第四話:捜索
突然の思い付きだっただけに、旅行の準備や何かで手間取り、結局家を出たのはその日の夕方になった。さっそくその足で上野に向かい、当たりをつけていた駅前のビジネスホテルを根城と決め、チェックインした。部屋に入り荷物を放り出しながら奈緒美の勤務先と聞いていた店に電話を入れた。電話番号はネットのホームページで容易に調べられた。
「はい***です。お電話ありがとうございます! ご予約でしょうか?」
「ええ、今日は裕子さん出勤してますか?」
「……すみません裕子さん本日お休みをいただいていまして……でも今日は他にもいい娘がたくさん出勤してまして、よろしければ今からでもご案内できますが……」
「結構です。明日は出勤の予定ですか?」
「……ちょっと分からないですねエ。明日もう一度お電話で確認していただけますか」
「………………分かりました、ではそうします」
「ありがとうございました。またのご利用を……」
(奈緒美がまだ働いている!)―ーその時の私は素直に、店を辞めているのではという予想が外れた事を喜んでいた。店を辞めて間もない女の子に指名が入ってきた時は、辞めたとは言わずに休んでいる事にして別の子を紹介するのがこの業界の常識だとは知りもしないで。
次の日も、そのまた次の日も同じようなやり取りが繰り返された。さすがに本当に奈緒美がいるのかと疑い始めた頃、ネットの風俗情報でこのからくりを知った。そこで次は直接、店の女の子から情報を得ようと、その翌日フリーの客を装って電話を入れた。若い娘が苦手なのでサービスのいいベテランをと指名し、きれいな奥様風という店の勧めに従って1人の女性を指名した。
鶯谷の駅前から迎えの高級車に乗り、着いた店は超高級店の名に恥じない豪華な造りだった。2ケタ近い料金を払い、通されたケバケバしい部屋で待っているとボーイに呼ばれ、指名した女性と対面した。店のレベルを表すかのように美しい人だったが、少し下膨れの顔と笑うとこぼれる八重歯が人の良さを表しているような気がした。
案内された個室に入るなり、私は今回の訪問の目的と経緯を正直に語った。久しく遠ざかっているセックスへの欲求がないと言えば嘘になるが、こういう店の娘は同僚の事を話したがらないと聞いていたので、私の真剣さを見せたつもりだった。
「裕子ちゃんねエ……もう2か月近くなるかしら、突然店を辞めてから」
初めは戸惑いながら、その後でじっと私の話に聞き入っていた、マリアという名のその女性は、私の話が一区切りついた所で、そう語り始めた。
「私たち年も近かったし、この店では古手の方だったから、待ち時間なんかで結構話をした方だったけど……婚約者がいるなんていう話は……ごめんなさい、聞いていなかったわ。……でもまあこんな所にいる娘は仮にそんな男がいても話しゃしないけどね」
「そうですか……それじゃあ店を辞めた理由については……」
「それもよく分からないのよ、何しろ突然だったから………………でも……あれは最後に出勤してきた日だったと思うけど、ボソッと田舎に帰ろうかななんて呟いたのよ―ーそうそうあの娘、それまでOLさんみたいに昼間だけしか出てなかったのに、ある時から夕方からラストまでに変えたのよ。だから話を聞いたのは店が終わってからだったわ」
「田舎……」
「そう。だから田舎ってどこなのって聞いたの……そしたら群馬だって言ってたわ。そう言えば、随分辛そうな顔してたわね……その時は嫌な客でもいて疲れたんだろうなって思ったけど」
奈緒美の表情が目に浮かんだ。マリアの話は続いた。
「裕子って……結構いいところのお嬢さんだったんじゃないかな、ある時ね、酔っぱらった外人が店に来たのね―ーほら、この店って外人さんお断りじゃない―ー酔ってるから何言ってるか分からないで店長やボーイたちがオロオロしてたら、裕子が何かビシッと言って追い返した事があったのよ。あれ英語じゃなかったと思うけど……」
その後もマリアは時間一杯、奈緒美の、いや裕子に関する思い出やエピソードを語ってくれた。私の知らない奈緒美の姿がそこにあった。謎はますます深まっていった。
帰る間際には思い切って、親戚の者だといって男の従業員に裕子の元の住所や履歴の事を尋ねてみた。マリアもそこまでは知らなかったからだが、帰って来たのは胡散臭そうな眼差しと「分かりませんね」というすげない答えだけだった。
万策尽きた私は、探偵社にすがる事にした。ネットで調べるとその数の多さに驚かされた。
その中で私でも名前を知っていた、ある会社を訪ねた。応対してくれたいかにもベテラいンらしい初老の調査員に一通りの事情と奈緒美に関する情報を語った。
終始うつむいたまま小さくうなずきながらメモを取っていた男は、私の話が終わると顔を上げて「こんな事、私が言うべき事じゃないんですが……」と前置きしながら、
「私もこの仕事を30年近くやってますがね、その……奈緒美さんですか、本当に探し出した方がいいんですかねエ。片桐さんがお気の毒にも記憶を無くされて、取り戻したいという気持ちは分かりますが、奈緒美さんがあなたの前から姿を消したのには、余程の事情があったと思うんですよ」
「だから、それは……」私の話を片手を上げて遮って男は話を続けた。
「いやおっしゃりたい事は分かります。しかし店のなじみ客らしいその男に二度と会いたくないのなら、店を辞めるなり移るなりすればいい事だし、その事であなたに自分の正体がバレるのが嫌なら、退院も近かったんだし何か理由をつけて病院に来るのをしばらく控えて、退院してから会うようにすれば済むことでしょう。指輪まで返して縁を切るというのはそれ以外の理由があるとしか思えないんですよ。……第一あなたが、奈緒美さんとその男とのやりとりを目撃していた事に奈緒美さんは気付かなかったんでしょう」
奈緒美の失踪に関する私の単純な推理は打ち砕かれた。
「……もちろん我々も商売ですから、調べろと言われれば調べますけど、その時は何があっても受け止めるだけの決意は持っていて下さい」
過去の何かを思い出すように男は遠くを見るような眼でそう言った。
「……どれくらいかかりますか?」
「調査に必要な期間は……そうですね最短で10日、そんなに難しい案件ではありません。それから……至急扱いで調べるなら料金は実費別で○○万円かかります」
一転してビジネスライクに語られたその値段は想像以上に高額だった。
調査員の男からのアドバイスはもっともだったし、費やすお金にもためらいはあったが、ここで中途半端なまま奈緒美の事を忘却するという選択肢は、私にはなかった。指示された着手金を支払い正式に調査を依頼した。
年末・年始を挟んでしまうので年の明けた1月10日には結果を伝えられるだろうと彼は約束した。エレベーターホールまで私を見送りながら男は、さっきは余計な事を言いましてと、しきりに詫びていた。
奈緒美の消息が分かるだろうという期待感と、調査員の示唆した悲しい事実を知ってしまう事への不安感が私の気分を重くしていた。
(……涼子の元へ帰ろう)安住の地を求める流民のように急にそう思った。予定より早い帰宅だったが、涼子はむしろその事を喜び、満面の笑顔で迎え入れてくれるだろうと思った。
街中から聞こえてくるジングルベルが道案内してくれているようだった。
涼子と二人の正月は、穏やかで楽しいものだったが、私は終始そこはかとない緊張感を感じていたような気がする。しかし涼子はそんな私の様子を察したかのように、明るく振る舞い続けた。もちろん布団に潜り込んできたりする事はあれ以降なかった。
幕の内が過ぎ、探偵社と約束した10日がやってきた。図書館に行くといって家を出た私は焦る気持ちを抑えながら探偵社へと急いだ。
応接室で待っていると、あの調査員がファイルを手に現れた。初めて会った時よりいくらか柔和な表情を浮かべているように感じた。
「お待たせしました。見つかりましたよ。篠塚奈緒美さんは今、大宮にいらっしゃいます」
開口一番そう一気に言うと、彼はファイルの書類から目線を上げ、どうだというように私の顔をみた。
「……大宮ですか、群馬じゃないんですか」
「はい、確かに彼女を見つけたのは群馬県の前橋でした。ちょうど正月で実家に戻っていました。ちなみにお母さんと2人で正月を過ごされてました。そして1月の4日に実家を離れ、大宮に戻りました。実家の住所も、大宮の住所もこちらに……」
私は彼の話を遮り、真っ先に聞きたい事を尋ねた。
「それで、今何を……まだソープに?」
「いえ今は介護施設で勤務されています。お聞きしていたイメージと随分違ったので、初めて前橋でお見かけした時は別人かと思いましたよ。さりげなく同じ施設の方に様子を聞いたら評判も良かったですよ。そのあたりの事もこちらに……」
一体何があったのだろう。ソープを辞めた事は何となく理解できたが、介護施設で働いている奈緒美の姿は想像できなかった。しかし一度遠く離れた存在になってしまった奈緒美が、もう一度手の届く処に戻ってきたような気がした。
彼の報告の中には、奈緒美の父親が彼女が中学生の頃自殺しているというショッキングなものも含まれていた。前橋で手広く建築業を営んでいた父親は、不動産不況の中で資金繰りに行き詰まり、高利の金に手を出した挙句、返済に困って全ての財産を失ったという事だった。
彼女がソープ嬢になった経緯もその辺りにあるのかもしれないと思った。
それからしばらくして私は突然大宮にいるという奈緒美を訪ねて行く事にした。調査によって奈緒美の居所がわかった安心感もあり、私はすぐさま彼女を訪ねて行くのがなぜかためらわれていた。タイミングを計るような気分にもなっていた。
暦も2月に変わろろうとしていたある日の朝。昨日までの寒風も和らぎ珍しく抜けるような青空が顔を出したその日こそが、奈緒美との再会にふさわしい日だという衝動が、突然私を突き上げた。
年末の小旅行以来、意識して一人で外出する機会を作っていたせいか、近頃では涼子もいちいち私の行動をとがめ立てするような事もなくなっていた。それでも相変わらず私の体調を気遣い、あるいは不意に私がいなくなる事を恐れるかのように不安げな表情を浮かべて送り出すのが常となっていた。その日も、夕飯までには戻るようにと告げる母のようなセリフを背中に浴びながら私は家を出た。
平日の通勤ラッシュも一段落した時間帯の電車は空いていた。窓の外を流れる雑多な都会の風景をぼんやりと見つめながら、私は奈緒美との感動の再会シーンをあれこれ想像していた。
大宮駅に着き、駅前からタクシーで手帳に書き写していた奈緒美の勤務先の施設の住所に向かった。そこにあったのは高層マンションの群れに埋もれたオアシスのように、公園と一体となって控え目にたたずむ建物だった。建物を囲む生垣の隙間から、久しぶりの青空に誘われたかのように小さな庭でくつろぐ老人たちと、彼らを見守る少数のスタッフたちの姿が見えた。その中に奈緒美の姿を見つけるのは、あっけないほど容易だった。大きなウエーブが掛っていた髪型は、素っ気なく後ろで束ねただけの髪型に変わり、美しさを一際引き立てていた巧みな化粧は、しているのかどうか分からないくらいの薄化粧に変わっていたが、慈悲深ささえ感じさせる柔らかなその笑顔の主はまぎれもなく奈緒美だった。
1人の老婆に声をかけた奈緒美がふと顔を上げ、私の視線をとらえた。その眼に驚きと共に一瞬怯えの色が浮かんだのを私は見逃さなかった。




