さ迷う番は、竜の足元に辿り着く
万年雪を膝下までのブーツで踏むと、ズブズブと足が沈んだ。
険しい斜面を這い登った先には、硝子が地に刺さったような細い峰が立ちはだかる。
「灰苑様?大丈夫ですか?!」
激しい吹雪に視界を遮られながら、隣にいるはずの子を手探りで探す。
「………ろ……さむ……さぶ、ひ」
手袋をした手を掴んでみると、ガタガタと震えて左右に揺れている。
慌てて顔を覗くと、真っ白な顔をした彼は目を閉じかけて眠たげで、フラフラガクガクと足元がおぼつかない。
「灰苑様!寝てはダメです!寝たら死んじゃう!」
ゆさゆさと身体を揺さぶるが、「し……しなない……冬眠だし」と、か細い声を漏らした。
彼は遂に両手を地に付くと、こじ開けた目で懸命に私を見た。
「ろうぜ……ぼ、ぼくは、もうだめだ」
「灰苑様!」
「このまま、じゃ………と、冬眠する、ここで」
緑のコートのファーの付いた襟に顔を埋めるようにして、彼は白い息を小刻みに出した。
「足手まとい、になる………だから、ローゼ……行くんだ……僕を……置いて」
「ダメです!貴方をここに置いていけません!」
私が叫ぶと、彼は「え?」と怪訝な顔をした。
「ここにいるわけ……ないよ。暖かい場所で、待機……させて」
「…あ…そうですよね」
旅の途中に泊まった宿で読んだ小説と重ねてしまった。その小説では、仲間が自ら犠牲を買って主人公を助ける話だったな。
旅に出て、2ヶ月。
アースレンや白銀国が初夏に差し掛かる季節だというのに、私達は極寒の世界にいた。正確には、その2国からかなり遠く、常に氷に閉ざされている場所にいる。
いろんな国々を竜の灰苑様と捜した。彼がいて大変心強かった。移動するのも、紫苑を捜すのも、彼の竜としての能力が私を助けてくれた。
そして、とうとう此処に辿り着いた。
ガクブルしながら灰苑様が指を指した先には、鋭い峰の連なり。その間に洞窟があるらしい。吹き付ける雪に交じって、そこから流れてくる紫苑の匂いを灰苑様は嗅ぎ付けていた。
「ひとりで、行ける?」
「はい」
思わず力強く返事をすれば、「いい顔してる」と灰苑様は笑った。
「少し待って遅かったら迎えに行くから」
「はい」
此処よりは寒くない麓で一時避難する為飛び去る竜を見送ると、私は雪に足を取られながら歩く。
峰の周囲が、時折光っている。稲妻が金の竜のように浮かび、低い唸りを奏でる。
最初、私は竜化した灰苑様に乗って上空から洞窟へ向かうつもりだったが、峰の上空には稲妻が潜み、侵入する者を阻んでいたのだ。
だから遠回りして離れた所から歩いて来た。
寒さは、気にならなかった。
気持ちが急いて堪らなかった。
たった2ヶ月で紫苑の匂いを見つけ出せたのは、灰苑様のお蔭だ。けれど、私には息苦しくなるほどに長い月日だった。
雪を蹴り上げ、時々転んでコートから髪から雪まみれにながら這うようにして進んだ。
ようやく洞窟の前に辿り着いたが、中は暗くて分からない。
雪は浅くなっていて、一歩足を踏み出せば、いきなり小さな稲妻が前方に落ちた。
「きゃあ!」
驚いて尻餅を付いてしまった。
よく見れば洞窟の天井を稲妻が小さく駆けていて、この辺り全てが紫苑の力に支配されているのだと分かった。
全てを拒み、殻に閉じ籠っている気なのか。
立ち上がって、洞窟の奥を見据える。
「紫苑、迎えに来たよ」
呼び掛けるように声に出してから、意を決して一歩を踏み出した。
威嚇するように、バチバチと音を立てて光が明滅するのを無視して更に一歩。
すると乾いた音がして落雷すると思い、目を瞑ったが、今度は天井を奥へと伝うだけだった。
再び目を開けて歩調を速めてみたら、逃げたのは稲妻の方だった。私が先へと進むと、奥へと走っていくように消えていく。
狂っても、何も分からなくなっても、それでもやっぱり番の私を傷付けない。
そう感じて、私は稲妻を追うように洞窟を駆け出した。人一人なら十分走れるほどの広さがあって、弛い曲線を描いた先は行き止まりだった。
そこに彼はいた。
最奥の氷でできた壁に、人の姿の紫苑が顔だけ出た状態で宝石でも嵌め込まれたように埋まっていた。
「……………紫苑」
青白い裸身のまま、まるで磔にされたかのように両腕を平行よりやや高く上げて、俯きがちに顔を垂れていた。
固く閉じた瞼は生気を感じないが、慎重に目を凝らせば唇から漏れる吐息の白さが見て取れた。
力が抜けて、茶色く固い地面にへたりと座り込み、私はその絵画のように美しくも淋しい彼の姿を見上げた。
やっと辿り着けた。
急に抑えていた感情が、私の中で一気に膨れ上がっていった。
「っ、あ?」
私はいつからこんなに涙を作れるようになったんだろう。
2ヶ月間、このヒトを想う度に蓄えられていた雫が決壊して溢れていく。
「もう一人に、しないで………紫苑」
出会ってから、私をひたすらに求めて追い縋っていた紫苑。
今度は私が貴方に追い縋る。




