第9話 メシウマ国家の人々
災禍の蕾は開かないままに立ち枯れた。
信じられない光景を立て続けに目にし、イェフは呆然とへたり込む。
神代の歌伝。
災禍からの再帰。
全く理解できない現象だ。
しかし、今、イェフの頭を占めているのは奇跡云々などではない。
罪のない少女を殺さずにすんだこと。
────彼女が生きていること。
「……よかった」
ふと、安堵の言葉が溢れた。
溢れ出た自身の本音を耳にしてしまい、イェフの中の何かが決壊する。
「よがっだよお……!」
天を仰いで叫んだイェフは、そのまま声を上げて泣き出した。
◇
イェフが男泣きしている間に、色々なことがあった。
事故に遭った少年はアルモニ国立病院へ搬送され、残された少女もまた、別のレスキュー車に乗せられて同じ病院へ向かったらしい。
遅れて到着した災禍対策部隊には、銀髪の少女が説明してくれた。顔見知りなのか、対話は簡潔に済んでいたように思う。
銀髪の少女は、状況説明をする間中ずっと、イェフの背を撫でさすってくれていた。
その手が妙に温かくて心地良いものだから、余計に涙が止まらないのだ。
しまいには災禍対策部隊のナイスミドル達も慰めの輪に加わり、号泣状態を継続しているイェフを励ましてくれた。
「坊主、勇気あるじゃねえか!」
「遅くなってごめんな。あんたもよく頑張ってくれたよ。ありがとう」
「ずみばぜん……おれ、おれぇ……!」
ナイスミドル達に肩を叩かれ、その分厚い掌の感触に軍時代の鬼軍曹を思い出したりして、イェフは鼻水を啜る。
「おで、ぜんぜんやぐにだだなくでえ!」
「何言ってんだ。あんたがいなかったら、周りの奴らも巻き込まれてたかもしれないんだぞ」
「少なくとも俺達ァ坊主に感謝してるぜ」
「ふぐう!」
噴き出す涙で何も見えない。
もはや鼻水に溺れて喘ぐばかりだ。
泣きすぎてえずくイェフの背を撫でながら、銀髪の少女が囁く。
「あなたが冷静に対処してくれたおかげで、二人とも助かったんだよ。もっと自分を褒めてあげようね」
「はっはっは! そりゃあお前さんにも言えることじゃねえのか? なァ、フィアちゃんよ!」
「それとこれとは別なの」
もっともなナイスミドルの言葉に対し、フィアと呼ばれた銀髪の少女は首を振る。
苦笑混じりの返答はいかにも慣れた風で、彼らが親しい仲なのだといやでも分かる。
泣きつかれ始めたイェフは、ここでふと我に返った。
気付いてしまったのだ。
仲良し有能集団の中にぽつねんと一人。
何もできず、慰められているだけの自分に。
貰い物の長袖シャツで顔を拭い、辺りを確認する。
揃いも揃って筋肉質で浅黒い肌をした派手目のナイスミドルが数名。
銀髪の、胸が大きく可憐な美少女が一人。
彼らは突然泣き止んだイェフを訝しみ、容易くパーソナルスペースに踏み込んでは必殺のボディタッチを繰り出してくる。
「おい、どうしたよ」
「泣いたら体力使うもんね。もしかしてお腹が減っちゃったのかな」
「そりゃあいい! 夕飯にゃちと早いが一杯引っかけに行くかあ?」
「おいおいイノウエさん、昼間から酒は駄目だって。奥さんと娘さんに怒られちまうぞ」
朗らかな笑いが広がる。
この間、イェフの背を励まし叩く手の多いこと。
間違いない。
笑顔が素敵な陽キャ集団だ。
「お、お、おお、おれ!」
音を立てて血の気が引いていく。
もはや災禍の蕾を前にしていた時よりも激しく震え、イェフはがばりと立ち上がった。
「おれ! かえります!」
「え、ちょ」
目を丸くしたフィアが手を伸ばしてくる。その指先をぎりぎりで回避し、イェフは脱兎の如く逃げ出した。
呼び止める声を無視し、未だ群がる人々の間を縦横無尽にすり抜ける。
通りすがりざまにわかったのだが、野次馬達は興奮止めやらぬ様子で囁き合っていた。
「奇跡だ」
「災禍が消えた、踏みとどまったんだ」
「御伽話みたい……」
「頑張ったのね。素晴らしいわ!」
特に聞きたいわけでもないのに耳に入ってくる情報のせいで、イェフの恐怖はさらに増幅した。
何せ、聞こえる声の殆どが心からの祝福なのである。今の今まで見捨てておいて、罪悪感など微塵も感じていない様子が殊更恐ろしい。
それまでとは違う意味で涙目になりながら、イェフは逗留先の安宿までの道のりを駆け抜けた。
軍にいた頃にこの走りが出来ていたならば、今は亡き鬼軍曹も少しは見直してくれていたかもしれない。
それほどに見事なスプリントであった。
◇
災禍の事件から数日間、イェフは地獄の日々を送ることになった。
陽キャ集団と道端で再会するのが恐ろしくて宿に引きこもること一日。
よく考えれば、指輪を掻っ払われたままだと気付き数分失神。
ショックであろうが何だろうが腹は減り、しぶしぶ外に出てインスタント食品を買い込み散財。
宿に戻ってみれば、事件の事情聴取に訪れた警備隊員にやんわりと無謀を責められて撃沈。
社会が嫌になり洗濯すらサボっている自分が悲しすぎて、半袖のまま啜り泣くことまた一日。
そんなこんなで、約束の日がきてしまったのである。
アルモニには寒すぎる上、場に馴染まないバカンス仕様の半袖着用のもと、イェフはアルモニ役場の福祉課近くを彷徨っていた。
あまりに不審な動きだったのか、見かねた様子のちょび髭紳士が通りすがりに声をかけてくれる。
「福祉課に用事かね」
「アッ、ハイ」
「どれ、一人で相談するのが不安なら私が付き添おう」
「いやあ、見ず知らずの他人様の手を煩わせるようなことでは……」
「おかしなことを言う。ここはアルモニだぞ。助け合わずして何が共生か」
押し合い圧し合いで言い合っているうちに、福祉課奥の面談室から人影が顔を出した。
ひっつめお団子の女史、ハルカ・イノウエである。
「タラントさん、もういらしてたんですか」
「あ、はい。はやく来てごめんなさい」
「謝ることではないと思いますが」
首を傾げたイノウエ女史は、そのままイェフの背後へと視線を向けた。
気のせいだろうか。
押し上げた眼鏡がギラリと光る。
「モーガン先生、こちらの方は私の担当ですので手出しは無用です」
「……ふん。彼が困っているようだから声をかけただけだ。市民の生活を助けるのが我々の責務だからね」
ちょび髭紳士は鼻を鳴らして去っていった。そこはかとなく負け犬の遠吠えを思わせる後ろ姿だ。
「今から票田集めとは、まったく精が出ますね。役所なら入れ食いだと思っているのかしら。舐めたマネをしてくれるじゃないの」
紳士の姿が廊下の角に消えたあたりでイノウエが毒づく。薄々気付いてはいたが、この女史、なかなかに気性が荒いようだ。
イノウエの剣呑さに怯え、イェフはおずおずと挨拶をした。
「こんにちは。お仕事お疲れさまです」
「タラントさん、こんにちは。面談室も空いているので、少し早めですが始めましょう」
「はい、早く来てごめんなさい」
「だから何で謝るんです。しかも二度目」
きょとんと目を丸くしたイノウエに無言で愛想笑いを返す。
何故と言われても困る。怒っている人間にはとりあえず謝っておくのが対人不全男の処世術なのだ。
話題を変えようと、イェフは問いを投げかける。
「さっきのおじさん、有名な人なんですか?」
「ええ、バサロミュー・モーガン氏は議員です。実にこの国らしい公人ですよ」
「へえ、たとえばどんなところが?」
「公人は我々役人と同じく、私的行動によるアルモニポイント受領ができません。モーガン氏はそれを逆手にとり『見返りを求めず善行を敷いている』とパフォーマンスするタイプの善人です」
真顔で吐き捨てるイノウエの背に般若を幻視し、イェフは顔を引き攣らせた。
「はは。まあ、でも善行は善行ですよ。それで助かる人がいるなら、ね」
「専門外のことに口を出してくるから邪魔ですし、そもそも活動が期間限定なんですよ。半年後に任期が終わるので、今は次期選挙の下準備といったところでしょう」
こわい。
有期限善行議員も辛辣な役人もまとめてアルモニこわい。
イェフは愛想笑いのまま視線を彷徨わせる。
「あー……えっと、今日会う花屋さんは、その、さっきの議員さんとは違うんですよね──ひぃっ!?」
イノウエ女史の眼鏡が再び光る。
殺意を感じさせる眼光だ。
「タラントさん。まさかとは思いますが、まだ美人局を疑ってます?」
「疑ってない! そんなこと思ってないです! いらないことを言ってごめんなさい!」
全力で否定し、本日三回目の謝罪を入れる。
前回の相談時、イノウエに怒られたことが軽くトラウマになっているイェフだ。
お辞儀人形のように頭をへこへこと下げまくるイェフを見つめ、女史はクールに眼鏡を押し上げた。
「そうですよね。もう二度も会っておられるわけですし、そんな勘違いをするはずがないか。失礼しました」
「へ?」
「お相手も既にお見えです。こちらへ」
先程自身が出てきた部屋を示すイノウエ。
彼女は何故だか嬉しそうで、その僅かに上がった口角がそら恐ろしく思えてしまう。
「あの」
「何でしょうか」
「これから会う人って礼儀に厳しい人ですよね。こんな格好で怒られたりしませんか?」
「いえ、細かいことは気にされない方ですよ。どちらかといえば、半袖で風邪をひかないか心配されるかと」
珍しいことに、イノウエが柔らかい笑みを浮かべた。件のお見合い婆に対する溢れんばかりの思慕が滲み出ている。
もはや、女史本人がその見合い婆と会いたいばかりにイェフを利用しているのではないかと疑うレベルだ。
女史の話を聞く分には、相手方は大らかな人柄のようである。しかし、それは女史の主観も大いに交えた人物観に思えてならない。
そもそもの話、イェフの今の出で立ちを見て引っ掛からないお見合い婆はどうなのだろう。
リゾート仕様の大ぶりの花柄があしらわれた半袖シャツに、水陸両用のハーフパンツ。足元は履き潰されたスニーカーと来ている。
洗濯済の服がこれしかなかったとはいえ、見合いを舐めていると思われるのではないか。
今更ながら気が気でなくなってきた。
「お見合いの専門家にこんなラフな格好で会ったら怒られないかな……」
呟くイェフを見るイノウエの眉間に皺が寄る。
「お見合いの専門家? 何言ってるんですか」
「え? 今日会うのって、超絶テクニシャンのお見合いバ……お見合い請負人の方ですよね?」
「はい?」
イノウエが目を瞬いた。




