──
公家たちは、果たしてどちらに与するのか。
……考えるまでもない。
彼らには、“国家”という概念そのものが欠落している。
思考の枠組みは、あくまで“朝廷と貴族社会の秩序”にとどまっており、現代の国家観とは交わらない。
近代国家建設の意義も、必要性も、まず理解されないだろう。
理由も分からぬまま、感情的に反発し、結果として守旧派に取り込まれる──目に見えている。
きっと彼らの多くは、“平安の栄華”こそ理想だと思い込んでいる。
中には、「戦国時代の方がまだましだった」などと、時代錯誤も甚だしい妄言を吐く者も現れるかもしれない。
──正直に言ってしまえば、今のままでは“厄介者”でしかない。
とはいえ──
公家の頂点に立つのは、後奈良天皇だ。
これまで幾度となく助けていただいたし、今後も頼らざるを得ない場面は必ず出てくる。
義理とはいえ、父とも呼ぶべき存在でもある。……簡単には割り切れない。
民を第一に考える後奈良天皇なら、きっとこれからも上手くやっていけるだろう。
少なくとも、見ている方向は同じなのだから。
だが──もしも代替わりして、正親町天皇の御代になったら……どうなる?
先のことは、誰にもわからない。
だが、“いずれ対立が起きる可能性がある”ということだけは、肝に銘じておくべきだ。
だが──そのときのために、俺には“必殺技”がある。
──「北畠家と北条家、そして豊穣家は、蝦夷国に従属します」
つまり、「この国の大半は、もはや蝦夷国という“別の国家”です」と堂々と告げるための切り札がある。その布石として、あらかじめ“蝦夷国”を築いておいたのだから。
後奈良天皇なら、その真意には……薄々、気づいているかもしれない。
先行きは、決して楽観できるものではない。
だが、この“切り札”さえ残しておけば――どうにかなる。
……そのつもりで、すべてを動かしてきたのだ。




