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『時間喰い』  作者: ネコロビン


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第10話 狩る者

翌朝。

 レインは、久しぶりに空腹を感じずに目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む朝日。

 窓の外から聞こえる車の走行音。

 いつもと変わらない朝だった。

 けれど、身体は昨日までとはまるで違っていた。

「……軽い」

 ベッドから起き上がる。

 足に力が入る。

 頭もはっきりしている。

 胸を締めつけていた苦しみも、完全に消えていた。

 四十日間、あれほど苦しんでいたのが嘘のようだった。

 レインは両手を見つめた。

 昨日。

 この手で、時間喰いを殺した。

 男の首を掴み、残された時間をすべて奪った。

 その瞬間の感覚を、今でも鮮明に覚えている。

 身体に流れ込んできた時間。

 飢えが満たされる感覚。

 全身を駆け抜けた、強烈な幸福感。

「……」

 レインはゆっくりと手を握った。

 後悔していないわけではなかった。

 人を殺した。

 その事実は消えない。

 けれど、今も身体の奥には昨日の幸福感が残っている。

 そして何より。

 自分は生きている。

 レインはベッドから立ち上がった。

「……エマさんに話そう」

 セラにも。

 二人には、きちんと報告しておきたかった。

     ◇

「レイン!?」

 クリーニング店の扉を開けた瞬間、セラが叫んだ。

「お、おはよう」

「おはようじゃないよ!」

 セラは勢いよく駆け寄ってきた。

「電話にも出ないし! エマさんと心配してたんだから!」

「……ごめん」

「それに……」

 セラはレインの顔をまじまじと見つめた。

「……あれ?」

「何?」

「顔色……よくなってない?」

 レインは小さく頷いた。

「うん」

「え?」

 セラの表情が変わった。

 ちょうど奥から出てきたエマも、レインを見て足を止めた。

「……レイン」

「おはようございます」

「……そう」

 エマはゆっくりと近づいた。

 そして、レインの顔を見つめた。

「時間を喰ったのね?」

 レインは頷いた。

「はい」

 セラが息を呑んだ。

「……誰を?」

 レインは少しだけ迷った。

 だが、隠すつもりはなかった。

「時間喰いです」

 エマの表情が変わった。

「……何ですって?」

「昨日、時間喰いを喰いました」

 しばらく沈黙が続いた。

 やがて、エマが静かに口を開いた。

「……詳しく聞かせて」

     ◇

 三人は店の奥にある休憩室へ移動した。

 レインは昨日の出来事を、最初から説明した。

 飢えが限界に達していたこと。

 街をふらついていたこと。

 女性の悲鳴が聞こえたこと。

 路地裏で、男が女性の寿命を奪っていたこと。

 そして。

 その男の背後から首を掴み、時間を奪い尽くしたこと。

 エマは一度も口を挟まなかった。

 セラも黙って聞いていた。

「……それで、男は死にました」

 レインは話を終えた。

「女性の方はまだ生きていたので、救急車を呼んでもらいました」

「……そう」

 エマは腕を組んだ。

「男は、あなたに気づいていなかったのね?」

「はい。女性の時間を喰うことに集中していたみたいで」

「それで背後から近づけた……」

 エマは少し考え込んだ。

「運がよかったわね」

「……運、ですか?」

「ええ」

 エマはレインを見つめた。

「もし、あの男があなたに気づいていたら?」

「……」

「あなたが時間を奪おうとした瞬間、相手もあなたの時間を奪おうとしたら?」

 レインは黙った。

 昨日の男は抵抗していた。

 自分の腕に触れようとしていたことも覚えている。

「……俺が、喰われていたかもしれません」

「そういうことよ」

 エマは頷いた。

「時間喰い同士の戦いは、人間を相手にするのとはまるで違うの」

 そして、静かに続けた。

「あなたが相手を喰えるということは、相手もあなたを喰えるということだから」

     ◇

「……俺、決めたんです」

 レインが口を開いた。

「何を?」

 エマが尋ねる。

「これからは、人間を喰わずに生きようと思います」

 セラが目を丸くした。

「……え?」

「その代わり、時間喰いを喰います」

 部屋が静まり返った。

 レインは続けた。

「昨日、分かったんです。時間喰いの中には、人間から奪った時間が蓄えられている」

「ええ」

「だったら、俺はそういう時間喰いを探します」

 レインは自分の手を見つめた。

「誰でも構わず人間を襲うような奴を」

 そして顔を上げた。

「そいつらの時間を喰って、生きていきます」

 エマはしばらくレインを見つめていた。

 やがて、小さくため息をついた。

「……考えなかったわけじゃないわ」

「え?」

「時間喰いを喰って生きる。その方法は、私も考えたことがあるの」

「だったら……」

「でもね、レイン」

 エマはレインの言葉を遮った。

「それが、一番早死にする方法なのよ」

 レインは眉をひそめた。

「……どうしてですか?」

「時間喰いは、蓄えている時間が多いほど身体能力が高くなるの」

「……身体能力?」

「そう。力も、速さも、反応速度も。普通の人間とは比較にならないわ」

 エマは自分の手を持ち上げた。

「今のあなたも、昨日までとは身体の感覚が違うでしょう?」

「……はい」

「それは昨日の男から、大量の時間を奪ったからよ」

 レインは自分の身体を見下ろした。

 確かに、今朝から身体が軽かった。

 ただ元気になっただけではない。

 以前よりも、ずっと力があるように感じる。

「……そういうことだったんですね」

「でも、それだけじゃないの」

 エマの表情が真剣になった。

「時間喰いは、限界を超えた力を引き出すこともできる」

「……限界を?」

「ええ。ただし、その力は無限じゃない」

 エマは続けた。

「蓄えている時間を、大量に消費するのよ」

 レインは息を呑んだ。

「……時間を使って、強くなる?」

「そういうこと」

 エマは頷いた。

「相手を倒すために自分の時間を消費する。勝てば相手の時間を奪えるかもしれない。でも、負ければそこで終わり」

「……」

「勝ったとしても、戦いでどれほど時間を消費したかによっては、かえって寿命を減らすことになるわ」

 レインは黙って聞いていた。

「それに、時間喰いは簡単には倒せない」

 エマはレインをまっすぐ見つめた。

「時間を喰うには、相手に触れなければならない。一瞬触れただけでも多少は奪えるけれど、大量に奪うには触れ続ける必要がある」

「……はい」

「だから、まず相手を動けなくするほど弱らせなければならないの」

 レインは昨日の男を思い出した。

 相手が女性を喰うことに夢中になっていたからこそ、背後を取ることができた。

 もし正面から戦っていたら。

 今の自分では、どうなっていたか分からない。

「……それでも」

 レインは顔を上げた。

「俺は、その方法で生きたいです」

 エマはしばらく黙っていた。

 そして、小さく頷いた。

「……そう」

 否定はしなかった。

「だったら、少なくとも時間喰いのことをもっと知る必要があるわね」

     ◇

「……そういえば」

 レインはふと疑問を口にした。

「エマさんたちは、どうやって時間を喰ってるんですか?」

 セラの表情が変わった。

「……レイン」

「前から気になってたんだ」

 レインは二人を見た。

「セラもエマさんも、人間の時間を喰って生きてるんですよね?」

「ええ」

「でも、ずっと普通に生活してる」

 エマは少しだけ目を伏せた。

 そして、セラを見た。

 セラは小さく頷いた。

「……もう、話してもいいんじゃないかな」

「そうね」

 エマはレインに向き直った。

「私たちは、喰う人間を選んでいるの」

「……選ぶ?」

「ええ。主に病院にいる人たちよ」

 レインは首を傾げた。

「病院?」

「長い間、寝たきりになっている人。もう回復の見込みがなくて、余命も短いとされている人」

「……」

「そういう人の残された時間を奪っているわ」

 レインは黙った。

「……どれくらい奪うんですか?」

 エマは静かに答えた。

「すべてよ」

 レインは顔を上げた。

「……すべて?」

「ええ」

 エマは続けた。

「残された時間をすべて奪う。その人は亡くなるわ」

 休憩室に沈黙が落ちた。

 レインは何も言わなかった。

 セラもエマも、ただ待っていた。

 しばらくして、レインが小さく口を開いた。

「……そうですか」

 それきり、また黙り込んだ。

 人が死んでいる。

 エマとセラは、自分たちが生きるために人間の命を奪っている。

 それは間違いなかった。

 けれど。

 レインは思い出していた。

 四十日間の飢え。

 身体が震え、心臓が苦しくなり、何も考えられなくなった日々。

 最後には、誰でもいいから喰いたいと思った。

 あの苦しみを、二人も知っている。

 喰わなければ、生きられない。

 だったら、生きるためには仕方がない。

 それでも、誰でも構わず襲うよりは……。

 レインはゆっくりと顔を上げた。

「……二人とも、ずっと考えてきたんですよね」

 エマは頷いた。

「ええ」

「……だったら」

 レインは少しだけ言葉を探した。

「俺に、二人を責める資格なんてありません」

 セラが顔を上げた。

「……レイン」

「俺だって、昨日、時間喰いを殺したんだから」

 レインは自分の両手を見つめた。

 あの男の時間を奪ったとき。

 自分は笑っていた。

 満たされる感覚が、嬉しかった。

 もう一度味わいたいとさえ思っている。

 そんな自分が、二人に何を言えるのだろう。

「……俺は俺の方法で生きます」

 レインは静かに言った。

「二人は、二人の方法で生きてきたんですよね」

 エマは小さく頷いた。

「そうね」

 それ以上、誰も何も言わなかった。

     ◇

「私ね」

 しばらくして、セラが口を開いた。

「エマさんに会う前は、普通の人を喰ってたんだ」

 レインはセラを見た。

「……そうなのか?」

「うん」

 セラは頷いた。

「最初は我慢してた。でも、どうしても耐えられなくなって……」

 そこで言葉を切った。

「そのとき近くにいた人を、喰った」

 レインは黙って聞いていた。

「それからも、限界が来るたびに同じことをしてた」

「……」

「そんなとき、エマさんに会ったんだ」

 セラはエマを見た。

「私が人間の時間を奪ってるところを、たまたま見られちゃって」

 エマが小さく頷く。

「放っておけなかったのよ」

「それで、エマさんが教えてくれたんだ」

 セラはレインに向き直った。

「喰う相手を選ぶ方法があるって」

 レインはエマを見た。

「……それで、今の方法に?」

「ええ」

 エマは頷いた。

「私たちが選んだ方法よ」

 セラが小さく笑った。

「……レインには、言えなかったんだ」

「……どうして?」

「だって、レインは人を殺すことがすごく嫌だったでしょ?」

 レインは黙った。

「だから……嫌われるかもしれないと思って」

「……そっか」

 レインは少しだけ考えた。

 そして、首を振った。

「嫌いになんてならないよ」

「……本当?」

「うん」

 レインは頷いた。

「二人がいなかったら、俺は時間喰いのことを何も知らなかった」

 セラは何も言わなかった。

「それに、あの四十日間……俺がどれだけ苦しかったか、二人は分かってくれてた」

 レインは小さく息を吐いた。

「……ありがとう」

 セラは少し驚いたように目を見開いた。

 そして。

「……うん」

 小さく笑った。

     ◇

「ところで、レイン」

 エマが話題を変えた。

「あなたはこれから、どうやって時間喰いを探すつもり?」

「……それなんですけど」

 レインは困ったように頭を掻いた。

「正直、分からなくて」

「でしょうね」

 エマは苦笑した。

「時間喰いは、普通の人間と見分けがつかないもの」

「はい」

「でも、見つける方法がまったくないわけじゃないわ」

 レインは顔を上げた。

「……あるんですか?」

「ええ」

 エマは人差し指を立てた。

「時間喰いは、誰かの時間を奪わなければ生きられない」

「……はい」

「それは、私もセラも、あなたも同じでしょう?」

 レインは頷いた。

「つまり、どんな時間喰いでも、生き続けようとする限り、いつか必ず誰かの時間を喰うことになるの」

「……なるほど」

「だから、狙うならその瞬間よ」

 レインは昨日の光景を思い出した。

 女性の頭を掴んでいた男。

 相手の時間を喰うことに夢中になり、自分の接近に気づかなかった。

「……昨日と同じですね」

「そう」

 エマは頷いた。

「相手が捕食している瞬間は、隙が生まれやすい。もちろん、必ず無防備になるわけじゃないけれど」

「……」

「時間喰い同士の戦いを避けたいなら、そういう瞬間を探すしかないでしょうね」

 レインはしばらく考えた。

「でも……その瞬間を見つけるのって、難しくないですか?」

「ええ。難しいわ」

 エマは即答した。

「時間喰いだって、普通の人間に見られたくないもの」

「……」

「だから、基本的には人目を避けて喰う」

 エマは続けた。

「人気のない路地裏。夜の公園。人通りの少ない場所。そういう場所で捕食する時間喰いもいるわ」

 レインは頷いた。

「……確かに、昨日も路地裏でした」

「ええ。でも、覚えておいて」

 エマは真剣な表情になった。

「人目のない場所は、相手にとっても都合がいい場所なのよ」

「……」

「あなたが時間喰いを見つけたつもりでも、相手が先にあなたを見つけている可能性だってある」

 レインは息を呑んだ。

「……そうですね」

「それに、すべての時間喰いがあなたより弱いとは限らない」

 エマは静かに続けた。

「何十年も、何百年も生きている時間喰いだっているの」

「……何百年?」

「ええ」

 レインは目を丸くした。

「そんなに……」

「蓄えている時間が多ければ、それだけ強い。あなたが昨日喰った男とは、比較にならない相手もいるわ」

 エマはレインを見つめた。

「だから、決して油断しないこと」

「……はい」

「そして、勝てないと思ったら逃げなさい」

 レインは頷いた。

 今の自分が、どれほど強いのかは分からない。

 昨日の男に勝てたのも、偶然に近かった。

 だが。

 それでも、時間喰いを探すしかない。

 レインは改めてそう思った。

     ◇

「……もうひとつ、気をつけなきゃいけないことがあるわ」

 エマが言った。

「何ですか?」

「警察よ」

 レインは少し驚いた。

「……警察?」

「ええ」

 エマは頷いた。

「時間喰いが人間の寿命を奪っていることは、一般には知られていない。でも、警察が何も知らないわけじゃないの」

「……そうなんですか?」

「考えてもみて」

 エマは続けた。

「突然、何十年も老いたような姿で亡くなる人間がいる。原因の分からない死亡事件が起こる。そんなことが長年続いていたら?」

 レインは黙った。

「警察だって、調べるわ」

「……確かに」

「時間喰いという存在を、少なくとも疑っている人たちはいるのよ」

 エマはお茶を一口飲んだ。

「不審な死亡事件を調べて、関係者の情報を集めている。時間喰いらしい人物を見つければ、監視しようとすることもあるわ」

「……捕まらないんですか?」

「簡単にはね」

 エマは首を振った。

「時間を喰うなんて、科学的に立証できないでしょう?」

「……」

「誰かに触れただけで寿命を奪った。それを、どうやって証明するの?」

 レインは考え込んだ。

 昨日、男が女性の頭を掴んでいた。

 そのあと女性は急速に老いていった。

 だが、それを警察に説明したところで、信じてもらえるのだろうか。

「……難しいですね」

「そうなの」

 エマは頷いた。

「そもそも法律には、時間を喰うという行為そのものを裁くための決まりがない。暴行や殺人を立証できれば別だけれど、時間を奪ったことと死亡の因果関係を証明するのは難しいのよ」

「……」

「だからといって、警察が諦めているわけじゃない」

 エマはレインを見つめた。

「むしろ、正体の分からない存在だからこそ、情報を集めようとするの」

 レインは昨日のことを思い出した。

 路地裏。

 老い果てた男。

 そして、倒れていた女性。

「……あの」

「何?」

「昨日の女性なんですけど……」

「ええ」

「救急車を呼んでもらったんです」

 エマはしばらく黙った。

「……そう」

「それって、警察にも……」

「連絡がいく可能性は高いわね」

 レインは息を呑んだ。

「……まずかったですか?」

「女性を助けるために呼んだのでしょう?」

「……はい」

「だったら、今さら変えられないわ」

 エマは静かに続けた。

「ただ、警察が調べ始める可能性は考えておいた方がいい」

「……分かりました」

 レインは頷いた。

 時間喰いを喰う。

 昨日までは、それだけを考えていた。

 だが、実際にはもっと多くのことが関わってくる。

 人間社会。

 警察。

 他の時間喰いたち。

 そして、自分が生きるために奪う時間。

 何もかもが、簡単ではなかった。

     ◇

「……ねえ、レイン」

 セラが口を開いた。

「何?」

「これから、本当に時間喰いを探すの?」

「うん」

「一人で?」

 レインは少し考えた。

「……そのつもりだけど」

「危ないよ」

「分かってる」

「分かってないって!」

 セラは少し強い口調になった。

「昨日はたまたま勝てたんでしょ? 次もそうとは限らないじゃん!」

「……うん」

「それに、レインはまだ戦い方だって知らないでしょ?」

 レインは黙った。

 確かに、その通りだった。

 時間喰いとしての身体能力。

 蓄えた時間。

 寿命を消費する戦い方。

 どれも、今日初めて聞いたことばかりだった。

「……だからさ」

 セラは少しだけ声を落とした。

「私たちも一緒に考えようよ」

 レインは顔を上げた。

「……え?」

「時間喰いのこと、エマさんの方がずっと詳しいし」

 セラはエマを見た。

「ね?」

 エマは苦笑した。

「私まで巻き込むつもり?」

「だって、レイン一人じゃ危ないじゃん」

「……それはそうね」

 エマは少し考えた。

 そして、レインを見た。

「あなたの生き方を変えろとは言わないわ」

「……はい」

「でも、何も知らずに戦いに行くのは無謀よ」

 エマは続けた。

「少なくとも、時間喰いについて知っていることは教えてあげる」

 レインは驚いた。

「……いいんですか?」

「ええ」

 エマは小さく笑った。

「あなたには、ずいぶん危険な道を選んだって自覚してもらわないとね」

「……ありがとうございます」

 レインは頭を下げた。

 セラが笑った。

「じゃあ、決まり!」

「……何が?」

「これからは三人で相談しようってこと!」

 レインは少しだけ笑った。

「……うん」

 エマはそんな二人を見つめながら、お茶を飲んだ。

 三人は、同じ時間喰いだった。

 けれど、生き方は違う。

 奪う相手も違う。

 それでも。

 少なくとも今は、互いを理解しようとしていた。

     ◇

 同じ頃。

 街の警察署では、二人の刑事が一台のモニターを見つめていた。

「……これが昨日の?」

 若い刑事が尋ねた。

「ああ」

 年配の刑事が頷いた。

 画面には、商店街の防犯カメラ映像が映っていた。

 路地裏の入口。

 そこから、一人の少年が出てくる。

 黒い髪。

 若い男。

 少年は周囲を見回し、通行人に何かを話しかけていた。

「救急車を呼ぶよう頼んだのは、この少年らしい」

「……なるほど」

 若い刑事は資料に目を落とした。

「それにしても、奇妙な事件ですね」

「ああ」

「女性は急激に老化したような状態で発見された。しかも、現場には身元不明の男性の遺体」

 刑事は資料をめくった。

「男性も、外見は相当な高齢者だったそうです」

「……」

「でも、女性の証言では、最初に襲ってきた男はもっと若かったと」

 年配の刑事は黙っていた。

「そして、その男を別の少年が襲った……」

 若い刑事は首を傾げた。

「正直、何が起きたのか分かりません」

「そうだな」

「女性の証言も、かなり混乱しているようですし」

 年配の刑事はモニターを見つめた。

 路地裏から出てきた少年。

 その足取りは、しっかりしていた。

「……この少年」

「はい?」

「現場に入る前の映像はあるか?」

「あります」

 若い刑事が別の映像を再生した。

 今度は、路地裏から少し離れた通りの防犯カメラだった。

 画面の中を、一人の少年が歩いている。

 ふらふらと。

 壁に手をつきながら。

「……同じ少年ですね」

「ああ」

 年配の刑事は頷いた。

「入る前は、まともに歩けていない」

「……そうですね」

「だが、出てきたときには普通に歩いている」

 若い刑事は映像を見比べた。

「……確かに」

 年配の刑事は腕を組んだ。

「この少年から話を聞きたいな」

「事件の関係者として、ですか?」

「ああ。ただし、まだ何も決めつけるな」

 刑事はモニターを見つめたまま続けた。

「女性を助けた可能性もある。何が起きたのか、確認する必要がある」

「分かりました」

 若い刑事が頷いた。

 年配の刑事は、もう一度映像を再生した。

 路地裏に入っていく少年。

 そして、しばらくして出てくる少年。

 まるで別人のようだった。

「……またか」

 年配の刑事が小さく呟いた。

「……何か言いました?」

「いや」

 刑事は首を振った。

 そして、机の引き出しから一冊の古いファイルを取り出した。

 表紙には、手書きで文字が記されていた。

 『原因不明の急速老化事案』

 刑事はファイルを開いた。

 中には、過去に発生した複数の不審な死亡事件の資料が綴じられていた。

 原因不明の急激な老化。

 説明のつかない死亡。

 そして、事件の周辺で繰り返し目撃される、特定の人物たち。

 どれも、犯罪として立証するには証拠が足りなかった。

 しかし。

 それで捜査が終わったわけではなかった。

 年配の刑事は、モニターの少年をもう一度見つめた。

「……今度は、何が起きたんだ?」

 答える者はいなかった。

     ◇

 夕方。

 レインはクリーニング店を出た。

 セラが店の前まで見送ってくれた。

「レイン!」

「ん?」

「無茶しないでよ?」

「……分かってる」

「本当に?」

「本当に」

 セラは少し疑わしそうな顔をした。

 レインは苦笑した。

「……大丈夫だよ」

 そして、歩き始めた。

 夕焼けに染まった街。

 いつもと変わらない人々。

 誰もが、自分の時間を生きている。

 レインは、すれ違う人々を見つめた。

 もう、喰いたいとは思わなかった。

 昨日、時間喰いを喰ったからだ。

 あの男の中に蓄えられていた時間が、今は自分の中にある。

 だが。

 いつか、その時間も尽きる。

 そうなれば、再び飢えが襲ってくる。

 四十日間の、あの苦しみが。

 レインは拳を握った。

「……探さなきゃな」

 時間喰いを。

 自分が生きるために。

 レインは歩き続けた。

 まだ知らなかった。

 自分が時間喰いを探そうとしている一方で。

 自分自身もまた、何者かに探され始めていることを。

第10話 終

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