第5話 しぞーかおでんと、42歳の告白
カウンターに置かれた茶色い出汁の「しぞーかおでん」。青のりとだし粉がふりかけられた黒はんぺんを突きながら、二人は緑茶ハイのグラスを傾けていた。
タカシは若いだけあって、酒が入るとよく喋った。東京での過酷な日々、徹夜続きで感覚が麻痺していったこと、そして「お前にはセンスがない」と先輩に言われた日のこと。悔し涙を滲ませながら話す若者の姿を、晴文は黙って受け止めていた。
「麻木さんは……どうして旅に出たんですか?」
タカシが不意にグラスを置いて、真っ直ぐな目を向けてきた。
晴文は、苦い出汁を飲み込むように息を吐いた。これまで誰にも、自分自身にさえまともに言葉にしていなかった事実が、アルコールの力を借りてぽつりぽつりと漏れ出していく。
「……クビになったんだ。20年勤めた会社を、一昨日な」
「え……」
「営業一筋で、それなりに会社に尽くしてきたつもりだった。でも、切られる時は一瞬だったよ。おまけに同じ日の夜、5年付き合った彼女にも振られた。全部、同時に消えたんだ」
タカシは言葉を失い、おでんの串を握ったまま固まった。
「滑稽だろ。家と会社の往復しかしてこなかった男が、一日にして文字通り『何もなし』になった。東京にいると、自分が透明人間になったみたいで息ができなかった。だから、逃げてきたんだよ」
晴文は自嘲気味に笑い、グラスに残った酒を煽った。
「でもさ」
タカシが静かに、しかし力を込めて言った。
「麻木さんは逃げてなんかいないですよ。だって、現にこうして、僕を後ろに乗せて走ってくれてるじゃないですか」
タカシは胸元のカメラをそっと叩いた。
「何もなくなったら、普通は部屋に閉じこもるか、最悪の選択をするかもしれない。でも麻木さんは、あの古いTWのエンジンをかけて、箱根の霧を抜けて、ここまで来た。今日、バイクの後ろで麻木さんの背中を見てるとき、僕、めちゃくちゃカッコいい大人がいるって思いましたよ。……すくなくとも、僕を怒鳴り散らして潰そうとした東京の上司たちより、何百倍も」
「タカシ……」
「だから、何もないなんて言わないでください」
店を出ると、静岡の夜風が火照った顔に心地よかった。
隣を歩くタカシの足取りは、心なしか昼間より力強く見える。
42歳の自分が、24歳の若者に救われている。旅は、与えるだけでなく、こうして互いの傷を埋め合うものなのかもしれない。晴文の胸の奥で、冷え切っていた何かが、確かにじんわりと熱を持ちはじめていた。




