第10話 再会は吐き気と共に
改めて考えるに、イェフ・タラントという人間は、つくづく社会に向いていない。
そうは言っても、言動が反社会的であるとか、根本的に協調性に欠けているとか、そういった外在化される原因があるわけではないのだ。
ただ、社会化された行動に、著しいエネルギー消費を要するというだけ。
「ああ、成程。もしかしてイェフくん、先祖返りなんじゃないかな」
「へ?」
「共生種の中でも古い世代の子はね、ちょっと繊細な人が多かったの」
アルモニ役場の福祉課が有する面談室にて、銀髪の少女が言った。
「集団に適応しなきゃ命に関わるんだもの。過剰適応もそれによる疲弊も、生存本能が根底にあるんだ。難しいよね」
唖然とするイェフを見つめる翠の眼。
金色の光を散りばめたその美しい瞳を瞬かせ、彼女は笑う。
「まあ、なんとかなるよ。大丈夫」
◇
「お見合いのエキスパートではなく、困難事例請負人。長命種で、建国以前からこの地域一帯の調整を担ってきた裏の顔役ですよ」
微妙に呆れた様子のイノウエから再度説明を受け、イェフは面談室の扉を潜った。
それはもう怯えながら、おずおずと。
裏の顔役、しかも建国以前から地域一帯を牛耳っているなど、絶対に碌な人間ではない。
陽のオーラ迸る体育会系か、迅速な情報拡散に定評のある喧伝家、はたまたアングラに片足を突っ込んだほぼ犯罪者か。
まず間違いなく、真の意味で日陰者のイェフとは反りが合わないだろう。
イェフは気合いを入れた。
目指すは、当たり障りなく穏当な対話。
イノウエにも裏の顔役にも、ある程度満足してもらって事を誤魔化す。
それしかない。
「はじめまして、イェフ・タラントです! 本日はよろしくお願いいたします!」
挨拶は笑顔で、腹から声を出して丁寧に。
従軍時代、鬼軍曹をして『勢いだけは認めてやる』と言わしめた直角のお辞儀を見舞う。
突然豹変したイェフに慄いたのか、イノウエ女史が数歩後退った。
それはそうだろう。惚け面で気絶し、デリカシーを投げ出しては駄々を捏ねていた男が、いきなり礼儀正しくなったのだから。
あと、単純に声がでかすぎた。
イェフ自身も声量の調整を間違えたと感じ、いまさら青褪めているくらいだ。
無機質な机とパイプ椅子が設置された面談室の入り口で、イェフは頭を下げたまま硬直していた。
なぜ、何の反応もかえってこないのだろう。
やはり間違ったのか。
初手からやってしまったのか。
焦燥と不安が頭を締めつけ、視界が狭まるような感覚に襲われる。
身体の底が冷えてくらくらした。
思わず目を固く閉じたその時。
部屋の奥から、涼やかな声が聞こえた。
「あらら」
若い女性の声だ。
どう転んでも、古くからの相談役とは思えない。
いくら長命種といっても不老であることは殆どなく、建国以前から生きているのであれば、それ相応に年を重ねているはずなのだ。
回らぬ頭で色々考えた結果、ある仮定に辿り着いてしまい、イェフの毛穴が一気に開く。
まさか、部屋を間違えたのでは。
先程からイノウエ女史も黙ったまま。
数秒とはいえ、沈黙の理由が分からない。
先刻イノウエ女史が指し示した部屋に入ればいいものと思い込んでいた。初対面の印象が肝心とばかりに勇み足のまま先行したが、そもそも本当にこの部屋で合っているのかすら疑問だ。
止める間もなく違う部屋にイェフが突入してしまったとしたら、女史の無反応にも頷ける。
やっぱりそうだ。
やっちゃった。
イェフの顔は耳まで一気に赤く染まり、そして、これまた一気に青褪めていった。
「ご、ごめんなさい! 間違えました!」
「タラントさん待って、止まってください!」
両手で顔を覆い部屋から逃げ出そうとしたイェフにイノウエが追い縋る。
「大丈夫、間違えてないです! ここで合ってますから!」
「じゃあなんで二人とも無反応なの? おれ、何かやらかしましたか!?」
気合いで構えた仮面は秒で剥がれ、イェフはもはや半泣きだった。
「もう駄目だ……何でおれはいつもいつも……う、おえっ」
緊張がピークに達し、吐きそうになる。
しゃがみ込んだイェフの傍で、再びあの声がした。
「大丈夫? また吐いちゃいそう?」
清水のような、心地の良い声だ。
背中を摩る手の温かさに、なんだか泣きそうになってしまう。
と、いうか。
「……あれ?」
「うん?」
耳にすっと馴染む声も、柔らかな手の感触も、何故だか随分と覚えがあった。
恐る恐る顔を上げる。
真っ先に目に飛び込んでくるのは、イェフに付き合って同じようにしゃがみ込んだ女性──否、少女の顔だ。
見たことのないほど美しい銀髪に、金の星降る翠の目。ついでに、きっちり着込んでいるわりに目立つ胸部。
首を傾げた拍子に流れた髪を耳にかけ、彼女は全てを見透かすように目を細めた。
緩く弧を描く薄桃、淡く色付いた唇に視線が奪われる。
「あ、あああ、あんたは……!」
あまりの衝撃にイェフは全身を戦慄かせ、大音声で叫びを上げた。
「この間の、セクハラ指輪泥棒!」
イェフの魂の絶叫はフロア全体に響き渡り、びりびりと硝子窓を震わせる。
銀髪の少女、フィアは大きな目をぱちくりさせ、困ったように微笑んだ。
「えっと、盗んだつもりはないよ。ただ少し預からせてもらおうと思っただけなの」
「盗んだだろ!? 返せよ、おれのアーティファクトとファーストキス!」
「指輪は返すつもりだったけど、キスは難しいかな。本当にごめんね。何か他のもので埋め合わせをさせてもらえると助かる」
何故か穏やかに受け合うフィアに毒気を抜かれてしまい、イェフはややトーンダウンした。
あの時と同じように間近で吐息を感じてしまい、急に気恥ずかしくなってくる。
イェフは視線を逸らし、声を上擦らせた。
「キ、キスの話は、いいよ。大事にとっておいたもんでもないし。けど、指輪は返してくれよな」
「うん。今日会えると思ったから持ってきてるんだ」
フィアが胸ポケットに手を突っ込む。
取り出された指輪は確かにイェフのアーティファクトだった。
「指輪、大事なものなんだね。すごく丁寧に手入れされてる」
「別に。旧型だから扱いが難しいだけだ」
「そう? 愛着を感じるけどな」
含み笑いの気配を感じ、イェフは憮然と顔を顰める。
セクハラついでに強奪しておいて、さらに品評するとは。
盗人猛々しいにも程があるのではなかろうか。
長く生きていると恥を感じる神経が死ぬんだな、などと失礼な所感を抱きつつ、イェフは手を突き出した。
「ほら、返せって」
「はいはい」
フィアは素直に頷いて、イェフの手を取る。掌に乗せるのではなく、直接、イェフの左手の中指に指輪を嵌め込み直し、彼女は囁いた。
「びっくりさせてごめんね」
びっくりどころの話ではない。
何をどう抗議していいか分からず、イェフは口をはくはくと動かした。
適切な言葉が思い浮かばない代わりに、あの日に感じた唇の柔らかさが思い出されてしまい、徐々に顔が熱くなってくる。
先程の叫びのせいで集まりつつある人垣の中、イェフとフィアはしばし無言で向き合っていた。
言葉を探して俯くイェフ。
その肩を叩く手が、一つ。
「タラントさん、ちょっとお話いいですか」
イノウエ女史が得体の知れない光を放つ眼鏡をぐいっと上げる。
彼女の額に走る見事な青筋山脈を見て、イェフは頰を引き攣らせるのであった。
◇
本場の公務員による本気のネチネチ説教を喰らい、イェフは萎びきった姿で椅子に掛けた。
「本当の……本当のことなのに」
「行動は事実でも意図あってのことなんだから、素人は黙って叱られていればいいんです!」
「アッ、ハイ。スミマセン」
反射的に謝罪したイェフであったが、突っ込みたいことは山ほどある。
セクハラも窃盗も事実。
意図があろうが説明を受けていない。
この場合の玄人はなんなのだ。
しかし、激怒したイノウエは心底恐ろしいし、話が長い。
被害者イェフは全ての言葉を飲み込んだ。
代わりに、加害者がやんわりと介入を始める。
「ハルカちゃん、落ち着いて。キスも指輪の件もこの子の言う通りだし、実際私が悪いんだよ」
「クレイオさんも黙っててください」
「うーん、これは駄目だな」
セクハラ指輪泥棒あらためアルモニ裏の顔役、その名もフィールシア・クレド・クレイオ・インカルシは速攻で諦めたようだ。
彼女はイェフへと視線を送り、両手を合わせて舌を出した。
「ごめんね」
彼女の赤く濡れた舌先を見た瞬間、あの日の感触が口内でぶり返す。
血液が沸騰するような心地になり、イェフは両手で顔を仰いで頬に上る朱を誤魔化した。
「イノウエさん、おれの言い方が悪かったです。ごめんなさい」
「……チッ、今後は気をつけてください」
「え、いま、舌打ちした?」
なんと態度の悪い役人だろうか。
イノウエ女史はある意味、とても素直な人柄のようだ。
親身になってくれたかと思えばワンサイドで責めてくるし、素が出た時の罵倒のバリエーションは素人のそれではない。
先程嫌というほど体感した罵詈雑言を思い返してしまい、イェフは涙目になった。
半泣きのイェフを睨め付け、イノウエもまた席に着く。
「あまりの事態に取り乱し、ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません」
殊勝な言葉に反して、顔から怒りが消えていない。これ以上刺激してはまずいと直感し、イェフはぶんぶんと首を振った。
「いえいえ、いえいえいえ」
「ハルカちゃん、私のせいでごめんね。怒ってくれてありがとう」
慈愛溢れる笑みを浮かべ、フィールシアが続く。
加害者のくせに被害者の尻馬に乗ってくるとは。さすが長命種、年の功を通り越して恥を知らぬと思える。
半眼になったイェフとは対照的に、イノウエは速攻で機嫌を直した。彼女は眼鏡を押し上げ、きりりと口角を上げる。
「いえ。クレイオさんのためではありません。私がムカついただけなので、お気になさらず」
「そう。じゃあ、私とお揃いだね」
「はい?」
「ハルカちゃんが私のために怒ってくれたこと自体が嬉しいんだ。だから、おあいこ、ね?」
銀髪の顔役はイノウエの手をそっと握り、眼鏡の奥を覗き込むようにして宣った。
「あんまり机を叩いちゃ駄目だよ。私のせいでハルカちゃんが怪我したら悲しくなっちゃう」
「は、はい。ごめんなさい」
「うん。いいこいいこ」
その手管は熟練の猛獣使いが如く。
フィールシアに頭を撫でられた途端、イノウエは聞き分けのいい子どものように大人しくなった。
感嘆のあまり拍手をしかけたイェフは、すんでで思いとどまり彷徨う両手を組み、机に肘をついた。
つい数日前、イノウエも取っていた司令官ポーズである。
「これ以上お二人にお時間を取らせるのもなんなんで、そろそろ本題に入ってもらってもいいですか?」
言葉選びを間違い、嫌味のようになってしまう。
内心冷や汗が止まらないイェフだった。




