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君と刻む未来の月  作者: 時任 朔


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第一章 新しい光と、授かった命

 運命の呪いを打ち破り、二人が命ごと抱きしめ合ったあの壮絶な夜から数年。

 淳と唯の手には、時空を超えて愛し合い、互いの命を相殺して勝ち取った絆の証が今も残っていた。それは皮膚の表面にうっすらと浮かぶ、月光の傷痕のような小さな斑点だ。けれど、二人にとってそれは絶望の残り香ではなく、運命をねじ伏せた誇り高き勲章だった。

 理学療法士としての道を再び歩み始めた淳は、病院勤務のかたわら、特に心臓疾患を抱える子どもたちの運動療法・心臓リハビリテーションを専門とする分野でめざましい成果を上げていた。死の淵を何度も彷徨い、生命の極限を理解した彼にしかできない繊細な運動強度設定と、患者の心に寄り添う温かな対話。彼の手にかければ、心を閉ざしていた病児たちも少しずつ笑顔を取り戻し、体を動かす喜びを覚えていった。

 一方、唯もまた新たな人生の第一歩を踏み出していた。彼女が立ち上げたのは、一般的なダンススクールとは一線を画す、特別なレッスンスタジオ『ルナ・ソーレ』だった。

 病気や身体的・精神的なハンデキャップを抱える子どもたち、過度な運動制限を課されている子どもたち――かつての唯自身のように「踊りたいけれど踊れない」という絶望の中にいる子どもたちが、自分のペースで、安全に、そして自由に自己を表現できる場所。それがスタジオのコンセプトだった。

「淳、見て! 今日のストレッチ、陸くんが最後まで自分でできたの!」

「ああ、見えてたよ。唯の指導のおかげだね。心拍数も百十台で安定してる。あの運動量なら心筋への負担は最小限で済むよ」

 スタジオの一角で、二人は顔を見合わせて微笑み合う。

 淳は理学療法士の立場から子どもたちの心機能や筋肉の運動量を正確にコーディネートし、唯はその科学的な安全圏の中で子どもたちの表現力を最大限に引き出す。互いが互いの絶対的な理解者であり、相乗効果を生み出す最強のパートナーだった。二人のスタジオは口コミで評判を呼び、多くの傷ついた子どもたちと親たちにとっての「救いの聖域」となっていった。

 順風満帆に流れていく穏やかで満たされた日々。そして、二人のもとに天からの最大の恵みが届く。唯の妊娠が発覚したのだ。

 診察室のエコーモニターに映し出された、豆粒のように小さな命の脈動。ピコン、ピコンと力強く打つその心拍音を聞いた瞬間、淳と唯はどちらからともなく手を取り合い、涙を流した。

「生まれてきてくれるんだね……僕たちのところに」

「うん…………。淳、私、すごく幸せ…………」

 誕生した赤ん坊は、透き通るような白い肌と、夜空の月のように優しく澄んだ瞳を持つ女の子だった。二人はその子に「悠月(ゆづき)」と名付けた。

『優しく光る月が、この子の人生を永遠に守ってくれますように』 『そして、どんな暗闇の中に落ちても、自分の光で道標を照らせますように』

 そんな祈りとあふれんばかりの愛が込められた名前だった。悠月は、両親の深い愛に包まれてすくすくと育っていった。

 幼い頃の悠月の記憶は、いつも温かな光と音楽に満ちていた。休日のリビングでは、ポータブルスピーカーから流れる旋律に合わせて、お父さんとお母さんが楽しそうに手を繋ぎ、ステップを踏んでいた。抱き上げられると、お母さんの身体からは甘い花のような匂いがし、お父さんの大きな手はいつだって温かかった。

「ねえ、お父さん。どうしてお父さんとお母さんは、そんなに仲良しなの?」

 小さな悠月が尋ねると、淳は膝の上に悠月を乗せ、頭を撫でながら優しく笑った。

「お父さんとお母さんはね、悠月が生まれるずっと前に、月様にお願いして、時空を超えてお互いを助け合ったんだよ。だから、悠月がここに生まれてきてくれたことは、世界で一番の奇跡なんだ」

「じくう……?」

「そう。だからね、悠月が大きくなって、もし悲しいことや辛いことがあっても、お月様とお父さんとお母さんが、絶対に悠月を守るからね」

 その言葉は、幼い悠月の心に小さな魔法の温もりとして残り続けた。

 やがて悠月が五歳になり、幼稚園の年長を迎える頃、自然な流れで両親のスタジオ『ルナ・ソーレ』に通い始めるようになった。

 悠月には、両親の血が驚くほどの濃さで受け継がれていた。唯の圧倒的なしなやかさと音を捉える鋭い感性、そして淳譲りの無駄のない合理的な身体の使い方。悠月が音楽に合わせて体を動かした瞬間、スタジオにいた指導者たちの誰もが息を呑んだ。

 幼い体躯から繰り出されるステップは、教えられたものをただなぞるのではなく、感情がそのまま溢れ出たかのように生き生きとしていた。まさに、小さくして才能を開花させた「ダンスの申し子」。

 最初は、すべてが楽しかった。音楽が鳴れば勝手に体が動き出し、上手に踊れればお父さんとお母さんが抱きしめて褒めてくれた。スタジオのお兄さんやお姉さんたちも、悠月の踊りを見ると笑顔になってくれた。悠月にとって、ダンスは自分と世界を繋ぐ、最高に大好きな言葉だった。

 しかし、悠月の成長と才能の開花は、予想以上のスピードで進んでいった。小学生になると、地元の小さな発表会にとどまらず、全国規模のジュニアダンスコンテストや各種イベントに引っ張りだこになっていく。「天才少女」としてメディアやSNSで取り上げられることも増え、世間からの注目は日に日に高まっていった。

 そして、その注目と比例するように、家庭の中の空気は少しずつ、けれど確実に歪み始めてしまった。ただ楽しく踊るだけでは済まされなくなったのだ。プロとして、そして才能あるダンサーとして世間に見られる以上、一回一回のステージに対する完成度が求められる。

「悠月、今のターン、軸が右にブレてるわよ。着地まで指先に意識を集中させて」

「やってるよ! ちゃんとやってるもん!」

「やってる『つもり』じゃダメなの。観客に見せる以上、プロとしての責任を持ちなさい!」

 唯の指導は、かつての温かさを失い、厳格な指導者のそれに変わっていった。かつて病気で踊る機会を奪われ、命懸けで表現の場を勝ち取った唯だからこそ、ダンスに対する妥協を許せなかった。そして淳もまた、怪我や身体への過度な負担を防ぎたいというプロの観点から、細かな姿勢やフォームの乱れを厳しく指摘した。

 親子であるが故の甘えを断ち切ろうとする両親の姿勢は、幼い悠月にとっては「自身のダンスを通じた親からの冷酷な拒絶」に映った。

「どうして……? 前は楽しく踊れればいいって言ってたのに……。お父さんもお母さんも、私の踊りを見て笑ってくれなくなった……」

 大好きだったダンスが、いつしか評価されるための苦痛な「義務」へと変わっていく。親の期待に応えなければ愛されないという恐怖が、悠月の小さな心を少しずつ蝕んでいった。


 第一章を最後まで見守ってくださり、ありがとうございました。

 悠月の成長と、これから訪れる試練――二人の絆の行方を温かく見守っていただけたら幸いです。

画面下のブックマーク追加や作品への評価、温かい感想などが何よりの執筆の原動力になります。

 明日夜20時の更新も、どうぞお楽しみに!

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