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さ迷う番は、竜の足元に辿り着く2

 

 透明感のある青い氷に触れる。

 その奥に、うっすらと紫苑の体が垣間見えて、触れた位置にある足に凭れるように私は氷に身を預けた。


「紫苑」


 呼び掛けても反応はない。私の涙と体温で氷を溶かすつもりで壁にペッタリと身を寄せる。


 彼を捜して見つからない焦りの中で、もしかしたらこの世にいないのではと、ふと脳裏を暗い考えがよぎったことは何度もあった。

 でもその度に、大丈夫だと自分に言い聞かせてきた。


「俺は死にたくない。お前がいる限り死ねない」と、以前彼は私に断言してくれていたのだから。

 私が死んだかも確かめなかった彼が、私の生きている可能性を無視して命を断つはずない。

 そう思って、やっとここまで来た。


 会えたなら、声が聴きたい。ちゃんと私を瞳に映して欲しい。

 私は生きているのだと、もう苦しまないでと伝えたい。


 一向に溶けない氷を拳で叩こうとして、寸でのところで思い止まる。彼の体まで傷付くかもしれない。


「紫苑、起きて」


 氷に手を付いて見上げた先には、瞳を閉じたままの彼の顔。

 何度も呼び掛けるが、聴こえていないというよりは受け付けていないような感じがあった。


 私は、紫苑がこんな所に自分を閉じ込めるようなことをした理由がよく分かるつもりだ。

 勿論、黒苑様の言った通り冬眠状態にもってきて何も考えないようにする為だったのもあるだろう。それに加えて、きっと彼は、もう誰も傷付けないようにする為に自らを封じたのだと思う。

 無意識だったかもしれないが、狂って訳の分からないままに酷いことをしないようにと。


 きゅっ、と胸がいつものように痛む。胸の中にある心が痛んでいることぐらいは分かっていた。


 手袋を外した手を伸ばし、彼の頬に触れた。

 冷たい、彼も氷になったかのようだ。


「ねえ紫苑、もう起きても大丈夫。貴方が狂う理由は無いのだから」


 何も反応は返らない。頬を撫でて、少しでも温もりが生まれたらと思っていたが、全く動かない彼に段々苛立ってきた。


「紫苑!起きてったら」


 頬を軽く引っ張ってみたり、瞼をこじ開けようとしてみたり、鼻と口を同時に押さえてみたりした。

 息苦しさは覚えたらしく、微かに荒く息を吐いたがそれだけだった。

 そこで初めて自分の名を告げていないことに、ふと思い至った。


 背伸びをすれば、なんとか彼の耳元に顔を寄せることができた。


「紫苑、私はローゼリア。貴方の番のローゼリア。貴方を迎えに来たの」

「………ろ……」


 彼の唇が震えた。その小さな反応が嬉しくて、声を張り上げる。


「聴こえる?私よ」

「あ………い、いやだ」

「え?」


 きつく目を閉じたまま、紫苑がようやく紡いだ言葉は拒否だった。


「私が分かる?貴方の番だよ」

「ローゼ、リア」


 眉根を寄せた紫苑が名を呼んだと同時に、つうっと涙を落とした。


「ローゼ………こわい、血を流して………いなかったら……俺は」

「私は此処にいるよ、目を開けて見て」

「いないかも、しれない………そうだったら……」


 ゆるゆると首を振り、傷付くことに怯えている。

 私の為なら、どんなこともできて何もかもを捨て去ることのできる強いヒトが、私を失ったと感じたら、これほどに弱くなってしまった。

 私の名に反応し、私のいない世界に絶望する彼を、いとおしく思わないわけがない。


 ただ力一杯抱き締めたいと思った。


「紫苑、紫苑、目を開けて」

「ダメだ、無理………」


 首を振り、もがく彼の瞼を手で覆ったのは、記憶を辿らせる為。初めての時のように、私はわななく彼の唇に優しくキスをした。


「私だよ」


 ゆっくりと瞼から手を離す。

 すると、不安の色を湛えた紫が現れた。


「紫苑!」

「ゆ、夢………ああ、夢だ」


 私を見つめて、彼はそれでも現実と認めないらしい。


「これは夢だ。そうか、俺が自分の都合の良いように見せている夢か幻…………ローゼ、ろ、ふぐっ!?」


 あまりに面倒臭くて、私は以前の経験通りに再び思いっきり紫苑の唇を封じてやった。

 勢いに驚いて頭を後ろへ引こうとする彼の頬を強く固定して、ぐいぐいと引き寄せながらキスをかましていたら、氷がピキピキと鳴りながらひび割れを起こした。


「う、うむう!?」


 混乱した様子の紫苑の体が、裂けた氷の割れ目から見えて、やがて氷は限界を迎えて割れた。


「ふ、んぐっ!」


 ズルリと出てきた紫苑は、そのまま私を下敷きにしたまま倒れ伏したが、私は口撃の手を休めなかった。咄嗟に手を付いた紫苑によって、したたかに打ち付けるかと思った背中や頭は軽い痛みで済んだ。


 キスをしたまま薄く目を開けてみたら、目を見開いた彼がされるがままに私をじっと見ていた。

 それから私と目が合うと、慌てて私の横に手を付いて、体重を掛けないように重心を移動させてくれた。そのまま抵抗せずに、私に唇を渡して彼は目を閉じた。


 どれくらいそうしていただろう。


 いつの間にか、キスをされていたのは私の方だった。確かめるような啄みの合間に「本当に?」「これは現実か?」と呟いている。

 固定していた手を緩めて彼の頬の涙を指で拭ったら片手で肩を抱き締められた。固い地面から私を守るように、もう片方の手が背中に回る。


「ローゼ」

「ほら、触って。私生きてるでしょう?」

「………ローゼ……ローゼ」


 呻くように名を呼び続け、私の体をしっかりと抱く彼の首に手を回した。額を合わせて、彼の紫の瞳がちゃんと私を映しているのを見てから微笑んだ。


「紫苑、一緒に帰ろう」


 私の顔を見つめて、深い安堵の溜め息をついた紫苑に狂気の欠片は微塵も残っていなかった。


「ああ、帰る………帰りたい。もう寒いのはこりごりだ」


 紫苑は目を赤くしたまま、ようやく笑った。

 そして、ずっと私を抱いて放そうとしなかった。



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