さ迷う番は、凍えた竜を抱き締める5
銀竜の攻撃で私達の近くに吹き飛ばされた時、黒竜は私が生きているのを確認して、明らかに安心していた。
それに気付いた私は、だから黒竜が私の身体をくわえようとした時も抵抗しなかった。
噛み殺されるなんて思わなかった。助けてくれるつもりだと分かったから。
「紫苑に殺されたかったんですか?」
「自分では、どうしても止められなかった。誰かを傷つけても、どんな手段を用いても、貴女を諦めることができなかった。だから、兄上に止めて欲しかった」
「……………黒苑…兄ちゃん」
灰苑様の声に、黒苑様は反応して顔を向けた。
「俺には、お前に兄と呼ばれる資格はもうない」
言葉を探していた灰苑様は、結局項垂れてしまった。弟のいる辺りを窺っていた彼も、それ以上話しかけない。
ただ懺悔のように、想いを口にした。
「俺が兄上を殺すか、兄上に殺されるか、そのどちらかしか俺は救われることはないと思っていた。だが兄上は俺を殺すことを躊躇っていた。それなら俺が兄上を殺すしかないと思った時に、貴女がやって来た………貴女達を見るのは、とても苦しかった。俺がどんなに足掻こうが、貴女が俺を見ることは決してないと分かってしまったから」
「だから紫苑を狂わせようとしたんですか?自分を殺してもらうために?」
「………兄上の幸せそうな顔を見たら腹が立った。俺だけが苦しい思いをしていると感じたら妬ましかった。同じ思いを味わえばいいと……俺を殺してくれるついでに、兄上も苦しめばいいと」
「酷いです、黒苑様」
紫苑は、黒苑様をずっと心配していた。だからこそ私を置いてまで、弟を止めようとやって来たのに。
「ああ、俺は本当はそういう男なんだ」
肩を抱くようにして「だから罰を受けた」と呟く。
「もう貴女を目で追うことも見つけることもできないし、どこまでも追いかける翼を失った。その上、番を傷付けた。絶対に守らなければならない存在を害したんだ。貴女を愛する資格も失った」
そう告げる彼は悲しそうなのに、どこか憑き物が落ちたように静かな雰囲気で、狂っているようには見えなかった。
身体の不自由さと引き換えに、心は解放されたのだろうか?
「俺を憎んでいるだろう?」
まるで肯定して欲しいように問うのを、私は「いいえ」と答えた。
「……………思い出したんです。小さい頃、貴方は熱を出した私を介抱してくれました。嬉しかったんです。だから………」
悲しい。
以前のような優しい黒苑様に戻って欲しいとは言えない。それが随分勝手なことだとは、さすがに分かる。
私の言葉で、彼を惑わせてはならない。
「あの時は、ありがとうございました」
そう伝えたら、彼と言葉を交わすのは、これが最後だとふいに感じた。黒苑様も同じように感じたのかもしれない、パッと上げた顔は悲しくて淋しそうだった。
立ち上がり、手を伸ばしかけて止めて、彼は言葉を絞り出すようにする。
「ローゼ、俺は………本当に貴女を……」
「分かっています。ありがとう黒苑様、私を想ってくれて」
全てを言えない彼の気持ちを汲んで、『別れの言葉』を告げた。
私を支える灰苑様は、黒苑様を見つめて涙を流していた。そっとその涙を指で払ってあげると、私を見上げた子供は「行こう」と促し、手を優しく引っ張った。
「…………とても寒い場所だ」
扉を開けようとしたら、背後でポツリと黒苑様が言った。
「寒い場所なら、何も考えなくてすむだろう。俺ならそうする」
「………………」
枷の届く範囲の壁に身を凭れさせると、彼はそれっきり黙ってしまった。閉じたままの目の先には、私がいて、気配を感じていたんだと思う。
その姿を見たっきり、黒苑様は城から忽然と姿を消した。
自害したと公式には伝えられた。
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「いつか、また兄弟でいることはできるのかな………何百年も経って、恨みも怒りも全部消えることはあるかな」
「わかりません。でも好きな気持ちは、なかなか消えない。灰苑様が黒苑様を、まだ兄だと思っているなら、いつかは………いつかは」
「うん」
灰苑様は、黒苑様を城から逃がしたことを私には打ち明けてくれた。
憎しみをずっと抱えて生きていくことは、とても辛いこと。もう元のように兄弟でいられることも難しい。
ただそれは、人間の短い生に当て嵌めた時間でのことだ。
竜族の長い時が、少しでもわだかまりを溶かすことはできないだろうか。
「好きな気持ちは、なかなか消えない……か」
いつの間にか憂いを消して、灰苑様はニヤニヤして私を見ていた。
「それでは行こうか。で、目的地は寒い場所だね」
「凄い曖昧」
冬用の衣類と最低限必要な荷物を抱えて、旅支度を整えた私は灰苑様の背後に回った。
「世界の果てには限りはあるけれど、時間はある。僕達から竜の精を受けた今のローゼなら焦ることはないよ」
「ええっと………」
「ああ、そっか。早く逢いたいんだね。大丈夫、僕は竜族一鼻が利く。兄様の匂いは直ぐに分かるから」
ふふ、と笑って灰苑様は竜に姿を変えた。
「お願いします、灰苑様」
背に乗せてもらい私が角を握ると、灰色竜は王城の広いバルコニーを飛び越えた。
雲に手が届きそうな高さも、私は慣れてきてあまり怖くはなかった。
私は灰苑様と旅に出ることにした。
狂ってしまった大好きな番を探して。




